ラムサール条約湿地の登録要件から

辻 淳夫 日本湿地ネットワーク共同代表

 常々感じていることだが、ラムサール条約の理念が、社会にどこまで通じているかという不安が、やはりそうだったのだと、厳しい現実として突きつけられることがある。
 最近、「六条潟埋め立てを回避、検討委人工島造成を提言」と、“良かった”と思わせる見出しと論調の新聞記事が出た。地元紙には「六条潟守られる」という表現さえあった。
 中身は、やはり拡張埋め立て分40haと人工島造成160haを進めることが決まったというのに。アサリの幼生が浮遊する経路を「調査」した結果、人工島が邪魔をせず、影響はないことが分かったからというのである。
 70年代までの浚渫埋め立てで、それまで日本一ゆたかな海といわれた三河湾が、いまは春から夏にかけての赤潮、赤潮プランクトンが死んで酸素を消費して、夏場の底層部が貧酸素水塊となり、秋口の大風で引き出されて苦潮(東京湾では青潮と呼ぶ)となってアサリや魚介類が大量死するような海に、あらたな埋め立てがどんなダメージを与えるか、考えてもいないようだ。豊川の源流部には、巨大な設楽ダム計画があって、三河湾の息の根を絶とうともしている。

 ラムサール事務局で活躍されていた小林聡史さんは、その経験から「良くある誤解」から入って、分かりやすく条約理念ポイントを説明される。いわく
誤解その1、「ラムサール条約は水鳥を守る国際条約である」
誤解その2、「条約湿地として登録した湿地以外の湿地は保全しなくても良い」
 近くには藤前干潟に劣らぬ渡り鳥渡来地、汐川干潟があるが、六条潟はそれほど鳥が多いわけではない。また今のところ条約湿地として登録されてはいないので、先の記事を書いた記者も、見出しをつけたデスクも、「よくある誤解」をされていたとしたら、むりもない。現実の三河湾の状況や、埋め立てに反対をしてきている漁民や市民の声を聴くなど、必要な取材をしていない点で、公器としての新聞の責任は問われるとしても。

 もちろん[誤解]は誤解であって、ラムサール条約は湿地生態系の保全とその特質を活かした利用(ワイズ・ユース)をめざし、それは登録湿地に限らないと、全部で12条しかない条約の4条にはっきり書いてある。湿地の定義から、ここでは最大干潮からマイナス6mの浅海域とそれで囲まれる内湾の保全とワイズ・ユースが図られるべきなのだが、環境省がどう理解されているか、一抹の不安がないわけではない。

 汐川干潟も六条潟も、国際的に重要な湿地の基準を満たすとして、ラムサール条約湿地を増やす市民の会の18カ所の候補地として登録促進を要望してあるが、環境省は、条約湿地への登録要件として、いつも次の3点を挙げられる。
  1. 国際的に重要な湿地であること(9つの基準のいずれかを満たす)
  2. 自然公園法、鳥獣保護法などの国の法律で保全の担保があること
  3. 地元住民などから登録への賛意が得られること
 結局、地域自治体の意向次第、開発計画があればまず無理というのが実情だった。
 昨年11月に閣議決定した第3次生物多様性国家戦略には、日本湿地ネットワークの要請も受けて、ラムサール条約のあらたな登録地を2011年までに10カ所増やす「数値目標」が書き込まれ、具体的な記述が少ない生物多様性国家戦略の中で目立つことから、ラムサールCOP10チャンウオン会議へ向けての国別報告書にも誇らしく書き込まれた。

 登録湿地を確実に増やしていくのは、社会の現状を認めれば取り得る最善策かも知れない。
だが、COP9で増やされた登録湿地20カ所にも、これまでJAWANが長年保全の努力をしてきた重要湿地の多くが入らず、無駄で自然破壊の、理不尽な開発も続いたままだ。
 諫早、泡瀬、和白、吉野川、三番瀬、渡良瀬……なによりも、諫早を止められず、その影響は及ばないとしたアセスメントの予測を超えて、有明海全体に大異変をもたらしたのに、過ちを正す機会を逸し、見殺しにしてきた。こうした日本社会の、「道理」を直視せず「偽」をはびこらせてきた根本的体質は、諫早をモデルにその十倍規模の海を締め切った、韓国のセマングムにもつながって災いを広げている。

 有明海、東京湾、瀬戸内海、伊勢三河湾の豊かな内湾の、日本人の生存基盤を支えてきた漁業は漁獲量でも漁師人口からも、数分の1以下に激減していて、将来への希望が見えない。
 ラムサール条約こそ、いのちのつながりとはたらきがあって成り立っている湿地生態系の価値と重要性を最も良く理解し、その環のなかで活かされている人類の持続的に生存可能な道を指し示す唯一の国際条約だ。
 この国の登録要件と、そこに現れている基本的な考え方を変えない限り、希望ある未来への転換はありえないのではないか、そんな思いが三河湾での絶望感の中から生まれている。

 韓国会議を前に、日韓双方で湿地NGOの大同団結を図る動きが現実化してきた。
 この機会にこそ、ラムサール条約発足、つまり日本の環境行政が始まって以来の、あるいは、第3次生物多様性国家戦略の「100年計画」として、日本の山河と海がどうなってきたのかをしっかりと捉えなおし、失ってきたかつてのゆたかさを復活させていくために、根本的な転換を図っていきたい。
 その一番の要点は、ラムサール条約がめざす目標と、実現手段をしっかりと捉えなおし、ラムサール条約湿地の登録要件を緩やかに拡大して、
  1.漁場単位、内湾、流域単位でも可能とし、
  2. 対象域の持続的な総合管理をしていく意思を表明した、
  3.協議会などの協働管理体制があること
を付加することを提案したい。

 あわせて、陸と海で分断されてきた行政や学会などを水系のつながりでつなぎなおす発想で、社会の大転換を可能にするものとして、日本湿地学会の発足を歓迎し、期待している。

(JAWAN通信 No.90 2008年4月21日発行から転載)


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