干潟保全再生のヒント
――ある貝問屋の栄枯盛衰を事例に

〈ウソのつけなかったダメ経営者の報告〉

山本茂雄(アジアの浅瀬と干潟を守る会)

貝の生産・流通・消費の変遷:自己紹介

 42歳になる私は、愛知県豊橋市で3世代に渡って貝の卸売業を生業にしていたものです。全長70km足らずの急峻な豊川河口に広がる六条潟の恩恵を、生活のあらゆる場面で実感できた最後の世代でもあります。物心付いたころから、取扱商品はめまぐるしく変化しました。
 小学校低学年(1970年くらい)までは六条潟西浜(豊川西岸)でハマグリが採れて、船から河岸に塩かますに入れられたハマグリが威勢よく降ろされる光景を、磯の香りとともに鮮明に思い出すことができます。当時の漁業者は漁業補償後残っている漁業関係者と違って、寡黙でありながらも物質循環における漁業の役割を確実に認知していたように感じました。
 ばあちゃんがハマグリ・シジミを背負って東海道本線に乗り売り歩いたいわゆる「カツギ屋」も、本格的な業として若い衆を雇い、トラックの定期便を走らせ、主力商品もハマグリ・シジミからアサリへと替わりながら取扱量も徐々に増えていきました。

セルフサービス・流通革命という熱病

 世の中は戦後から高度経済成長期に突入し、八百屋や魚屋もアメリカのセルフサービス方式を取り入れたスーパーマーケットへと業態を変え始めたのもこのころでした。愛知県は首都圏と関西圏の中間にあり、汚濁が進み衰退する両圏の水産物供給基地として、1980年代前半まで漁業と一体感のある活気で満ち溢れていました。しかし、開発の嵐は首都圏や関西圏だけにとどまらず、名古屋四日市を中心とする伊勢湾、三河湾にも及び、ついに三河港開港のための大規模な埋め立てが始まりました。

経営していた水産会社。現在は跡地に12軒の建て売り住宅が立ち並んでいる。 みんなの海は埋め立て後「関係者以外は立ち入ることのできない場所」になった。

負の連鎖―終わりの始まり

 膨れ上がった需要を満たすために、浜名湖や瀬戸内、九州は大分県、熊本県をはじめとする有明4県まで仕入先を広げました。先陣を切って仕入れた当初は、どこの産地も殻長は4cmを超えるものばかりで、「大きすぎて困ったなー」と、毎回うれしい悲鳴を上げていたことを覚えています。3年から5年経つと一応に小さくそろってしまう「漁獲圧による乱獲傾向」が出てしまい、アサリ業界は資源再生産の許容量を超えて出荷量を増やしつつ、次から次へと新しい産地を求める負のスパイラルに入っていきました。

【上海】90年中国産アサリ輸入もここから始まった。 【1996年ころの大連】台風の来ない大連は漁港すらなく、かつての日本の漁村を連想させる。

海を渡った負の連鎖

 有明沿岸でこの傾向が顕著に現れるころ、まさに世の中はバブル絶頂期で、1ドルが80円という空前の円高。社会主義体制が色濃く残り、生鮮の品質管理等の輸出体制が不十分で、「日本に到着して半分使えるかどうか……」業者は当時、こんな不安を持っていました。
【アサリの資源食いつぶし図】矢印の長さは仕入れ期間、方向は増減。どこも下向きで減少を示している。
※表やグラフはクリックすると拡大してご覧いただけます。
 それまで冬から春にかけて輸入していた韓国産を、円高は押しのけて一気に中国産をトップに押し上げました。純粋な中国産が輸入量トップの座を維持したのが約3年間。小平元国家主席の打ち出した「改革開放政策」の速度は、私たちの想像をはるかに超えていました。偉大なる発展途上国は、わずか15年で“世界の工場”に変貌を遂げ、さらに世界一大きな胃袋の実像は、統計にリアルな数値で表れ始めました。

どの産地も右肩下がりを示す。最後発の北朝鮮の下がり加減はすさまじい。中国・韓国にも供給国となっているため。 【取扱量に調達先の変遷を取り込んだグラフ】1996年からは業界内の軋轢との戦いでした。

開発に無抵抗を貫いた水産行政

 日本の水産行政は、埋め立て浚渫+ダムや堰の建設による水環境の悪化を、ひたすら栽培養殖の技術開発や、海外産地へ逃げることでしのいできました。その間日本政府は、国民への状況説明を怠り、アフリカ産の淡水魚を○○ダイと命名して販売することを黙認したり、グロテスクな深海魚も馴染み深い近海魚の名前に似せたりなどして販売する悪徳商法まで黙認するようになりました。激減するハマグリに替わって輸入されるシナハマグリに対しても、昨年、農水省は「価格や味覚が大きく異なるなど、消費者に影響が及ぶことはない」として、「ハマグリ」と表示することは問題ないとコメントしています。

流通の9割以上を占めるシナハマグリ。蓄養による産地偽装もお咎めなし。品種が違ってもOKなんだから。 純正ハマグリ。この種の保全再生こそ、東洋式自然再生事業じゃないかなーと思う。

政策提言:水産立国→干潟保全再生へ

 世界人口の3割に達しようとする中国が食料の輸入国に転じた今、日本の生き残りのための選択肢は1つしか残されていません。ノルウェーやカナダよりも鮮明に、水産立国として水環境の再構築を行うことです。釧路湿原や東京湾の三番瀬を見る限りでは、自然再生推進法による“再生事業”には期待が持てません。温室の中に砂漠を再現し、糖度の高い極上メロンを栽培するような近代農業と違い、アサリ採りに代表される浅海域漁業は、閉鎖的な生産環境が構築できません。漁獲物の質や量は、常に集水域から湾口までのあらゆるものに影響されます。CODも水質のひとつの目安ですが、漁獲物の質や量の回復を目標とするような発想の転換が必要だと思います。有り余る漁港整備費・土地改良にかかわる財源・水資源開発(なぜだかダム建設)に関する財源などを使えば、実のある再生ができるのではないかと考えています。ちなみに漁港整備費は、水産庁予算の大半を占め、全国に空港を建設する予算と同額だそうです(予算配分の硬直化は恐ろしい! )。国内外の干潟保全のため、みんなでここを切り崩しましょう。

干潟はまたも車輪の下へ

 2005年冬、環境をテーマとした博覧会「愛・地球博」が閉幕した途端、また干潟保全運動の先駆者・小柳津弘師匠が亡くなった途端、200haを越す新たな埋め立て計画が湧き上がってきました。自動車産業をはじめとする地域産業発展の名目で、産廃の最終処分場、モータープール、コンテナ置き場など、計画は70年代にタイムスリップしたかのようです。

30cmの木枠を使った原始的な調査。 95億円を投じて行ったシーブルー事業。その影に、漁業者の行う天然干潟六条潟からのアサリ稚貝の採取と、人工干潟への放流作業があります。

再生のヒント:回復傾向にある六条潟

 2004年3月から月1回、一般市民と協力して、アサリを主に干潟調査を続けています。
 2002年、2003年の青潮によるアサリ大量斃死を機に、甚大な青潮の実害を知らせるためと改善策を探るために調査をはじめました。2004年は青潮の影響が確認できたのに対して、2005年の調査結果からは、2度の青潮襲来にもかかわらず、ほとんどその影響が見られず、明らかな回復傾向が現れたことに驚きました。全国に先駆けて行われた干潟造成事業「シーブルー」が行われた水域も、比較のために調査しました。合計で620haの浅場を創り出した事業の屋台骨を支えるのは、放流のために採取した六条潟のアサリ稚貝です。「放流個体は採れば終わる」漁業者たちの経験知を調査が証明する結果となりました。
 干潟の保全は集水地から湾口までをセットで行うことが必要不可欠です。さしあたっての目標は、アサリを食糧援助国北朝鮮から輸入しない程度回復させることです。


(JAWAN通信 No.84 2006年3月25日発行から転載)