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蒲生干潟を脅かす防潮堤計画

蒲生を守る会 中嶋 順一

〔図1〕

 東日本大震災によって、私たちは自然の力が計り知れないということを改めて知りました。その圧倒的な力によって町は破壊され、沿岸部に広がっていた田畑は大津波によってえぐりとられ、あるいは冠水し、がれきで埋めつくされてしまいました。
 しかし、しばらくしてからそこに広がったのは、人間が改変する前の原自然の風景だったのです。大津波の攪乱を経て、いち早く再生したのは、もともとそこに生きていた在来種の動植物でした。その中には絶滅危惧種も多く含まれていました。海岸林や海浜植物もすべてが消失したわけではなく、部分的に生き残り、その多くは再生しつつあることも分かってきました。
 しかし現在、仙台湾沿岸では砂浜側には巨大防潮堤が延々と建設され、内陸側には海岸林植樹のための盛土工事が着々と進められています。それらの巨大な公共工事は、大震災を乗り越えて再生しようとしている動植物を絶滅に追いやるほどの脅威となっています。海、砂浜、内陸とゆるやかな海岸エコトーンを構成していた沿岸部の自然は、やがて完全に分断されてしまうでしょう。海から内陸までの連続的な生物多様性は、土の中に生息する微生物に至るまで鎖のように繋がり、脈々と現在まで伝わってきたのでしたが、過去に例のないほどの大規模な開発によって途絶えてしまいます。私たちが将来にわたって安全かつ安定して生活できる社会がこの復興工事によって保障されるのでしょうか。自然から得られる恩恵は、これほど大規模に、取り返しのつかないくらいに壊しても、今後も私たちに与えられ続けられるのでしょうか。
 そういった不安の中で将来のためにも少しでも多様な自然環境を残したい思いで、日々活動しています。生物の復旧を支えるためにも、生物多様性の高い地域をできるかぎり健全な状態で維持することが重要と考えています。
 国指定鳥獣保護区特別保護地区に指定されている、だれもが生物多様性の高い場所と認める蒲生干潟にも、巨大防潮堤建設が計画されています(次ページ図参照)。そういう中で、私たち蒲生を守る会と蒲生の町に残って暮らしたいと願う人たちとが協力して行政に働きかけ、蒲生干潟の生態系の存続を訴える活動を行っています。蒲生の町は津波危険区域に指定され、地元住民の居住は認められず、住民を追い出した跡地に港湾関連施設が計画されています。巨大防潮堤によって、干潟とそれを支えてきた周囲の自然環境が分断され、復活しつつある干潟生態系は危機的な打撃を受けてしまうでしょう。
 私たちの活動の成果か、当初の計画は見直され、干潟の一部埋め立ては阻止することができました。しかし、内陸側に数十メートルほど移動したとはいえ、依然として干潟と後背地を分断する計画に変わりはなく、さらに、干潟北西部の海浜植物の再生が良好に進んでいる場所を埋め立てるものとなっています。しかも、その地点は鳥獣保護区特別保護地区内なのです。私たちはそのような計画には賛成できません。民主的、かつ科学的にきちんと蒲生干潟の生態系保全を検討する場として、2005年6月に「自然再生推進法」に則って設立した「蒲生干潟自然再生協議会」の早期再開を強く要望しています。
 蒲生干潟の自然が津波による攪乱からどのように回復してゆくのかを継続的にモニタリングし、順応的な管理を施すことが重要と考えています。再開に向けた話し合いは、行政側の抵抗によってなかなか進みませ
 ん。今後も継続して要望を繰り返します。
 永幡嘉之氏は、沿岸部の津波の攪乱からいち早く自然の再生を見つめ、復旧工事にともなう自然破壊を食い止めるために声をあげました。行政の検討会や協議会の委員となり、内部からも強く要望するなど宮城県沿岸の自然環境保全に尽力し、多大な効果をあげました。その永幡氏が、このたびすばらしい本(*1)を出版されました。写真中心のこの本では、仙台湾沿岸の現状が良くまとめられていて、たいへん貴重な資料となっています。ぜひご一読いただければと思います。

〔図2〕

 *1 『大津波のあとの生きものたち』(写真・文/永幡嘉之、少年写真新聞社)
(JAWAN通信 No.111 2015年5月30日発行から転載)

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