北限のジュゴンを守る市民たち

鈴木雅子(北限のジュゴンを見守る会代表)

 1996年以後、一度は絶滅したと考えられていた沖縄のジュゴンが確実に生き残り、沖縄東海岸での目撃例が相次ぎ、地元では残された地域個体群の研究と保護活動が始まりつつありました。このような活動を全国に伝えるべく、野性生物保護の研究者や市民により「本土」における沖縄のジュゴン保護団体を設立し、2000年の春に日本で初めての「沖縄の野生ジュゴンの保護」をテーマにした国際シンポジウムを開催しました。
 シンポジウム開催によって希少な「北限のジュゴン」の生息地に米軍飛行場建設が計画されている問題が周知されるようになり、沖縄のジュゴン保護の気運は一機に高まりました。
 2002年にはUNEP(国連環境計画)において沖縄のジュゴンの危機が報告され、2000年と2004年の二度に渡ってIUCN(国際自然保護連合)の総会「世界自然保護会議」においても沖縄のジュゴンの保護が日本政府に対し勧告されましたが、政府によるジュゴン保護の方策は今もってなされず、絶滅への脅威は増すばかりです。
 2004年4月19日に強行されようとしたジュゴンの生息海域へのボーリング調査には、2639日に渡って新たな基地建設反対の座り込みを続けて来た名護市辺野古のお年寄りの元へ、全国の支援者が駆けつけ、以来、一日の休みもなくテント村における座り込みと海上での激しいボーリング阻止行動が続けられ、ついに政府はボーリング調査及び、当初の移設計画である「辺野古沖」案を撤回せざるをえませんでした。
 しかし、1996年のSACO(沖縄における施設及び区域に関する特別行動委員会)合意から10年目を迎えた現在、普天間基地の移設問題の矛先は米国の世界戦略の枠組みの中での在日米軍基地再編協議により、地元の合意のないままに一方的に「辺野古沿岸」案に固まりつつあります。この新たな基地建設案は、平成12年から14年に至る2年間をかけた9回の「普天間基地代替施設に関する協議会」において検討され尽くし、稲嶺沖縄県知事をして「超実現不可能な案」とまで言わせる最悪の案です。
 しかも、新たな基地建設のための手続きを省くために、日本政府は「特別交付金」や「特別措置法」という飴と鞭をちらつかせ、米国政府は米軍基地内の遺跡調査のための立ち入りを拒否するなど「文化財保護法」や「公有水面埋立法」、「環境影響評価法」すら無視する構えはまさに日米政府の「有事体制」さながらです。現在、地元自治体の長がすべからくこの新たな基地建設案に反対の姿勢を崩さない状況の中で、米国政府は3月末の在日米軍基地再編の最終報告へ向けて、日本政府との間の政治的決着をもくろんでいます。
 その背景には巨大な軍事産業と米国の世界戦略の構図があり、中央の利権行政と地元土建行政の駆け引きなど、それらからは環境の保全や住民の平和な暮らしとは対極にある世界が透けて見えます。このような極めて政治的な背景の中で、私たち自然保護に携さわる者の果たしえる役割はどこにあるのでしょうか?
 日本政府による3年間に5億円にのぼる沖縄のジュゴンの調査が行われながら、「日米安保体制」の壁に阻まれた天然記念物であり、絶滅が危惧される国際的な保護動物であるにも関わらず、「北限のジュゴン」に対し、環境省も文化庁においても具体的な保護施策は出されようとはしません。

 そのような国内の自然保護行政の限界の中、沖縄のジュゴン保護活動に携わる「北限のジュゴンを見守る会」は2004年10月より一年間をかけて沖縄のジュゴンの歴史文化的調査をまとめました。また昨年の7月に札幌で開催された国際哺乳類学会において、私たちは世界の海棲哺乳類の研究者と交流しました。当初のジュゴン保護運動の中で幾度も沖縄にお招きしているオーストラリアのジュゴン研究者へレン・マーシュ博士を筆頭に、昨年の1月末に来沖された米国唯一のジュゴンの研究者エレン・ハインズ博士や同じ海牛目のマナティーやイルカ、クジラの研究者など、国内外の研究者による熱意ある海棲哺乳類保護の討議の場に「沖縄のジュゴンの歴史文化的調査」のポスター発表で参加し「北限のジュゴン」の絶滅の危機を訴えました。
 小さな自然保護団体の訴えに世界の研究者たちは、温かな助言と保護活動への惜しまない協力を約束してくれました。その後、当会の若い研究者はその年の12月に米国カリフォルニア州サンディエゴ市で開催された第16回国際海棲哺乳類学会にも参加、沖縄のジュゴンの保護に向けて更なる研究者たちの助言と励ましを受けることができました。

 年が明けて2月11日から12日にかけ沖縄県の万国津梁館で開催された沖縄美ら海水族館主催の国際シンポジウム「鯨学と海牛学、進歩の現況」に参加したオーストラリア政府機関「キャッチメント・マネージメント・オーソリティ」のジュゴン研究者アンソニー・プリーン博士が新基地建設の予定されている辺野古海域を視察されました。
サンフランシスコの生物多様性センターでの歓迎会「ジュゴン・ハッピーアワー」(2006年2月3日)
 
 北限のジュゴンの生息域を訪れた博士は「沖縄のジュゴンは世界でも絶滅の危機に瀕していること。世界中がジュゴンの棲む沖縄で何が起きているのかに関心を持っている」と強調され、最も重要な視点として「日本ほど豊かで賢明で教育が発達している国でジュゴンが救えなかったら望みはない」と語られました。
 また、私たちは2月の3日から6日にかけてサンフランシスコ州立大学にエレン・ハインズ博士を尋ね、今後の米軍基地建設計画の中で「北限のジュゴン」の生息地の保護に向けての科学的調査の具体策についての検討を始めました。初日には、私たちの訪問を聞きつけた米国ジュゴン裁判に関わるNGOや弁護士、学生がサンフランシスコ中から集まって歓迎の会を開いてくれました。そこで私たちはパワーポイントや資料集を用いて「北限のジュゴン」の危機的状況や沖縄の新基地構想、基地建設阻止行動のできるかぎりの最新の報告をしました。今回の訪米において、新基地建設計画の利権構造と米国の世界戦略の元凶と噂される、サンフランシスコに本社のある巨大ゼネコン・ベクテル社のお膝元におけるサンフランシスコ市民の沖縄のジュゴン保護に向けた熱いムーブメントは私たちに大きな勇気を与えてくれました。日米政府の一方的な政治決着がどうあろうと、「北限のジュゴン」の保護を求める日米市民の声と動きは研究者たちの熱意ある支援の元に国際的な広がりを持って展開されて行くでしょう。

歓迎会のホストの米国生物多様性センターのピーター(ジュゴン裁判原告・向かって右端)とエレン博士(中央) サンフランシスコ州立大学にて研究者たちと打ち合わせる筆者(右)(2006年2月4日)

 地元、沖縄でかつてジュゴンと住民がどのような関わりを持って共存していたか、どのような経緯で絶滅の危機に瀕しているかを歴史的に明らかにし、さらにこの危機の中で将来的に「北限のジュゴン」の生息が保証される自然環境と社会環境の条件を科学的に探求することにより、日米安保軍事体制に依存しない望むべき沖縄の未来図を描く役割の一部を担うことができるかもしれません。プリーン博士の「日本ほど豊かで賢明で教育が発達している国でジュゴンが救えなかったら望みはない」この言葉は沖縄と日本の市民へ向けた大きなエールとして記憶されるでしょう。

(JAWAN通信 No.84 2006年3月25日発行から転載)