トップ ページに 戻る
■「止めるぞ!土砂投入6・9集会」の講演要旨

辺野古新基地阻止 あきらめない

沖縄平和運動センター 議長 山城博冶さん

写真4-2
山城博治さん

 「止めるぞ!土砂投入6・9集会 軍事基地で辺野古の海をつぶすな」と銘うった集会が6月9日、東京都・文京区民センターでひらかれた。主催は「辺野古の海を土砂で埋めるな!首都圏連絡会」。連絡会には約30団体が結集している。集会では、沖縄平和運動センター議長の山城博冶さんが講演した。参加者は超満員の314人。会場は熱気であふれた。講演の要旨は次のとおり。

*いよいよ埋め立て開始

 いよいよ辺野古の埋め立てが8月にはじまる。それが2、3日前に報道され、全国に緊張がはしっている。そのようななかできょう、首都圏の仲間たちが「辺野古の埋め立てはけっして許さない」をかかげ、新しい団体のキックオフ集会をひらいた。会場いっぱいにお集まりいただき、感無量である。
 現地では座り込みを連日つづけている。だが、政府は「辺野古の海岸線を囲い込みしだい埋め立てをはじめる」と言っている。そうやって私たち沖縄県民を挑発し、「止められるものなら止めてみろ」と言わんばかりの仕打ちをつづけている。
 翁長雄志知事は病にたおれた。知事がひきつづいて職務を遂行できるのか。あるいは、埋め立て承認撤回を知事が決意するのか。それを県民は固唾(かたず)をのんで見守っている。

*土砂搬出阻止で成果も

 2100万m3というとてつもない量の土砂が辺野古の海に運びこまれる。沖縄以外の西日本からも土砂が来る。香川県の小豆島、山口や福岡の北九州市地域を中心とする門司地区、長崎の五島列島、熊本の天草、鹿児島の南大隅町、奄美大島、徳之島、そして沖縄の本部と国頭から大量の土砂が運ばれる。これらの土砂が辺野古に来なければ海は埋まらない。海を埋めさせないために、それぞれ地域で「土砂を送らせない」という声があがっている。このことに大きな勇気を得ている。
 5月27日、「辺野古土砂搬出反対全国連絡協議会」(土砂全協)が沖縄で総会と集会をひらいた。辺野古埋め立て用土砂の搬出が予定されている7県を含む18都道府県から約50人、沖縄県内から約170人が参加した。
 その集会のさなかに「首都圏でたたかう連絡会を結成したい」という報告をいただいた。「全国の仲間と連帯し、辺野古の海に一粒たりとも本土から土砂を送らせない。そのような運動を首都圏でもすすめたい」というものである。この報告にたいし、会場から万雷の拍手が鳴りひびいた。そしてきょう、このような場をつくっていただいた。首都圏連絡会の今後のスケジュールをみると、街頭宣伝、チラシまき、集会、現地行動など、さまざまなとりくみがセットされている。みなさんの決意やこれまでのご苦労に敬意を表したい。
 土砂全協の集会ではこんな話もされた。港で働く港湾労働者でつくる全国港湾(全国港湾労働組合連合会)は、辺野古の海の埋め立てに用いる土砂の船への積み込み作業はしない、土砂を送るような船はださないでほしい、という決議をあげて、それぞれの事業者に要請をだした。
 熊本の天草ではこんな成果も得ている。辺野古に送るために、岩ズリ(岩をくだいたもの)が山積みされている。この土砂をそのままにしておけば環境破壊がおこる。しかも天草の場合は、山を削りとるのではなく穴を掘っている。地下40mの穴(採取跡)ができている。その穴に産業廃棄物などが搬入されている。そういうことをすると、天草の海が汚染される。環境が破壊される。そのため、地域のみなさんが岩ズリの埋めもどしを県知事に要請した。その結果、岩ズリを埋めもどすよう熊本県知事が指示した。そして埋めもどしがはじまったとのことである。(大きな拍手)
 これはすごいな、と思った。似たような状況が長崎県の五島列島でもおきている。土砂全協の仲間たちの力強い運動によって、このような具体的な成果がでている。そこに大きな感動をおぼえる。

*絶滅危惧種のサンゴを移植しないまま工事

 辺野古埋め立ての承認は仲井真弘多前知事がだした。そのときの承認条件に反することを沖縄防衛局がくりかえしている。
 たとえばサンゴである。埋め立て区域には膨大なサンゴがある。絶滅危惧種に指定されているオキナワハマサンゴもある。沖縄防衛局はそれをすべて移すと言っている。しかし、それは無理だ。なぜなら、世界に冠たる大浦のサンゴの群生条件がそこにあるからだ。それをどこかに移して生きるはずがない。もし移植が可能なら、移そうとしてところにもサンゴが群生して当然である。
 そこに群生しているということは、そこでしか生きられないということだ。それを全部移すから心配ないと言っている防衛局の連中、そして防衛局の発表を「そうだ」と言っている学者たちに、ほんとうに怒りがわく。
 辺野古側海域のK4護岸の内側と外側には絶滅危惧種のサンゴがある。ところが知事が移植を許可をしないため、そのサンゴを移植しないまま工事がすすんでいる。

*違法な大幅工事変更

 沖縄防衛局はいま、辺野古側の浅瀬のほうから囲い込みをして土砂を投入しようとしている。本来は大浦湾の深いところから埋め立てをはじめる計画だった。ところが大浦の海には手をつけられない。水深が深いだけではなく、軟弱地盤が厚さ40mにわたってつづいているからだ。この軟弱地盤はマヨネーズのような土砂といわれている。そこにケーソン(コンクリートでできた大きな箱)を置いたり、石を置いて護岸をつくったりするのは無理だ。
 そのため、防衛局は深場をあきらめて、辺野古側の浅瀬のほうから埋め立てをはじめようとしている。これは、予定されていた工事の大幅な変更である。工事を大幅に変更する場合は県知事の許可を得なければならない。だが、その許可を得ないで工事をはじめている。
 ようするに、やれるところからやっているというのがいまの状況である。このことについて、県民は大きな声をあげている。しかし政府は、ボロボロになっている埋め立て計画をあらためようとしない。それどころか、強行一点張りである。
 埋め立て工事は8月からはじまるだろう。だが、ここは突きどころ満載である。工事は承認条件違反がいくつもある。

*知事選が勝負

 オール沖縄会議(辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議)をはじめ、私たちがつくっている「基地の県内移設に反対する県民会議」などは、8月になったら大きな集会や行動をくみたてることにしている。
 きびしい状況をどうすれば打開できるか。どうやったらいまの苦境をのりこえて、さらにたたかおうという雰囲気をつくることができるか。それを議論することが大事だ。
 私自身はこう考えている。翁長知事は病気でどうなるかわからないような状況にある。膵がんという重い病気にかかっておられる。手術して病院を退院されたときの姿をみると、別人のように細くなっておられる。痛々しいかぎりである。
 その翁長さんに、「政府に真っ向から立ち向かえ」と言えるのか。普通なら、「翁長さん、もうじゅうぶんだ。あとは私たちがやります」と言ってあげたい。しかし状況が状況だけに、そうもいかない。
 やはりいまは、翁長知事に勇気をふるって埋め立て承認を撤回してもらいたい。承認条件違反の実態をとらえて撤回することは可能だろう。私たちは翁長さんにたいし、機会あるごとに撤回を求めてきた。ここにくると、やはり撤回しかない。
 辺野古の埋め立ての是非を問う県民投票をめざすとりくみもすすんでいる。しかし、圧倒的な票差で県民投票を勝利しても、たぶん拘束力はない。政府は無視するにきまっている。そういう状況のなかで、私はこう考える。翁長知事に埋め立て承認を撤回してもらう。政府はその撤回を無効にするだろう。それはそのときである。私たちはあらゆる手法をつくす。政府の無謀な沖縄への差別、あるいは基地の押しつけの前に私たちは主権を奪われている。けれども、あきらめないで最後までがんばる。
 2014年の知事選のあと、翁長さんはこう表明した。もし万策がつきたら、私もみなさんといっしょにゲート前で座り込む、と。そういう話をして、やんやの喝采をうけた。私たちも、その話にしびれて、翁長さんとともにすすもうと思った。
 つまり、県民投票をしても、埋め立て承認を撤回をしても、実質的には基地建設は止まらない。それでも、がんにおかされて明日はどうなるかわからないような知事が県民の先頭にたって決意をかためれば、そのことに大きな意味があるはずだ。

*今までの計画では埋め立て困難

 前述のように、大浦湾側の埋め立て予定区域にはマヨネーズのような軟弱地盤が厚さ40mにわたってつづいていることが確認された。そのような深場を埋め立てることは、今までの計画ではほとんど無理である。したがって、大がかりな計画変更申請がでてくるはずだ。再選をはたした翁長知事がそれにノーといえば基地建設は止まる。そういう意味で、私たちは大きな展望をもちながらたたかいたい。
 そのためには、ぜひとも翁長知事に健康を回復していただきたい。私たちも支える。全国の仲間も支えてくれるだろう。その決意のもとで、辺野古のたたかいをさらにすすめていく。療養中の人にいのちをはってたたかえ、というのは酷だ。つらい。しかし、いまはそういう状況にある。
 お集まりのみなさん、このことにぜひご理解をいただきたい。沖縄の現地でたたかっている私たちも、一人ひとりがそのような思いでたたかいぬきたいと思う。(大きな拍手)

*たたかいの本番はこれから

 なぜ、このように次から次へと沖縄にたいして無謀な権力の横暴がつづくのか。くやしくてならない。しかしここであきらめたら、もう死ぬまで、くたばるまでやられつづける。ここはやはり意を決して声をあげたい。たたかいぬきたい。(万雷の拍手)
 翁長知事は、埋め立て承認を必ず撤回してくれると思う。政府はまた、それに大きなムチをうつだろう。たたかいの本番はこれからだ。(「そうだ」の声)
 これからきびしい状況がつづくだろう。私たちは高江でものすごい暴力をふるわれた。米軍のヘリパッド(ヘリコプター離着陸帯)建設に体をはって抵抗したからだ。そのあげくに、私は白旗をあげた。「もうやめよう」と言っておさめたこともあった。「なぜおさめるのか。高江はまだつづいている」という批判もうけた。しかし、これ以上やったらケガ人や死者がでると思ったら引かなければならない。
 私たちがやっているのは一介の市民運動だ。無理はできない。潮が満ちたり引いたりするように、引くときは引く、集まるときは集まる。そのような運動を心がけたい。

*平和でなければ沖縄県民は生きられない

 与那国島(与那国町)では、2016年3月に陸上自衛隊の基地(駐屯地)がつくられた。150人の部隊と、それとおなじくらいの家族が駐屯している。人口1500人の島に、その2割に相当するような自衛隊が入っている。
 となりの石垣島でも、於茂登岳のふもとに自衛隊基地がつくられようとしている。宮古島には、ミサイル基地の司令部である司令部塔や、地下深くセットされる弾薬庫やミサイル庫などがつくられている。
 他方で、朝鮮半島の状況は変わりつつある。そのことに大きな希望をもっている。米朝会談で和解が実現し、緊張する朝鮮情勢が和平にむかって動きだす。そうなれば、沖縄の島々を戦場のタテにする目的で基地建設が動いていることに歯止めをかけることができるはずだ。
 インターネットをみたら、こういう批判もされている。中国が来るのに基地をつくらせないという沖縄の連中はみんな半日勢力だ。中国からたんまりと金をもらっているにちがいない、と。しかし、平和でなければ沖縄の島は生きられない。私たちはすべての島を平和な島にしたいと思っている。(拍手)
 

*1000万観光時代を迎えた沖縄

 沖縄は、すでに1000万観光の時代をむかえた。すごいことだ。那覇空港は観光客がひしめきあっている。クルーズ客船もひしめている。そうやって年間1000万の人が沖縄にやってくる。平和であることがいかに大事であるか。それがよくわかる。
 沖縄観光はいま、活気を呈している。私たちがのぞんでいた沖縄の自立が実現しつつある。政府のひもつき援助や、米軍基地からの金ではなくて、私たち自身で経済をつくることができる。そういうところまできている。
 その状況を銃声一発でぶちこわすようなことはしてほしくない。もし尖閣諸島や、あるいはもっと南のほうで中国と日本の巡視船が銃声一発でも撃ちあうようにでもなれば、沖縄観光はまた全滅するだろう。
 2001年9月11日に同時多発テロがおきたあと、政府は「沖縄に行ったらテロにあうから沖縄には行くな」といった。沖縄は観光や修学旅行で大きく盛りあがっていたのに、いっきょに冷えこんだ。それをとりかえすまで何年もかかった。
 翁長さんが4年前に登場したときの言葉が忘れられない。彼はこう言った。
 「交流してくる東アジアの経済を沖縄にもとりこんで、沖縄も経済発展していきたい。そのためには、基地は経済振興の阻害要因以外のなにものでもない」
 翁長さんはそのように言い切って、辺野古新基地反対を主張した。オール沖縄会議の重鎮であった金秀グループの呉屋会長がそれに加わった。呉屋会長はこうのべた。翁長さんの言うとおりだ。私は土建屋であるが、米軍基地建設は引きうけない。しかし、米軍基地を解体する作業なら私の金で引きうけましょう、と。この発言にやんやの喝采がおきた。
 翁長さんは、そのような夢をもって4年前に登場した私たちの県知事である。このような翁長さんたちの考えはまちがいだろうか。

*沖縄を平和のキーストーンに

 太平洋の軍事基地のかなめ(キーストン)といわれた沖縄が、平和のためのキーストンをめざして、いま、一歩一歩着実にすすんでいるように思う。
 朝鮮の問題を対話で解決する。日中の尖閣の問題を対話で解決する。そのことができれば、私たちには洋々たる未来がひらけるだろう。そして、日本はアジアの平和のかなめとして生きることが可能なはずである。そのためにがんばりつづけたい。(拍手)
 私たちはなにも反米や反日、反中国を言っているわけでない。私たちの島々をふたたび戦場や地獄のようにすることをやめてほしい。私たちが平和で生きる権利を保障してほしい。そういうことを言いつづけているだけである。それが許されないというのなら、声をあげていくしかない。(拍手)
 いまは政府に押しきられようとも、未来永劫、政府に押しきられるわけではない。いまの時代を生きる私たちが、夢と誇りをかけて政府に抗いつづけている。たたかいつづけている。その勇気と姿を後世に残す。そのことによって、私たちの沖縄が、あるいは日本全体が、民主主義を圧殺されないで、希望をもって生きることのできる地域になるだろう。そういう思いでがんばりつづけたい。(拍手)
 ぜひ、沖縄から平和を発信したい。あの沖縄戦では、若者たちが砲火をあびたり、特攻隊としてボロボロの戦闘機に乗せられて「死んでこい」と言われたりした。そのような時代がこないように努力したい。
 憲法を改正して戦争の道に走ろうとする安倍内閣を止める。原発も止める。そして軍拡の道も止める。私たちがアジアで生きながらえる道は、平和を発信しつづけることだ。そのなかで豊かな日本をつくりたいと思う。(大きな拍手)

写真4-1
「辺野古の海を土砂で埋めるな!首都圏連絡会」のキックオフ集会で山城博治さんの講演に聞き入る参加者。314人の参加で会場は超満員だった
=2018年6月9日、東京都・文京区民センター
(まとめ・写真撮影/中山敏則)
(JAWAN通信 No.124 2018年8月30日発行から転載)

>> トップページ >> REPORT目次ページ