第三次生物多様性国家戦略策定に関する提言書

 1995年に策定された生物多様性国家戦略は、2002年に第二次戦略が策定され、今年中には第三次戦略が策定されようとしています。第三次戦略については、今までになかった数値目標を伴った行動計画が盛り込まれることになりました。そこで、日本湿地ネットワークとラムサール条約湿地を増やす市民の会は共同で、条約湿地に関する数値目標が第三次戦略に盛り込まれるように、8月2日に以下の環境大臣宛の提言書を提出しました。

2007年8月2日

 環境大臣 若 林 正 俊 殿 

日本湿地ネットワーク(JAWAN)
        共 同 代 表
             辻   淳 夫
             堀   良 一
 
    ラムサール条約湿地を増やす市民の会
        共 同 代 表
             牛 野 くみ子
             呉 地 正 行
             笹 木 智恵子
             高 野 茂 樹
             高 松 健比古
             辻   淳 夫
             山 内 美登利

第三次生物多様性国家戦略策定に関する提言書

1 はじめに

 1991年の設立以来湿地保全のための活動を続けてきました日本湿地ネットワーク(JAWAN)は、2005年、2006年と環境省に対してCOP9以降のラムサール条約湿地登録に関する長期的ビジョンや数値目標を定めるよう提言してきました。また、それまでのJAWANの提言を具体的に各地の湿地で実践し今後の条約湿地の追加登録を推進していくために2006年6月に各地の湿地保全関係者が集まって設立したラムサール条約湿地を増やす市民の会は、2007年1月には、17か所の候補地を選定した「早急にラムサール条約に登録し保全すべき重要湿地リスト(第1次)」を公表し、環境省に対し登録要請を行いました。
 私たちがそのような活動を積み重ねている間に、残念ながら未だ環境省からCOP9以降のラムサール条約湿地登録に関する長期的ビジョンや数値目標は示されず、今後の追加登録に関する環境省の取り組みも積極的に展開されているとは言い難い状況が続いています。
 今回の第三次生物多様性国家戦略の策定に際しては、戦略にできる限り数値目標を盛り込む方針が示されましたので、JAWANとラムサール条約湿地を増やす市民の会は、戦略の中に今後のラムサール条約湿地登録に関する明確な長期的ビジョン、数値目標が示されるよう、ここに改めて提言する次第です。
 尚、ラムサール条約をめぐっては、このほかにも、湿地保全法制、国家湿地政策、条約湿地以外の湿地の賢明な利用、流域管理等々、生物多様性国家戦略と関わる論点があり、本来であれば、それらも含めた包括的提言をなすべきところですが、時間的な問題もありますので、今回は先行して、ラムサール条約湿地登録に関する明確な長期的ビジョン、数値目標の問題に絞って提言しております。

2 ラムサール条約が掲げる条約湿地拡充のための数値目標

 2005年に、ウガンダのカンパラで開催されたラムサール条約第9回締約国会議(COP9)において、わが国は新たに20か所の条約湿地を追加登録し、既登録のものも含め、わが国の条約湿地は33か所となりました。これは、1999年のCOP7において決議VII.11が採択され、その付属文書である「国際的に重要な湿地のリストを将来的に拡充するための戦略的枠組み及びガイドライン」がCOP7当時1000か所近くに達していた条約湿地を2005年のCOP9までに少なくとも2000か所に倍増することを短期目標として掲げたため、わが国もCOP7当時の条約湿地11か所を倍増することを国内目標として取り組み、その結果、COP8では2か所、COP9で20か所を追加登録し、登録された条約湿地は合計33か所となったのです。
 COP9では、決議IX.1が採択され、その付属文書B「国際的に重要な湿地のリストを将来的に拡充するための戦略的枠組み及びガイドラインの改正」は、2010年までに2500か所の登録を目指すとされました。当時の条約湿地は約1600か所ですから、ガイドラインの改正によって、2010年までに条約湿地の約60パーセント増を目指すことになります。これをわが国に当てはめれば、2010年までに20か所増やすことになり、わが国の場合、慣例として締約国会議開催にあわせて追加登録をしてきましたから、2010年の翌年に開催される2011年のCOP11までには20か所を増やす目標を設定しなければならないことになります。
 JAWANは、2006年3月に環境省野生生物課と懇談を持ち、そのような目標設定をすべきであると提言しましたが、環境省からは、COP9で倍増の公約を果たし20か所も一挙に増えたので、当面条約湿地の管理の問題に取り組む必要があり、数値目標を設定する予定はないとの回答でした。その後も、環境省からは2010年までに条約湿地60%増の目標をどのように達成するのか全く方針は示されていません。このままでは、わが国は条約が掲げた2010年までの60%増の目標を達成することは不可能です。
 2006年の生物多様性条約のCOP8では、2010年までに現在の生物多様性の損失速度を顕著に減少させることが目標とされましたが、野生生物の生息地保護が図られなければ絶対に生物多様性の損失速度を顕著に減少させることはできません。ラムサール条約が2005年から2010年までに条約湿地の60%増を目標にしているのは、生物多様性条約の2010年目標と軌を一にするものであり、ラムサール条約の条約湿地60%増の目標を無視して、生物多様性条約の2010年目標を達成することが不可能なことは言うまでもありません。

3 COP9での追加登録に際し条約が考慮を求めていた長期的ビジョン

 JAWANは、COP9に向けて追加登録のための準備が進められている最中の2005年4月にも環境省野生生物課と懇談の機会を持ち、その際には、「今後のラムサール条約湿地登録に関する取り組みについての意見書」を提出し、条約湿地の登録について長期的ビジョンや数値目標を明確に設定すべきであると指摘しました。
 COP7で採択された決議VII.11の付属文書である「国際的に重要な湿地のリストを将来的に拡充するための戦略的枠組み及びガイドライン」では、短期目標について「条約湿地を拡充する際には、条約が採択した長期的ビジョン、戦略目標、及び条約湿地に関する目標を考慮すべきことを認識した上で、2005年に開催される第9回ラムサール条約締約国会議までに、少なくとも2000か所の湿地を『国際的に重要な湿地のリスト』に掲げるよう確保すること。」とあって、2000か所の条約湿地を目指す短期目標は長期的ビジョンや条約湿地に関する目標を前提にしていたのです。
 「長期的ビジョン」は「生態学的及び水文学的機能を介して地球規模での生物多様性の保全と人間生活の維持に重要な湿地に関して、国際的ネットワークを構築し、かつそれを維持すること。」とされていますので、わが国がCOP9までに日本国内の条約湿地を2005年までに倍増するとして準備を進める際には、上記長期的ビジョンを考慮したものでなければならないはずでした。
 ところが、環境省がCOP9を目指して候補地選定するに当たり示した方針は、「(1)わが国における保全上重要な湿地として選定された『日本の重要湿地500』の中から国際的な基準を満たすと考えられ、かつ予定を含む国指定鳥獣保護区特別保護地区等として保全が担保されている湿地について専門家による検討会を開催して検討を行なう。(2)候補地の中から、地元自治体から賛意を得られたものについて、条約事務局への登録申請手続きを行なう。」というもので、重要湿地の国際的ネットワークの構築と維持を掲げているガイドラインの長期的ビジョンには全く触れられませんでした。
 ガイドラインが示す長期的ビジョンとの関係で、COP8までに登録していた13か所の条約湿地に関する評価、問題点の洗い出しをした上で、これからの条約湿地選定における課題の検討をしなければ、COP9までの条約湿地倍増に際し、長期的ビジョンとの関係で最も相応しい候補地を選定することはできないはずです。しかし、環境省の当時の候補地選定方針は、長期的ビジョンとの関係で最も相応しい候補地を選定しようという配慮はなく、湿地保全のあり方に関する根本的議論を避けた、倍増のみを実現しようとする方針であることは明らかでした。
 そこで、JAWANは、2005年4月に環境省から示されたCOP9に向けた候補地選定基準を満たしている湿地の数だけでも50か所を超えており、ラムサール条約の選定基準を充たしていても、環境省から示された面積や法的担保の要件を充足していない湿地が相当数あることからすれば、わが国の長期的ビジョンとして、100か所以上の湿地登録を目指すことが明確に示される必要があると指摘し、さらに、わが国の長期的ビジョンとして100か所以上の湿地登録を今後20年程度で実現するためには、COP9で倍増の22か所を達成したとして、21年後のCOP16まで3年おきの締約国会議ごとに平均11か所以上登録していく必要があり、これが3年毎の新規条約湿地の数値目標として設定されなければならないと指摘したのです(実際には、COP9で33か所になりましたから、COP16までに100か所を超えるためには、平均10か所のペースで増やしていくことが必要になります)。
 このJAWANの指摘に対し、環境省からは、日本全体で50か所程度の条約湿地の登録は必要であるにしても、それ以上の登録の必要性については懐疑的な考えが示され、COP9以降の長期的ビジョン、数値目標の設定についての言及はありませんでした。
 このようにCOP9に向けたわが国の条約湿地倍増の取り組みが長期的ビジョンに基づくものではなく、倍増のみが目標であったからなのか、COP9で新たな条約湿地60%増という目標が設定されても、環境省からは、ある程度わが国の登録状況が進んだという評価がなされるばかりで、新しい目標に対しての積極的な対応はありません。
 本来、生物多様性条約の2010年目標と関連付けて、条約湿地60%増の目標の達成が目指されるべきところ、現時点においてそのような動きは全く見られないのです。

4 わが国の湿地政策として長期的ビジョンと数値目標を設定することの必要性

 ラムサール条約湿地の増加が生物多様性条約の2010年目標に資することは疑いがありませんが、そもそも「国際的に重要な湿地のリストを将来的に拡充するための戦略的枠組み及びガイドライン」が示した「生態学的及び水文学的機能を介して地球規模での生物多様性の保全と人間生活の維持に重要な湿地に関して、国際的ネットワークを構築し、かつそれを維持すること。」という「長期的ビジョン」の下では、どの程度の条約湿地の登録が求められるべきなのか、改めて考えてみたいと思います。
 JAWANは、2005年において条約湿地として100か所以上の登録が必要との見解を示しましたが、当時、環境省は50か所以上の条約湿地の登録には懐疑的でした。COP9でも長期的ビジョンの下に2005年から2010年の5年間の間に60%増が短期目標にされたことからすれば、環境省の50か所以上の登録に懐疑的な見解は、「国際的に重要な湿地のリストを将来的に拡充するための戦略的枠組み及びガイドライン」と距離があることは明らかです。
 ここで、湿地保全の先進国であるヨーロッパ諸国とわが国の条約湿地の登録状況を比較して、わが国の条約湿地の登録状況がヨーロッパ諸国とどれだけの差があるのかを確認しておきます。

世界 1675 Ramsar sites, 150,249,331 hectares
日本 33 Ramsar sites, 130,293 hectares
イギリス 165 Ramsar sites, 895,144 hectares
フランス 24 Ramsar sites, 828,803 hectares
ドイツ 32 Ramsar sites, 839,327 hectares
オランダ 49 Ramsar sites, 818,908 hectares
スウェーデン 51 Ramsar sites, 514,506 hectares
デンマーク 38 Ramsar sites, 2,078,823 hectares
スペイン 63 Ramsar sites, 281,768 hectares
 (2007年7月17日現在、ラムサール条約事務局のHPから)

 条約湿地の数については、断然多いイギリスを除けば、わが国は一見遜色がないように見えます。しかし、面積で見ると日本の6倍以上の国が多数を占め、デンマークはワッデン海の浅海域を広く登録しているために実に日本の15倍です。
 国土面積に違いがありますから、国土面積と国土面積に占める条約湿地面積の割合も比較してみる必要があります。

日本 37,783,500 hectares 0.34%
イギリス 24,482,000 hectares 3.65%
フランス 54,703,000 hectares 1.51%
ドイツ 35,702,100 hectares 2.35%
オランダ 4,152,600 hectares 19.72%
スウェーデン 44,996,400 hectares 1.14%
デンマーク 4,309,400 hectares 48.23%
スペイン 50,478,200 hectares 0.55%

 デンマークは、ワッデン海の登録面積が広いので、国土面積と比較するのは相当ではないのかもしれませんが、イギリスで10倍、フランスで5倍、ドイツで7倍、日本に近いスペインでも1.6倍、スウェーデンで3.3倍となっています。これらのヨーロッパ諸国と比較すれば日本の登録状況が未だとても貧しいレベルにあることは明らかです。
 わが国と同じ島国でかつ国土面積がわが国の3分の2のイギリスは、ラムサールの最先進国で、数で5倍、面積で6.9倍、面積割合で10倍です。
 「国際的に重要な湿地のリストを将来的に拡充するための戦略的枠組み及びガイドライン」に示された、重要湿地の国際的ネットワークの構築と維持という長期的ビジョンを実現するためには、わが国がヨーロッパ諸国並みの条約湿地の登録を目指すべきことは当然のことであり、そのためには、JAWANが2005年に提案したように、20年程度の間に登録数を100か所以上にして国内での条約湿地のネットワークを構築することをわが国の長期的ビジョンとし、3年ごとに10か所程度の追加登録を短期目標に設定することが、やはり必要になるのです。
 わが国が、2010年までに条約湿地数60%増という目標について何らの取り組みもせず、環境省がわが国の国家湿地政策であると条約事務局に説明している生物多様性国家戦略の中に条約湿地登録に関する長期的ビジョンや数値目標を盛り込まないままにしておくことは、わが国が締約国としての責務を放棄することに他なりません。
 第三次生物多様性国家戦略策定に際し、第一次、第二次の生物多様性国家戦略をレビューして、数値目標が設定されていなかったと反省するのであれば、第三次生物多様性国家戦略において、湿地保全の先進国であるヨーロッパ諸国並みのラムサール条約湿地の登録を目指した長期的ビジョン、数値目標を盛り込み、生物多様条約COP10の招致を目指す国として生物多様性に関する取り組みの真剣さを世界に示す必要があるでしょう。

5 数値目標を実現するために必要な制度的枠組み

 わが国が、今後ラムサール条約湿地に関して長期的ビジョンや数値目標を設定するためには、今までの条約登録に関しての制度的枠組みを見直すことが必須となります。何故かといえば、わが国の現在のラムサール条約湿地に関する枠組みは、条約が求めている条約湿地の登録条件よりも、独自の条件を設定して条約登録のハードルを高くしているからです。
 この点についても、JAWANは、環境省に対して問題点を指摘してきました。
 COP9までに条約湿地を倍増するために環境省が登録の条件としたのは、前述したとおり、「(1)わが国における保全上重要な湿地として選定された『日本の重要湿地500』の中から国際的な基準を満たすと考えられ、かつ予定を含む国指定鳥獣保護区特別保護地区等として保全が担保されている湿地について専門家による検討会を開催して検討を行なう。(2)候補地の中から、地元自治体から賛意を得られたものについて、条約事務局への登録申請手続きを行なう。」でした。さらに国際的基準を充たすか否かの当てはめに際しては、一定規模以上の面積を要求していました。
 このような法的担保や湿地の規模について、「国際的に重要な湿地のリストを将来的に拡充するための戦略的枠組み及びガイドライン」は、わが国が条件として示したものとは違う見解を明らかにしています。「国際的に重要な湿地のリストを将来的に拡充するための戦略的枠組み及びガイドライン」の中の「IV.ラムサール条約の下で優先的に登録湿地に指定する湿地を選定するための体系的方法の採用に関するガイドライン」には、面積に関し「規模の小さな湿地を見過ごさないこと」との記載があり、法的担保に関しては「締約国は、条約湿地への指定が、その湿地に対して、既になにがしかの種類の保護区という地位を付与されていることを要求したり、条約湿地への指定後に必ず保護区という地位を付与することを要求したりするものではないことを認識する。」と記載されています。
 何故、環境省は、ガイドラインの指摘を無視して高いハードルを設けるのでしょうか。この高いハードルとなった湿地の規模や法的担保の条件が、開発がようやく中止され、条約湿地に登録することにより確実な保全を求めた各地の重要湿地に大きな影を落としています。
 中池見湿地は、泥炭地として各生物地理区内の代表的湿地の登録基準に該当しますが、わが国では登録基準の当てはめに際し一定規模以上の面積を要求したため、地下40メートルに10万年の記録をもった国際的にも極めて重要な泥炭地である中池見湿地が、小規模であったことを理由のひとつにして、COP9のためにリストアップされた54か所の候補地にも入っていないという、まさに国際的には信じがたい状況が出現しました。
 また、中池見湿地、三番瀬、渡良瀬遊水池等では計画されていた開発が一旦止まったという経過がありましたが、直ぐには保全の担保がなされなかったり、地元の意見がまとまらなかったために、この保全の法的担保が必要という条件によっても、登録が足踏みし、その間に新たな開発の危機に曝されるという状況を招いてしまったのです。
 条約登録された湿地が十全に保全されていくためには、環境省の所管する自然保護に関する法律による保護区設定が必須の条件でしょうか。たとえば、河川区域の湿地であれば、国土交通省が主体となって、条約登録された後にラムサール条約の様々なガイドラインに従って湿地の管理計画を立てて管理していくことによっても、保全の担保としては十分なはずです。
 今までの高いハードルを改め、条約湿地登録に関する長期的ビジョン、数値目標を設定するに際しては、今までのラムサール条約に関し環境省だけが専管する枠組みを同時に見直すことも必要でしょう。環境省を事務局としながらも、国土交通省や農水省を交えた国内湿地委員会のような組織を設け、条約湿地の登録推薦、今までの保護区指定に変わる登録された後の湿地の管理に関する方針策定・管理状況の監視等の機能を担うような条約湿地をめぐる枠組みを新たに構築することによって、初めて大幅な条約湿地の追加登録の可能性が開かれるということができます。

6 おわりに

 以上、ラムサール条約湿地の登録に関する長期的ビジョン、数値目標に絞って提言しましたが、わが国におけるラムサール条約をめぐる状況の中で最も問題なのは、ラムサール条約湿地のわが国の自然環境保全政策の中での位置付けが不明確なために長期的ビジョン、数値目標が設定されないことにあり、この問題が解決しないかぎり、わが国においてラムサール条約に忠実な湿地政策の展開を望むことはできません。
 その意味において、今回のラムサール条約湿地登録の長期的ビジョン、数値目標に関する提言が第三次生物多様性国家戦略に反映されるか否かが、生物多様性国家戦略が名実ともに有効な戦略となり得るのか否か、わが国で開催される可能性が高い2010年の生物多様性条約COP10の成功を導けるか否かを決定していくといっても過言ではなく、私たちJAWANとラムサール条約湿地を増やす市民の会は、今後の第三次生物多様性国家戦略の策定作業を注目しております。

以 上


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