2004年はじめの憤り

辻 淳夫(藤前干潟を守る会/日本湿地ネットワーク代表)

 世の中に理不尽なことは多いけど、国の指導者がめちゃくちゃな論理を使うようになってはおしまいだ。「国際紛争の解決に武力を用いることを放棄した」崇高な理想をかかげた憲法さえ理由にして、国連の意思に反してイラク侵攻を進めたアメリカの同盟軍として、自衛隊を派遣するというのだから。
 世界の指導者を自認するアメリカ大統領は、国連調査団を押しのけ、「大量破壊兵器」を理由にイラク侵攻を進めたのに、自国CIAの調査団長がその「存在」を否定すると、「やったことは正しかった」が、「私も事実を知りたい」とトボケている。
 意図的であったかどうかはともかく、結果として明らかになった「判断の誤り」からの侵攻が何を引き起こしたのか、イラクの民間人1万人以上と自国の兵士500人を犠牲に、どんなに抑えつけても、「自爆テロ」によるレジスタンス(抵抗)が広がる現実がある。
 「力は正義」と、抵抗するものは圧倒的な火力で粉砕する身勝手な暴力と、民族の誇りを無視して、「自分の都合」を押し付ける傲慢さこそが、9.11を引き起こした本質であることを、その被害者の遺族ですら気がついているのに。
 問題は大方のマスコミも、「どうしてこうなったか?」の調査団設置に大統領が同意したと、まるで同じ側に立つ報道をしていることだ。「判断の誤り」と「侵攻の過ち」を反省し、元の状態に戻していく努力を求めることが先だろう。

 湿地保全とは場違いなようだが、「いのちの尊厳」を忘れ、「判断の誤り」を認めず、「調査」が必要と、問題をすり替え、先送りしていくのは、「諫早」における農水省と同じで、それを許してきた私たちの社会も、同質な問題を抱えている。
 「有明大異変」から3年、復元すすまぬ諫早干潟をもう一度思い起こしてみよう。
そもそも、諫早干拓事業は、アセスメント(環境影響評価)で「諫早を閉め切っても、その影響は近傍に限られ、有明海に及ぶことはない」という判断をもとにはじめられた。
 そのとき、誰もがその判断に同意し、その結果を予想しなかったのだろうか?
故山下弘文さんはこの事業に一貫して反対してきた。諫早湾全域を閉め切る当初構想の3分の1になったとはいえ、漁師が「有明海の子宮」、「いのち湧く泉水海」と呼んでいた諫早湾内の干潟全てを、一気に失うことの結果を正確に見ぬいていたのだ。

 誰の目にも明らかに「有明海への影響」が出た以上、上記のアセス審議会を再招集して、アセス判断の当否を確認させるべきだった。そうした判断をした委員個人としても、良心があるなら、山下さんや漁師たちの言った通りになったと、土下座してでも謝罪し、水門を開き、締め切り堤防を撤去する「原状回復」を進言すべきであった。
中・長期開門調査検討会議の会場前でアピールする、諫早干潟緊急救済東京事務所などのメンバー(2003年12月19日)
 しかし農水省は、「海苔不作原因を科学的に調査するため」と(第三者)委員会を作り、そこで出た短・中・長期の開門調査提言さえ、短期を実行しただけで中断、次は農水省OBの「論点整理」委員会で「やらない提言」・・・。「調査」とか「委員会」とかいうものに期待しがちな国民を、先送りとすり替えの術でめくらましたのだ。
 佐賀地裁の差し止め判決や、公害審議会の「裁定」に期待しながらも、私たちは、この3年間の「茶番劇」に、もっと怒らねばなるまい。

(JAWAN通信 No.77 2004年2月20日発行から転載)