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JAWAN通信100号を迎えて

山内美登利 (日本湿地ネットワーク副代表)

 日本湿地ネットワークが生まれて20年、会報である「JAWAN通信」が100号を迎えました。
 会報は、会と会員、会員と会員を繋ぐ血液だと私は思っています。JAWAN通信は大きな役割を果たしてきました。会の活動方針、活動内容、活動結果などを伝え、「JAWAN」を知っていただくと共に、各地の湿地等の写真や現状報告を通じて、多くの方と多彩な湿地の情報を共有できました。
 印象に残っている会報は2009年の94号で、諌早の高城会館で開催された総会でのシンポジウムの基調講演、佐藤正典鹿児島大学教授の「故山下弘文氏と歩いた諌早湾の美しい泥干潟」が掲載されています。
 「―諌早湾での出会いと別れ―1994年春、私は初めて山下弘文さんにお会いし、諌早湾の干潟を案内していただいた。それ以来、私たちは、何度も干潟に通い、宝探しのように泥を掘り返し、珍しい種を採集した。潮が引くと、泥干潟は水平線のかなたまで広がった。地元の人が「ガタ」と呼ぶその泥を手に取ると、ふんわり柔らかく、ソフトクリームのような心地よさだった…ついに、1997年4月、湾が完全に閉め切られた。干潟の上部は干上がり、その下の淡水のよどんだ池(調整池)になってしまった。おびただしい干潟生物が、調査不十分のまま全滅した。」 私はこの文章を読み返し、初代代表の山下さんと諌早干潟を偲んでいます。
 会報は記録になり、また記憶を呼び戻すツールにもなるなど、事務的なお知らせだけではなく心にも影響を与えています。大切な役割を果たす「JAWAN 通信」を100号になるまで支えてくださった各地の湿地の皆さまをはじめ発行にご尽力いただいた方々に、心から感謝します。これからもよろしくお願いいたします。

(JAWAN通信 No.100 2011年9月30日発行から転載)

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