2002年11月バレンシア
ラムサールCOP8の印象

鈴木マギー(日本湿地ネットワーク国際担当)

  JAWANのCOP8への準備は2001年から始まった。同年9月の国際湿地シンポのスピーカーとして、COP8で検討される湿地再生ガイドラインのまとめ役をしていたビル・ストリーバー博士を招待した。テロ事件のため、ストリーバーさんの来日・韓は、実に2002年2月になってしまったが、その時点でも自然再生推進法案のことはまだ知らなかった。
 2002年の春、その法案の話が出た。それを知って、ストリーバー博士の話がどれほど適切なものであったかと驚いた。自然再生推進法案には、ラムサールのガイドラインの基本的な原則が欠けていることを憂慮し、JAWANではシンポなどの対策を講じた。「あくまでもラムサールのCOPで採択されるガイドラインを検討してから、法律を作ってください」と言い続けてきた。

 日本の湿地再生の悪い例(泡瀬干潟など)と良い例(アサザ・プロジェクト)を、私はCOPのプレ会議「国際多様性フォーラム」で報告した。そして、とてもよくできた湿地再生ガイドラインが本会議で無事に採択された。

 しかし、ラムサール会議が終わって10日も経たないうちに、相変わらず基本的な原則(再生事業が始まる前に、はっきりした目的、目標と到達基準を設定することなど)を欠いたままで、自然再生推進法が成立してしまった。あーあ。

 今年はその法律の「基本方針」。「今度こそ」と思った私がバカだったようだ。

 1990年のCOP4に参加してから、COPが採択する決議・勧告・ガイドラインが国内の湿地の保護になると思ってラムサールに力を入れてきた。だが「ラムサールはどうでもいい」という政府の態度はこれほどまでに明白になった。

 もうラムサールのことについては、しばらく休ませていただきたいというのが、私の本音である。

ビル・ストリーバーさん(右)と私。 藤前干潟の登録認証式。右から3人目がラ条約事務局長のデルマー・ブラスコさん。 スペイン料理には湿地の魚介類も多く使われている。
本会議の様子。 近くのラ条約登録湿地まで足を延ばした辻淳夫さん、私、原戸眞視さん。(左から) 事務手続き中の柏木実さん(右)。スペインのCOPスタッフは皆優しかった。

(JAWAN通信 No.75 2003年6月1日発行から転載)