瀬戸内法改正を目指す環瀬戸内海会議

青木 智弘

 環瀬戸内海会議は1990年6月、瀬戸内地方のゴルフ場、リゾート・ブームによる乱開発に歯止めをかけようと、沿岸11府県の住民が集まって結成された組織です。以来、27ヶ所で立木トラスト運動を展開し、24のゴルフ場計画をストップさせ、2003年7月には藤原寿和さんと共に、第12回の田尻宗昭賞を受賞しました。近年では、廃棄物処分場計画地での立木トラスト運動や、香川県豊島に森をつくる「未来の森トラスト」などにとりくんでいます。

 現在も瀬戸内海域では、さまざまな開発行為が行われています。たとえば、岩国基地拡張にともなって貴重な藻場干潟の埋め立てが強行されたり、採算見通しの立たない神戸空港建設が止まらなかったり、スナメリの生息地である山口県の長島では上関原子力発電所の建設の是非が問われていたり、小豆島の寒霞渓では内海ダムを巨大化しようとする再開発問題などがおきている、といった具合なのです。加えて、域外から押し寄せる大量の産業廃棄物などで、瀬戸内海域の環境汚染は、ますます悪化することが懸念されています。

山口県上関町の上関原発建設予定地(左)とその近くの海を泳ぐスナメリの親子(右)


無力な瀬戸内法

 瀬戸内海には瀬戸内法(瀬戸内海環境保全特別措置法)が施行されています(1973年に「瀬戸内海環境保全臨時措置法」として制定。1978年より特別措置法)。汚染の垂れ流しに対する緊急措置としてつくられたこの法律は、具体的には、産業排水に関るCOD負荷量を1972年当時の半分に減らすこととし、また埋め立ては厳に抑制することをうたっています。この結果、COD負荷量は法施行の5年間で半減しましたが、しかし1990年代に入ってからは増加の傾向を示しています。さらに埋め立てはとどまるところを知らず、ほぼ瀬戸内海全域で行われてきました。1975〜2000年の25年間の埋め立て面積は13,600haを超えているのです。漁獲高の推移も、1980年代をピークに下降の一途をたどっています。豊島の問題に象徴されるように、埋め立てが一向に減らないのは、産業廃棄物の処分の問題、航路浚渫の残土処分の問題があったりするからです。瀬戸内海の環境を保全・復元しようとすれば、埋め立ての全面禁止、海砂利採取の禁止、廃棄物の域外からの持込禁止などを盛り込み、瀬戸内法を改正する必要があるのです。

瀬戸内法改正プロジェクト

 そこで環瀬戸内海会議では、トヨタ財団の市民社会プロジェクト助成も受け、瀬戸内法改正へ向けたさまざまな取り組みを行っています。沿岸100カ所では、市民による生物一斉調査を行ない、各地で学習会を開催し、瀬戸内海の環境の変遷に関する資料の収集や分析なども行なっています。瀬戸内法改正によって「脱埋め立て」を実現することは、大量生産、大量消費、大量廃棄の社会からの脱却への一歩であり、持続可能な社会、地域循環型社会をつくろうとする取り組みなのです。

 環瀬戸内海会議はこの秋から、瀬戸内法改正へ向けた全国署名の運動に取り組み、総選挙後には国会への働きかけも本格化させます。全国のみなさんのご声援とご協力をお願いいたします。

(JAWAN通信 No.76 2003年9月1日発行から転載)