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■自然と環境を守る交流会の講演(要旨)

東京湾奥部に残る自然干潟・浅瀬を守る

〜東京湾・三番瀬〜

三番瀬を守る会 田久保晴孝さん

写真12-1
田久保晴孝さん

 東京湾は干潟の90%が埋め立て地になってしまった。東京ディズニーランドも幕張メッセもそうである。2020年のオリンピック会場もほとんどが埋め立て地である。
 埋め立てが進むなか、1971年に「千葉の干潟を守る会」が結成された。埋め立て反対運動を進めた結果、約40haの谷津干潟が残ることになった。
 そのあと、県は1993年に740haの埋め立て計画を発表した。それが三番瀬埋め立て計画である。この埋め立て計画に反対するため、いろいろな会がさまざまな運動をした。「三番瀬を守る会」は1993年にできた。1996年には「三番瀬を守る署名ネットワーク」(署名ネット)ができた。署名ネットには市民団体、労働組合、生活協同組合、釣り団体など70団体が加わった。最終的に30万の署名を集めた。
 30万の署名を集めるのはたいへんである。署名を増やすためにいろいろなことをやった。小さな集会や大きな集会をひんぱんに開いた。コンサートも開いた。絵画展や写真展も県内各地で開催した。そういうとりくみをつづけていくと、マスコミがとりあげるようになる。それによって運動が広がる。そのようにして30万の署名が集まった。埋め立て反対の世論も高まった。
 そこで県は1999年6月、740haの埋め立て計画を101haに縮小した。101haの埋め立ては第二東京湾岸道路を三番瀬に通すことが目的であった。
 埋め立て計画を大幅に縮小しても、反対運動は衰えなかった。運動が大きく盛り上がるなかで県知事選がおこなわれた。2001年春である。選挙の結果、三番瀬埋め立て計画の白紙撤回を唯一の公約にかかげた堂本暁子候補が当選した。
 堂本知事はその年の9月に埋め立て計画の白紙撤回を表明した。もう埋め立てはしないと宣言した。これは、千葉県にとって画期的なことであった。
 堂本知事は埋め立て計画を撤回したが、第二湾岸道路を三番瀬に通そうとした。そのために人工干潟造成計画がでてきた。
 堂本知事は、2002年1月に三番瀬円卓会議を、2004年12月に三番瀬再生会議を発足させた。これらの会議では人工干潟造成をめぐる攻防がつづいた。人工干潟に反対するたたかいはいまもつづいている。
 その一方で、私たちは三番瀬のラムサール条約登録をめざしている。ラムサール条約に登録すればアサリや鳥が増えるということではない。人間の心が変わるということである。そういう運動をつづけている。

(JAWAN通信 No.114 2016年2月20日発行から転載)

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