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蒲生干潟と防潮堤

蒲生を守る会 中嶋順一

 蒲生干潟では現在、堤防工事が行われています。工事事業者は宮城県です。河川課と港湾課によってそれぞれ計画と工事が進んでいます。
 蒲生を守る会は2012年時点の堤防計画段階から工事の問題点などを指摘していました。当初の計画では、堤防の一部が干潟内に設計されていました。震災後の生物の回復状況からみても干潟内に堤防を建築するのは生態系への決定的な破壊になることから、計画位置を内陸側へ移動するように県河川課へ要望しました。要望は受け入れられ、全体的に堤防の位置が内陸側(西側)へ数十メートル変更になりました。
 しかし、堤防が数十メートル内陸側へ移動した程度ですと、蒲生干潟の生態系にとって重要な後背地(アシ原)を失うことになります。私たちは後背地も含めた保護を要望してきましたが、それは受け入れられませんでした。

図3-1

◆干潟北西部

 年月が過ぎるにしたがい、仙台湾の工事による自然破壊が進むなかで、回復してゆく蒲生干潟の自然環境の重要性が増していきました。とくに干潟の北西部(『蒲生を守る会だより』No.66、9ページ参照)は植物の回復が著しく、ヨシ群落の中には巻貝のフトヘナタリ(宮城県レッドリスト:絶滅危惧Ⅱ類)も確認することができました。付近の汽水域では、生まれて1〜2年と思われるとても小さなアリアケモドキ(宮城県レッドリスト:準絶滅危惧)の個体も多数確認することができました。このように北西部では生態系の回復が良好でした。
 しかし、内陸に変更したとはいえ、依然として堤防は国指定鳥獣保護区特別保護地区内に計画されていました。蒲生を守る会は県河川課に対し、位置をこれ以上変えられないのならば、堤防の形状を変更して用地幅を狭くし環境負荷を少なくするように要望してきました。ところが、それは認められませんでした。
 当初は向洋駐車場のある高台まで河川課が堤防を建築する計画でしたが、駐車場付近は港湾課の事業となりました。港湾課の計画は私たちの要望も一部受け入れ、堤防位置が保護区の外になるように変更しました(図1)。 また、用地幅の狭い形状のものを採用しました。破壊する面積が小さい分、希少な環境では負荷が少なく済むと考えられます。
 しかし当初は、その構造上、堤防の下(地下部分)をセメント系材料で深さ4〜5メートル程度固める工法を採用していました。そのような工法では陸側から干潟への地下水のやりとりに悪影響がおよぶ恐れがあることから、地下部分の工法変更を要望しました。
 工事費が安いセメント攪拌工法を採用していた県側は、高価な杭打ち工法への変更に難色を示していました。しかし、蒲生干潟の環境への配慮から、工事費が割高ではありますが杭打ち工法に変更することが決まりました。行政側でも環境へ配慮して予算を投入する判断を下した例と歓迎されます。今後も北西部の自然環境を壊されないように、協議していかなくてはなりません。

図1

◆干潟南西部

 蒲生干潟の南西部は、七北田川と潟湖状の干潟の水の出入り口の交わる部分です(図2)。ここは、そのような地形的特徴から生物の営みに満ちたところです。春先は、ヤマトカワゴカイが繁殖のために夜の浅瀬に大集結します。生殖群泳という行動です。見事なまでにゴカイがうじゃうじゃと泳ぎ回ります。8月中旬は、カニたちの産卵(幼生の放出)行動が盛んです。蒲生干潟では震災後、東北で絶滅が心配されているアカテガニの産卵行動を南西部でのみ確認しています。
 この南西部の堤防位置は、当初設計から変わることなく建築されます。蒲生を守る会はこれらの計画について、環境負荷の低減を要望しています。
 南西部では堤防の位置を内陸側へ移動させることで川と干潟の交わる水際の自然環境を保護しようと訴え、要望書を宮城県知事に提出しました(平成28年8月17日)。しかし知事は対応せず、土木部河川課が要望書を受けとりました。私たちの要望に対し、聞き入れることはできないと即答されました。
 この南西部は川側の中洲にコクガンが越冬します。工事は冬期も行われますが、少しでも内陸側へ位置をずらせばストレスは低減するでしょう。
 現在、南西部で土地を所有しているのはおもに仙台市です。堤防建築は宮城県ですので、行政間のやりとりでなんとでもなるはずです。
 一方、堤防の予定地に個人の建物があります。震災で家族を含めとても多くを失った笹谷さんは、思い出の自宅跡地に慰霊のために庵を立て、立派な観音様を建立されました。しかし現在、これらの土地や思い出はすべて行政に強制的に奪いとられようとしています。
 堤防の位置変更は、この笹谷さんの救済にもつながる問題です。震災後、地元企業ソニー仙台テクノロジーセンターと協働で開催している干潟観察会などでも、笹谷さんの施設(舟要の館)をお借りしています。

図2

◆受け継がれる思い

 行政はたくさんの問題を一度に決めていきます。関係部署もたくさんあります。私たちは震災の後、さまざまな行政機関と話し合いをしました。これらの話し合いはすべて市民活動としてです。一方の行政は仕事でやっていますので、平日の日中に話し合うことは当然です。ところが、私たちは仕事を休んで臨まなくてはなりません。そして休日は調査に励む人たちがいます。その方々のデータは行政と話し合うための貴重な資料となります。
 行政の人にも理解する人はいます。しかし彼らも最後は「仕事ですので……」となります。結局、私たちは仕事で安易に自然を破壊する仕組みに対して身を削って話し合いをしているのです。環境問題で運動している人たちの多くは「思い」によって、忙しくまた時には苦しいことを続けています。
 誰でも他人ともめごとを起こすのは嫌なものです。しかし、私たち人類の未来にとって本当に必要な自然は、黙っていると恐ろしいスピードと規模で失われていきます。このままでは私たちの子孫は苦しむことでしょう。真に明るい私たちの未来のために、この「思い」は受け継がれて、そして続けていかなくてはなりません。
 

(JAWAN通信 No.120 2017年8月30日発行から転載)

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