泡瀬干潟の現状
――ラムサール条約を踏みにじる無謀な埋立着工

小林 聡史(釧路公立大学教授)

 北海道から沖縄を訪れてみると、日本の南北端で共通する課題が多いことに驚かされる。まずは、いずれも公共事業依存体質が強い土地柄であること、また、私のように外から住み着く人間にはその自然が魅力なのだが、地元の人々はその価値をそれほど理解しているとは思えないこと。それでも北海道ではようやく、自然財産を食いつぶしてしまえば未来はないことを多くの人間が語り、おそらく理解するようになってきたのだと思う。しかし、沖縄ではせっかくの自然を食いつぶす事業が目白押しである。土地の大きさ(そして人口密度)が違うと簡単に片づけられない問題だ。

 環境省が発行した「日本の重要湿地500」の中では、都道府県別で重要湿地が50以上あるのは沖縄と北海道だけである。密度を考慮するとまさに沖縄は日本のホットスポットだ。北海道にはラムサール条約登録湿地が6か所あるが、沖縄は漫湖ただ一か所のみである。
 瀕死の重傷で勲章をもらった漫湖以外、沖縄の湿地はきわめて気の毒な状況だ。将来の世代はこの事態をどう評価するだろうか。

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▲海上部分の埋立を行っている工事船
 環境省が独自に意見を述べてから2ヵ月後の昨年12月、泡瀬では「海草移植計画」が作られ、海上部分の第一期工事が開始された。2008年度・2009年度には土を入れる予定だという。3kmに及ぶ汚濁防止幕が張られ、工事車両のための仮設橋梁が建設されていた。

 一期工事は施工面積96haとなっており、これにより消失する干潟部分は干潟全体の1%以下であると強調されている。しかし、陸地と埋立部分に挟まれてしまうことになる干潟が、本来の生態系の機能を果たせるのだろうか? さらに現場の説明版には、「出島(人工島方式)の採用により泡瀬干潟の保全をします」「海草類(リュウキュウアマモ・ボウバアマモ)の移植をします」「希少生物『トカゲハゼ』『クビレミドロ』の保全をします」「工事はモニタリングを行いながら進め、環境保全に十分配慮をします」と並ぶ(太字筆者)。

▲「保全」の文字が並ぶ埋立工事の看板
 本年1月、日本弁護士連合会(湿地グループ)の現地調査に参加し、事業者側から説明を受けたが、工事に当たっての環境保全措置については次の3手法を組み合わせて図ろうとしていることが明らかになった。すなわち、?人工干潟の創設、?藻場を構成する海草の移植、?希少種の培養保存、である。しかし、ここで保全を図ろうとしているのは「泡瀬の生態系」のはずであるが、これらをバラバラに組み合わせれば生態系は保全されるだろうという、生態系を理解しているとは思えない発言であった。検討委員会は何を検討してきたのだろうか。しかも、これらの3手法はよく説明を聞くと、いずれも確立されていない手法である。藤前干潟保全の際に環境省(当時環境庁)が指摘したように、人工干潟は自然干潟の持つ機能の代替とはならない。また、海草の移植に関しても「機械移植」を実験するもうまくいかず、手植えを行うことで工事着工に踏み切り、工事を進めながら機械移植の改善を図り再試行を意図するということだ。これでは始めに着工ありきと批判されても仕方ないだろう。また、希少種の培養も仮に今後うまくいったとしても、それは人為環境の中での話であり、自然生息地での生育や生態系保全とは別の次元の話である。

 事業主体の内閣府沖縄総合事務局が昨年12月16日に発表した、「中城湾港(泡瀬地区)公有水面埋立事業にかかる海草移植計画」では次のように記載している。「環境影響評価書(平成12年3月)では、海草類で構成されている藻場については、埋立工事による影響の回避、低減は困難である一方、当該地区の生態系における海草藻場の役割が重要であることから、海草藻場の消失に伴う生態系全体への影響は大きいと予測された。」(太字下線筆者)

 藤前干潟の事例では、大規模埋立事業としてはおそらく日本で初めて環境アセスの中で「生態系への影響」を認めたものとなり、その結果再考がされたのだが、泡瀬では影響を予測しつつ、まるで「(それなりの対応も考えるんだから)まあいいか」と無視するかのように着工に踏み切られている。

 「中城湾港(泡瀬地区)公有水面埋立事業における藻場生態系保全の基本的な考え方」として「リュウキュウアマモ、ボウバアマモ等の海草類で構成される海草藻場(アマモ場)は、海水の浄化や底質の安定化の機能を有するとともに、生物の産卵・稚仔魚の保育場・餌場となるなど、生物の多様な生息環境を提供する重要な場である。事業者としては、本事業により海草藻場の生育地の一部が消失することとなるが、残される藻場が保全され機能が発揮されるとともに埋立の代償として藻場造成を図ることによって、海域全体の生態系機能の減少を低減していくことが最も重要であると考えている。」(同上)

 事業者側との対話の中でも、湿地の機能損失を防ぐ「No Net Loss(ノーネットロス)」の考え方が出てきたが、質問してみると「(海草)移植が成功すれば(生態系として)同じ機能をもつ」との答えが返ってきた。さらに人工干潟によって「ネットでは(正味では)干潟は増える」との発言もあった。

 「リュウキュウアマモ、ボウバアマモなどの熱帯性海草は、移植事例も少なく学術的に確立されたものでないため、モニタリングを適切に行い、その結果を環境監視・検討委員会に諮り、指導・助言を受けたうえで、以下のように移植計画・施工にフィードバックさせていくこととする。なお、平成15年度以降については、機械化移植の実用化の動向も十分見極めていく必要がある。」

 学術的に確立しないことを明言しつつ、内臓移植を進める医者がいたら、誰も手術を受けないとは思うが、こと生態系に関してはそんな無謀がまかり通るらしい。

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 日本も加盟国であるラムサール条約の事務局から「泡瀬干潟埋立」について問い合わせの書簡が日本政府宛に送られた。条約事務局から、日本国内の干潟に影響を及ぼす開発計画についての問い合わせは、これで諫早に次いで2番目である。登録湿地の情報把握だけでも大変な業務を背負っている条約事務局が、特定の締約国(加盟国)の登録湿地でもない干潟の問題について問い合わせを行うことは、極めて特殊な例だと考えていい。

 日本で締約国会議を開催し、その後アジアの湿地保全で指導的役割を果たそうと努力してきた政府に対しては内外の評価も高い。しかし、一方で締約国会議の中で度々必要性が強調されてきた干潟の保全と逆行するような政策を実行していては台無しである。それどころか日本の湿地政策はアジアの他の国々に計り知れない影響を及ぼす。この点に関しては、ラムサール条約第8回締約国会議(2002年11月、スペインのバレンシアにて開催)で諫早、泡瀬、そして韓国のセマングムの干潟埋立事業の問題点を訴えようとした、日韓のNGOの方が行政側よりも重要性を認識していると考えていいだろう。お金を使って干潟をつぶしている時代ではなく、お金を使って干潟を守るべき時代のはずだ。

 日本のNGOの招待で泡瀬を訪れた、米国商務省海洋大気研究所の海草専門家フォンセカ博士はオーストラリアやフィリピンに匹敵する海草の宝庫だと感嘆していた(2000年10月)。また、沖縄では10種類もの海草が生育していることを聞かされ、驚嘆していた。泡瀬ではそのうち9種類が確認されている。

 また、今年3月末にはラムサール条約の公式な協力機関である国際NGOの「バードライフ・インターナショナル」から、泡瀬における埋立事業の再考を求める要請が政府に対してなされた。泡瀬干潟は沖縄本島最大のシギ・チドリ類の中継地及び越冬地であり、特に、ムナグロの越冬数は日本最大だ。これは問答無用でラムサール条約の登録基準を満たしている。

 瀕死の漫湖を登録したはいいが、それ以上に価値のある泡瀬を守れなくては日本国民の良識が疑われてしまう。

(JAWAN通信 No.75 2003年6月1日発行から転載)