雪のセマングム

水間八重(日韓共同干潟調査団ベントス班所属)

 昨年12月5日から1週間、日韓共同干潟調査団に参加して韓国のセマングムへ行った。セマングムというのは韓国中部西海岸に位置する地域の名前で、韓国政府はここに日本の諫早湾干拓事業を「手本」に干拓地を造ろうとしている。干潟を含む広大な浅海域を閉めきる33kmの防潮堤は、現在残り2.7kmのところまで工事が進んでいる。
 日韓共同干潟調査団は、干潟の保全・研究に携わる日韓の市民と研究者によって1999年に結成された。日韓各地の干潟の環境特性やそれを背景とした人々の営みを記録・研究・発表することで、干潟の価値を広く人々に伝え、保全につなげることを目的としている。セマングム地域は主要調査地で、毎年ほぼ2回ずつ調査を続けている。私は2001年から調査に加わっているが、今回は2年ぶりの参加でセマングムは3回目だった。

 冬の調査は初めてで、本州とあまり緯度の変わらない韓国なら冬の寒さも本州なみだろうと思い込んでいたのだが大間違い。出発数日前に寒さは北海道なみだと知らされた。オンドルはそのために発達したのか!と、ようやく納得。さらにそこで昔勉強したことを思い出した。黄海・渤海は冬場極めて水温が下がるため、真夏にも底層には10度を切る冷水塊が存在する。だからこの地域には特異な生態系が存在するのだと…。地上も寒いわけですね。
 そして乗り込んだ飛行機から見た韓国の大地は雪景色。平地はそれほど積雪しないと聞いていたのだが、不吉な予感が頭をよぎる。結局調査期間中、連日雪に見舞われ、日本同様記録的な大雪となったのだった。私は本隊より少し遅れて現地入りしたのだが、先に調査をはじめたメンバーの話によると、「調査したい場所(干潟)は雪の下、しかも何十年も毎日干潟を歩き続けている貝採りのアジュマ(おばさん)が帰る方向を見失うほど吹雪いた日もあった」そうだ。記念写真を見せてもらうと、まるで「南極越冬隊」。干潟は一面の雪原だった。寒さの方も相当で、帰国する日のソウルの最高気温は零下のままだった。

仲買さんのいるところで貝の仕分け作業

 そんな雪と寒さの中でも、干潟で貝を採って生計を立てている人はちゃんと仕事をしている。セマングム地域のシナハマグリ生産量は韓国全土の80パーセントを占めるというが、それは豊かな干潟の生態系と勤勉なアジュマ達に支えられているのだ。春や夏の聞き取り調査でも、貝採りの人たちは「寒いときが一番辛い」と話していたので、冬も干潟に出ていることは情報としては知っていた。でも実際、シャーベット状の干潟にさらに降り積む雪の中、貝を掘るためのクウレと呼ばれる大きな道具と、貝のずっしり詰まった重たい袋を担いで沖から戻ってくる人々の姿は、胸を打つものがあった。何十年も、もしかしたら何百年も変わらず続いてきた営みだと思えばなおさらだ。それに、タコ捕りの餌にするらしいカニを捕る人たちも干潟に出ていた。そして、最干潮時間を過ぎた頃には、海岸は沖の方から戻ってきた人々で賑わっていた。貝の仕分けをする人、仲買さんに貝を売っている人。みんな一斗缶の焚き火に当たりながら夏と変わらぬ賑やかさで作業していた。
 しかし、セマングム地域の環境は堤防の工事が進むにつれて確実に変化している。群山(クンサン)市にある、玉峰里(オッポンリ)という村の地先に広がる干潟で気付いたことを記しておきたい。

沖から帰る人々 クワレをトラックに積んで帰る

 ここは2001年夏の調査で初めて来た。とにかく命があふれていて、キラキラ輝くような干潟だった。だが今回は寒かったこともあり、干潟全体がシンと静まり返った印象だった。それでもこの寒さの中、カニが動いていることにはずいぶん驚いたが、貝類はほとんどが泥の中に潜っていたようだ。しかし、たとえ生きている個体を直接目にすることがなくても、貝類は生産量が多ければ新鮮な死殻もまたたくさん落ちているものだ。ところが、以前はあれほどたくさんいたユウシオガイ(二枚貝の一種)やチョウセンキサゴ(巻貝の一種)は、古い殻しか見つけることができなかった。表面の艶が失われたものや、割れたり欠けたりしたものばかり、それもたくさんは見つけられなかったのだ。ユウシオガイを含むニッコウガイ科の仲間は、環境の変化に弱いといわれている。沖合の防潮堤は、干潟の環境を確実に変えているのだ。現在工事は中断しているが、生物を死に追いやり、人々の暮らしを破壊する防潮堤は今年3月中にも工事を再開、一気に完成を目指すという。だが、あきらめずに保全に向けた取り組みを続けている人々はまだまだいる。
 調査期間中、地元の市民グループによる「セマングム勉強会」に参加する機会を得た。その会に招かれてきたある漁師さんは、こんな風に語ってくれた。「この海域の漁師には、3月までに船を堤防の外へ出すよう政府から通達が来た。今、多くの漁師達は、堤防ができてから海がおかしくなったことに気づき、深刻さを実感しつつある。そんな中での今回の通達には心底怒りを感じている。セマングム地域は広いが、何とか連携をとって立ち向かおうとしている。」その言葉はとても力強いものだった。そこで思い出したのは、以前講演会で聴いた高遠菜穂子さんの言葉だった。「わたしたちには『微力』がある。無力ではないのです。いろんな大きな力を持った組織や人々に無力だと思い込まされているかもしれません。だけど、微力があるのです。」ムーブメントを起こすということは、「微力」に気付く人をどれだけ増やすか、ということなのかもしれない。

 今回は雪と寒さで思うように調査はできなかったし、セマングムも決して楽観できる情況ではない。けれど、いつも調査をサポートしてくれる韓国の友人達との再会や彼らの変わらぬ友情と熱意、それに海と関って生きてこられた方々の姿や言葉に触れ、一条の光も感じつつ私の調査旅行はおわったのだった。これからも可能な限り調査に参加し、韓国の干潟の情況を日本のみなさまにお知らせしていければと思っている。

【追記】
 現在韓国ではセマングム干拓事業の差し止めをめぐり裁判で争われている。2月16日には最高裁判所で公開弁論が行われた。この報告が掲載される3月中旬には判決が言い渡される予定である。判決の行方に注目したい。

(JAWAN通信 No.84 2006年3月25日発行から転載)