マイナピルギナからの便り
2003年繁殖調査報告から

柏木 実(日本湿地ネットワーク)

●第1便(7月12日)

 昨年は7週間の調査期間中、ほとんどご連絡ができませんでした。水鳥たちの繁殖地はそんな人間の生活圏から離れたところにあります。今年の調査は村(集落といったほうが日本人の感覚にあてはまりますが)で最初の電話を引いたという、ラマン・ラガロチェフという方の全面的な協力をいただいており、ファックスを送れます。

 今年も、調査地に到着したのは成田を出てちょうど1週間目です。モスクワ−アナディルは週2往復、アナディルからは1往復なのですが、アナディルというチュコト自治区の首都で3日待っても、天候が悪くヘリが飛ばず、イワシなどを加工する漁船に乗せてもらいました。5月末にモスクワを出た先発隊は、途中アナディルで2週間もヘリコプターを待たされました。

 ここはマイナピルギナというチュコト半島南部の村です。マイナというのはチュコト語で「大きな」という意味、ピルギナは「潟湖」で、近くにペクルニー湖という南北25km、東西30kmくらいの湖があります。下の地図のような場所で、調査はこのマイナピルギナを中心に50−100kmの範囲で行います。全鳥類のセンサス(個体数)調査と、シギ・チドリ類とガン類の繁殖調査です。

 ガン類は、このマイナピルギナの北西30kmくらいにあるヴァーマチカ湖で繁殖するマガンの調査です。このプロジェクトは、日本雁を守る会とロシア科学アカデミーとの共同プロジェクトです。日本にやってくるときのために、数字の入った色のついた首環をつけます。雛たちの羽化が始まり、成鳥たちは渡りの前に新しい羽を準備するために換羽する時期に入ったこの時期、捕獲を始めます。10日、11日は私もキャタピラー車で連れて行ってもらいました。
 河口の少し上流は長野県の安曇野の風景で、植生は7月のアルプスのお花畑にそっくりです。抱卵をこのあたりで行った後、河口部で換羽を行いますが、韓国のナクトン江河口の数倍、小櫃川河口の数十倍の広さがあり、植生が豊かで、中州の発達した地形です。ガンたちは、飛べなくなるこの時期、中洲に移って、外的に襲われないようにして換羽を終わらせます(しかし抱卵中にシロギツネや、ヒグマなどに襲われたものが、なんと50%近くとか)。

 シギ・チドリ類の調査の方が日本湿地ネットワークのロシア科学アカデミーと行なっているプロジェクトで、これはマイナピルギナの集落のすぐ外から、20−30kmくらいの範囲で、ヘラシギを中心としてさまざまな種の繁殖の様子、営巣環境を調べています。ハマシギは、私の到着が遅れたので、すでに孵化が終わっていそうです。捕獲が困難になりますが、できるだけ多くの標識鳥を増やそうと思っています。
 ただ、アラスカではすでに200弱のハマシギの標識鳥が放鳥され、すでに日本、台湾で観察されているのに、チュコトでも150羽くらい標識したのですが、フラッグ観察がありません。このことは、チュコトから日本に来る割合が、アラスカよりずっと少ないということかもしれません。
 ヘラシギについて、今年はこれまで考えられていたよりもずっと奥地での営巣が見つかりました。中継地や越冬地できちんと調べる必要がさらに出てきました。ここはハマシギやヘラシギ以外にも、ムナグロ、メダイチドリ、ハジロコチドリ、オバシギ、ヒバリシギなど16種ものシギ・チドリ類が、それぞれかなり違う環境で繁殖している重要な繁殖地です。

 これまでの調査の結果、全世界の個体数3−500羽と推計されるヘラシギは、韓国の全羅北道の干拓現場セマングムが最大の渡りの中継地です。この、諌早干拓の11倍の干拓面積を持つ事業の開発者たちはシギ・チドリ類がどこにでも生息地を見つけて移動できるから、あの大きな中継地を埋め立ててよいと主張しています。このことは、この繁殖地全体を埋め立てても他で繁殖できると主張しているようなもの、とチームの人たちも怒っています。

 というわけで、私はここで、両調査地合わせて11名(ロシア7、ドイツ3、日本1)のメンバーと7月4日から調査を始め、毎日10kmくらいフィールドを歩き回っています。おかげでかなりのダイエットです。ではまた。

●第2便(7月20日)

 11日に先発隊のうちリーダーのジュニアを含む3人が帰りました。
 ガンは子育てが一段落して換羽を始めます。羽がなくなって飛べなくなるこのときを見計らって、ガンの捕獲を始めます。研究者で、サブリーダーのヴァロージャがヴァーマチカへ移動(33kmを徒歩!!で)したので、シギ・チドリ部隊は2人になりました。

 ヘラシギはマイナピルギナ集落のすぐ近く(一番近いのは200m弱)でも営巣しており、そこから、この一帯の一辺20km位を調査しています。10km以上のところは、地域の人でオートバイ(サイドカーつき)を持っている人に頼んで運んでもらいます。
 私の方は、ハマシギを探して歩きまわっています。ハマシギは、ここでは湖の西側にある氷河の侵食丘陵の間のツンドラに営巣しています。丘陵地は、起伏に富んで、残雪が水になって残り、圏谷がいっぱいあって、適当な高さの草が生えた湿地で、ハマシギが営巣地としてよさそうなのですが、なぜか北の方(ベースとなっているフラットから遠い方に)にしかいません。それで私は、ハマシギを求めて村から、直線距離で、4〜8kmあたりの圏谷を歩いていました。
 ツンドラの湿地を歩いていくと、営巣中や、ヒナを連れている親鳥が私を見つけて警告の声を上げます。シギ・チドリ類であれば、その声と、その後の行動を観察して、巣があればそこにワナをしかけて、卵を暖めに戻った親を捕まえます。親鳥の本能を利用するのに、抵抗感もあります。東京湾でも、チュコトでも25年間に75%も減少しており、適切な対策がとても大切です。

 シギ・チドリ類の調査をするメンバーを紹介します。
 11日に帰ったのが、この調査のリーダーのジェニア・シロエチコフスキー(ロシア科学アカデミーの生態・環境研究所とガン研究会(RGG)の責任者で、北極圏踏査を90年代から企画)。彼の連れ合いのレナ・ラッポ(科学アカデミーのシギ・チドリ類研究会の研究者)。それと、ロンドンにあるボン条約関係の研究所で働いているドイツ人のクリストフ・ツェックラー。彼もシギ・チドリ類担当。
 私と一緒に残ったのが、昨年もベリャカ洲で一緒に1ヶ月調査したヴァーニャ・タルジェンコフ。彼は5月に昨年の調査でディプロマ(日本の修士論文)を出しました。主にヘラシギの生態調査をしています。それと先ほどのヴァロージャ・マローゾフ。彼は70年代終わりに、この調査の共同研究者でもあるパヴェル・トムコヴィッチの指導でトウネンの研究を行って以来、シギ・チドリ類から、ガン・カモ他さまざまな鳥類の研究をしてきた人です。

●第3便(8月1日)

 踏査も次第に終わりに近づきました。予定では、10日に、チュコト政府で使っているヘリコプターが私たちと、踏査機器など一切をアナディルまで運んでくれるはずになっているのですが……。[結局ヘリは飛ばず、16日にキャタピラーで出発。アナディルについたのは20日早朝だった]

 *マガン担当のメンバーについて:ずっとヴァーマチカに貼りついているのが3人の大学生、モスクワ大学4年生(来年に論文)のフェージャと、ドイツのイェーナ大学4年生のマティアスとアンナです。中心はヴァロージャ。ディーマ・ダブルイニンは、モスクワ大学のリモートセンシング研究室の中心人物で、石油など鉱物資源に関する仕事もしてきていますが、ガンの生息地と衛星画像の関係を調べてきていて、ヘラシギの生息地を衛星画像から把握し、保護のための情報にしていこうという今回の調査のひとつの分野を担当しています。もう一人のアレクサンドル・アルトゥチョフは、ガンの調査にずっと参加してきた獣医学校の先生です。年長者で、私くらいの年齢だと思いますが、聞き出せていません。ユーモラスな人です。[実は私が最年長だった]

 *マガンの調査について:マガンチームのキャンプしているヴァーマチカ湖はマガンの繁殖地です。少し奥地にヒシクイの繁殖地もあり、数十の個体が生息していますが、マガンはおそらく1000羽ぐらいがここで繁殖しているとのことです。マガンたちは、ヴァーマチカ川の河口にあたる湖よりも2kmくらい上流のデルタ地帯に分散して営巣しています。雛が孵ったあと、同じところで給餌や保護の必要がなくなるまで過ごします。親鳥たちはその後渡りに備えて、換羽します。この間は、ほとんど飛ぶことができなくなるので、周りを水で囲まれ、隠れ易い、河口近くの丈の高い草の生えている島に移動し、じっと潜みます。
 踏査チームは前半、デルタの中の、少し高い丘陵をベースキャンプとして、営巣状況を調査していましたが、換羽にあわせてキャンプを河口近くに移し、飛べなくなった彼らを捕獲し、標識リングをつけ、首に数字のついたカラーリングをつけて放鳥しています。
 マガンは2−3kgもあり、力も強いので、まず捕獲網のための杭を立てて放置し、警戒心を解いてから網を張り、網に追い込んで捕獲します。島の上を走りまわるガンを追いかけたり、水に逃げた個体を捕まえたり、という作業になります。かなりの知識、知恵と、体力、泳力が要求されます。27日に戻ってきたディーマの腕や体には、爪による掻き傷や、嘴による突き傷がいっぱいでした。(私自身はハマシギを主に、小型のシギ・チドリ類を探し回っているので、ガンの調査には加わっていません。全て伝聞です……)

 フィールドの色が変わってきました。足元の植物が紅葉し始めました。ここは北極圏から少し南に外れた所にありますが、確実に秋に向かっています。ずいぶん静かです。鳥たちは子育てを終えて、渡りの準備に移動し始めたようです。それでは。

2003年9月21日、韓国全羅北道セマングムの干潟にやってきたヘラシギの幼鳥
 2003年の南への渡り、チュコトからのハマシギはまだ見つかりません。しかしヘラシギは一昨年の東京湾に続いて、昨年の夏フラッグをつけた幼鳥の一羽が、今度は9月22日に韓国のセマングムで観察されました(右の写真。右足関節の上にフラッグがある)。また、ヴァーマチカで標識をつけた55羽のマガンのうち、11月はじめの段階で45羽が宮城県にやってきたことが確認されました。
 このチュコトでのシギ・チドリ類調査は2000年の繁殖期から、これまでWWFJ、トヨタ財団、経団連自然保護基金の助成を受けて続けてきました。援助が続けて受けられれば、2004年も5月末から、8月までマイナピルギナで調査を行います。韓国市民たちが11月からセマングムで始めている毎月の調査とも連動し、中継地での観察を増やしたいと思っています。
 シギ・チドリ調査の様子は次号でお伝えします。
(2004年1月)

(JAWAN通信 No.77 2004年2月20日発行から転載)