トップ ページに 戻る

「千葉の干潟を守る会」の今

〜谷津干潟から三番瀬へ〜

近藤 弘 (千葉の干潟を守る会代表)

 私たちが求めてきた三番瀬のラムサール条約登録湿地への願いは、残念ながら本年7月のCOP 11(第11 回締約国会議ルーマニア)ではかないませんでした。
 しかし、めげてはいられない。次回のCOP12(2015 ウルグアイ)での登録を目指して、〈今後の三番瀬保全の方向〉について検討を始めています。それが私たちの考え方です。

三番瀬

 東京湾奥部に残る貴重な干潟・浅瀬である三番瀬(約1,800ha)は、古くから豊かな海として知られ、徳川家の《御菜浦》でした。
 しかし湾岸干潟の大部分が埋立てられましたが、この三番瀬は、時代の変化の中で埋立計画が中止になり、かろうじて残った海域です。
 三番瀬は、全国有数の野鳥の渡来地であり、また底生動物が多く、自然浄化機能が高いところです。特に西側の猫実川河口域は底質に泥分が高く、生物の多様性がとても豊かで特異な生態系を形成しており、重要です。
約5000 ㎡もの大きな天然のカキ礁もあります。2003 年以来、「三番瀬市民調査の会」は、ここに住む多くの生き物の実相を明らかにしています。
 それにもかかわらず埋立ての危機が続いています。第二東京湾岸道路やその関連での人工ビーチ化や砂浜化の計画があるのです。
 この三番瀬全域は多様な環境と生物、漁業などの人間活動が微妙なバランスの中に成立しています。その生態系を保ちながら保全することが私たちの今後の任務です。

東日本大震災と放射能

 昨年の東日本大震災以後、三番瀬海域全体の平均水深が27cm 深くなったといわれます。しかしこの地形変化の意味について、船橋市漁協の大野一敏さんは、海の地形や干潟は常に変化しているのだから、「大げさに考えなくてもいいのではないか」としています。
 一方、福島原発事故による放射能汚染について、東京湾へ流入する河川や湾内の状況が明らかになってきました。特に手賀沼に流入する大堀川や大津川では基準値を超える数値があり、また三番瀬周辺の海老川(船橋市)や江戸川に流入する小河川でも比較的高い数値が見られます。
 汚染のメカニズムはまだ不明のところがあり、また土砂は移動することもあるので、監視を続ける必要があります。
 特に江戸川の場合、台風時などには行徳可動堰が開放され、大量の淡水と砂泥が放出されることがあるので、過去の事例から見ても、河川の放射能汚染は慎重に考慮されなければなりません。これに対して私たちは具体的な対応策を求める団体署名運動を行いました。
「千葉の干潟を守る会」の今〜谷津干潟から三番瀬へ〜近藤 弘 (千葉の干潟を守る会代表

「千葉の干潟を守る会」の40 年

「千葉の干潟を守る会」が結成されたのは1971(昭和46)年。公害の多発や自然破壊が進む中で、市民が公害に立ち向かい始めた時代でした。1967(昭和42)年以来、公害対策基本法、大気汚染防止法、騒音規制法の制定、70 年の「公害国会」へとつながります。環境庁の発足は「守る会」誕生の3 ヵ月後の6 月です。

干潟・浅瀬の広がる三番瀬

 以来40 年。「私たちの東京湾」を合言葉として干潟や海辺の自然や生きものを守るために、様々な運動を展開してきました。通称《大蔵省水面》を「谷津干潟」と命名し、そこで始めた自然観察会は今も続きます。「谷津干潟」は今や公式の名称になりました。
《寄り目のハゲ坊主》は、私たちの行動のシンボルでした。

活動のシンボル「寄り目のハゲ坊主」

「谷津干潟」は、1988(昭和63)年、国設鳥獣特別保護区に指定され、1993(平成5)年には、ラムサール条約登録湿地になりました。
「地域の熱心な活動によって守られた干潟で自然保護のシンボルとして地域の誇りであるとともに、かけがえのない財産である」(「谷津干潟の保全事業報告会」資料)という記述の中に「守る会」の活動の意義を深く理解できるのです。
 環境省の2011 年度保全事業報告会では、①シギチドリの減少と貝類の増加②アオサの繁茂と東南部で腐敗臭の発生③西側部分が干出せず、窪地化、また全体の砂質化など、が指摘されました。こうした現状に対し、①科学的なデータに基づく順応的な対応②砂質化に対する底質改良実証試験を進める、等の説明がありました。
 私たちは、「ラムサール湿地への登録が目的」なのではなく、谷津干潟が、鳥や魚、その他の多くの生きものが生息する場所として十分な機能を備えた「干潟」の環境維持が課題と考えます。その意味では、谷津干潟の現状には不安があります。
 これまでの会の活動は、前代表、大浜清さんの干潟や自然に関する広く、深い知識や経験、それらに裏打ちされた考え方や行動力によって支えられてきました。
 今年から私が代表を引受けることになりました。実は、私は東京湾岸道路反対運動の中で「守る会」と関わるようになりました。自然に関わる知識や経験では、大浜さんには到底及びません。その私にできることは、今も活動を共にしている皆さんの力を一つにまとめ、次の課題に立ち向かうこと、と理解しています。
 三番瀬は、ラムサール登録をはじめとして、その環境の維持、保全等に関わる課題はまだ数多く残っています。
「『守る会』をここで閉じてはならない」という共通の自覚に立って、皆さんと共に取り組んで行きたいと考えています。

(JAWAN通信 No.103号 2012年10月21日発行から転載)

>> トップページ >> REPORT目次ページ