大分県佐伯市大入島石間浦の埋立事業の問題点

山下博由(貝類保全研究会)

 大入島(おおにゅうじま)は、豊後水道に面した佐伯湾に浮かぶ周囲23.2kmの離島である。佐伯市の佐伯港からは約700mの距離(フェリーで7分)である。人口は1300人弱。漁業を中心とした集落であり、大入島の漁業生産は、佐伯市全体の7割を占めている。

 フェリーの着く島の表玄関であり中心地である石間浦(いしまうら)は、島の南端にある。石間浦の東海岸に、大分県土木建築部(国土交通省国庫補助事業)による大入島東地区港湾環境整備(廃棄物埋立護岸)事業(事業期間、平成9年〜22年)があり、6.1haの埋め立てが計画されている。公有水面埋立免許願書は平成14年7月に提出され、15年1月に認可された。

埋立計画地で採集されたミヤコドリガイ。殻は約1cmで橙色。 絶滅危惧種。(写真:岡山大学水系保全学研究室)
 石間浦の埋立計画地は非常に豊かな磯・海辺環境である。海藻や貝類(アワビ、サザエ)などの地先漁業の豊かな漁場になっていることが、何よりもそのことを証明している。環境省の全国藻場調査によっても2haの藻場が確認されている。バンドウイルカの回遊域であることも、磯環境の豊かさを示している。山下及び福田宏博士(岡山大学助教授)らは、2003年8月のわずか2日間の調査で、埋立計画地周辺から150種以上の貝類を確認した。その中にはミヤコドリガイなど6種の重要な絶滅危惧種と20種以上の大分県新記録種が含まれており、この海域の生態系の豊かさ・貴重性が示されている。その他、ウミシダ・タツノオトシゴなど多くの海洋生物が生息している。

 石間区(=石間浦)では、古くから、地先の海藻や貝などを地区民が採取し、その権利を地区として所有・保護してきた。これが「磯草の権利」と呼ばれる慣習的漁業権であり、いわゆる入会権や地先権の一種である。地区住民全員が自由に採貝・採草する権利を有する他、入札によって権利を独占することもできる。入札によって得られた収入は区の運営費にあてられてきた。現在では、海藻の採捕は住民が主に自家消費として行ない、経済価値の高いアワビ・サザエの採捕について入札が行なわれている。入札額は30〜60万円であると言われる。現在、埋立事業との関連において「磯草の権利」訴訟が大分地裁で行なわれている。熊本一規氏はその著書の中で「磯草の権利は地区の持つ財産権には間違いありませんから、それを無視して埋立はできません」と述べている。また、石間浦の埋め立てを、石間区以外の組合員の多数決で決めたことについて、漁業権放棄無効の訴訟も行なわれている。

 埋立必要理由書には、埋立の動機として、(1)市民が水辺と親しむための緑地の整備、(2)住宅用地の確保、(3)港湾整備及び道路整備に伴う土砂処分場の確保、が挙げられている。しかし豊かな自然を破壊しての公園化は疑問であるし、緑地も宅地も大入島の既存の陸地に充分に存在している。埋め立ての実質的な最大理由と考えられる土砂処分においては、佐伯港内の浚渫土砂も持ち込まれるが、これは興国人絹パルプなどの排水によって長年の汚染にさらされてきたもので、現在も住民達がヘドロと呼ぶ汚染の疑いの強いものである。しかもこの埋立地は大入島小学校の正面に位置している。子供たちがダイオキシンなどの被害にあう可能性もある。

 大分県は山下らの貝類調査結果を受けて、2003年11月14日から数日間、追加調査を行なったが、その分析結果を待たずに11月18日に着工の指示を出した。これは環境保全措置を含む事業の手続きとしては極めて非常識なものであり、大分県には環境NGO、研究者から多くの抗議が集中した。石間浦の住民は11月18日から、現地に3つのテントを張り、着工に対する監視・実力阻止を始めた。このため大分県は現在も着工していない。

大入島の埋立予定地の全景(写真:環瀬戸内海会議)
 さて、この大入島の埋立問題には、日本の環境運動史上、いくつか注目される点が存在する。第一に、この海域の存在そのものに対する石間住民の強い愛着がこの運動を支えているという点である。石間浦で行なわれている漁業活動は、自家消費の海藻採取、数人の老漁師による刺し網漁・採貝とそれに伴う入札があって、地区全体にとっての経済性は決して高くない。根本的には非常に利害的要素の薄いものであり、また生態系保全やいわゆる自然保護という視点でもなく、場所そのものへの愛によって、この運動が支えられているのが明らかである。すなわち最も単純明快な動機の、環境運動の原点に近い運動が、ごく普通の住民達によって展開されている。第二に漁業権・地先権・入会権の問題と、さらにはそれらを含む地域の自治とは何かという問題が、現在の日本に問われる大きな事件であることである。環境運動とは、すなわち住民運動であるが、住民とは何か、日本における民主主義がこの島で今まさに問われようとしているのである。「磯草の権利」の剥奪は、住民が地域の自然と関わる権利を否定するものに他ならない。

 小学校の眼前にあり、イルカが泳ぎ、地域の人が生活の糧を得、限りなく愛している、この海を埋め立てようとしているのは何者なのか?

(JAWAN通信 No.77 2004年2月20日発行から転載)