渡良瀬遊水池をめぐる動きと現状

高松健比古(渡良瀬遊水池を守る利根川流域住民協議会 代表世話人)

はじめに

 渡良瀬遊水池(現在国土交通省は「渡良瀬遊水地」と表記)は、釧路湿原に次ぎ国内第2位、本州以南最大のヨシ原を有する関東平野内陸の大湿地で、ラムサール条約登録湿地の有力候補地となっています。
 しかし、これを管轄する国土交通省利根川上流河川事務所は、昨年から「自然環境より治水優先」を明言し、それまでの市民団体との対話路線を転換。強権的・官僚的対応を見せています。ごく最近は再びその強硬姿勢を修正する動きも見せていますが、一連の動きはまだ不透明です。
 以下、渡良瀬遊水池をめぐるこれまでの経緯を述べ、さらに現状についてご報告します。

1.渡良瀬遊水池の概況

 関東平野北部、4県(栃木・茨城・群馬・埼玉)2市4町にかかる渡良瀬遊水池は、広さ3300haの国内最大の遊水池で、渡良瀬川最下流部、利根川まで数kmの位置にあります。明治時代、足尾鉱毒事件の被害拡大防止と事態沈静化のため、谷中村を廃村化して作られ、それに抗して田中正造らが地元民とともに闘ったことはよく知られています。
 遊水池内は、現在、囲繞提によって第一・第二・第三の3つの調節池に分割され、中央を渡良瀬川が貫流。また第一調節池の南部には約450haの渡良瀬貯水池(谷中湖)が80年代に作られました。
 一帯はもともと広大な低湿地であり、戦前まで、赤麻沼・石川沼等の大きな池沼が存在しました。開発による環境改変や乾燥化、渡良瀬川の土砂流入による池沼の消失等が起きてもなお、国内第2位・本州以南最大(約1500ha:国交省調べ)と言われるヨシ原が残っています。
 そのため湿地の動植物は豊富で、植物では湿地性のレッドリスト記載種が約40種確認され、また鳥類は230種以上の記録があって、特にチュウヒ、ハイイロチュウヒを代表とする越冬ワシタカ類の豊富さは、おそらく国内屈指と思われます。
 現在、地元の市民団体「渡良瀬遊水池を守る利根川流域住民協議会」では、『渡良瀬遊水池のラムサール条約登録湿地化実現』を目指し、シンポジウム開催や、環境省・国交省・関係自治体への要望等、啓発や要請行動を展開中です。

2.第二貯水池計画をめぐって

 1990年に自然保護や歴史、公害問題等に取り組む約20団体が結集して作られた「渡良瀬遊水池を守る利根川流域住民協議会」は、自然保護上も歴史上も重要な渡良瀬遊水池を守るために、様々な活動を展開し大きな成果を上げてきました。
 その最大の成果は、遊水池東部に建設が予定されていた第二貯水池計画を、10年余にわたる運動の末に中止させたことです。
 建設省(当時)は、洪水調節だけでなく「首都圏の水がめ」としての機能を渡良瀬遊水池に求め、治水・利水の両面からの活用を目論んでいました。その第一段階が450haの渡良瀬貯水池(谷中湖、88年に完成)、第二段階が270haの第二貯水池でした。
 貯水池建設の是非は、建設省(当時)内部の審議会(通称ダム審)にかけられ、住民協議会の指摘通り自然環境保全と水質問題が未解決だとされて、97年に計画が一時中断。さらに5年後の2002年8月に、正式に中止が決定されました。市民運動が実り、平地ダムが止まる、という画期的な成果となったのです。
 貯水池建設の必要性では、建設省の利根川上流工事事務所(利根上、当時)と住民協議会は鋭く対立してきました。しかし一方で話し合いの路線は崩さず、共同調査等の実施による各種データの共有化や、シンポジウム等への相互参加もなされました。また乾燥化の進行や湿地保全の重要さ等の認識では一致、市民の側からの環境保全対策への助言や将来像に関する提言等、プラス方向へ進む関係も築かれてきました。02年8月の中止決定後は、官民が対等な立場で、未来へ向けての健全なパートナーシップが確立される、と期待されました。
 しかし一方で、明治期の遊水池誕生以来連綿と続いてきた大規模土木事業の終焉は、地元の関連業者やそれに連なる巨大な勢力には大きな打撃となったと思われます。彼らは強い危機感を持ち、現在でも国交省や自治体に圧力をかけ続けていると推測されます。
 最近は、地元自治体関係者や住民代表を名乗る人から、ことあるごとに洪水の恐怖や治水対策の必要性が力説されるようになっています。

3.国交省河川事務所の姿勢転換と谷中湖干し上げ

 こうした風潮と呼応するかのように、利根川上流河川事務所は昨年4月に所長が交代するや、この数年間の方向をほぼ全てにわたって修正あるいは180度転換し、10年以前昔に逆戻りしたかのような対応を取り始めました。所長の発言は、
1)渡良瀬遊水池では治水が最重要で最優先される。
2)利水のための第二貯水池は中止したが、治水容量の不足分500万トン確保の課題は残されており、実現されねばならない。
3)住民協議会等との共同調査は必要性がないので行わない。直接の対話にも応じない。住民協主催のシンポジウムへの出席もしない。
4)遊水池内で行う市民団体主催行事は、事前にきちんと手続きを行わなければ許可しない。
等々。
 ――利根上がなぜこのような態度に出たのか。国土交通省内部の反動化と関係がある、という声もありますが、とにかく治水最優先を一方的に宣言し、市民団体を無視あるいは意図的に排除する方向を打ち出したこの姿勢は、昨年夏以降次第に顕著になりました。それと歩調を合わせるように、地元からの洪水恐怖論や鳥害問題発言が繰り返されていることも事実です。こうした状況から、自然保護団体としては「治水名目の第二貯水池復活の恐れあり」として、警戒心を強めざるを得なくなりました。
 さらに利根上は昨年12月末、今年1月から渡良瀬貯水池(谷中湖)の水を抜き、2月から3月に水位がゼロになるまで干し上げて、春から夏の水質を良くする、という「谷中湖干し上げ」計画を突如発表し、住民協議会や日本野鳥の会の関東各支部の中止申し入れも聞かずに強行しました。
 渡良瀬貯水池(谷中湖)は、利根川水系主要8ダムの1つで90年以降東京圏に水道水を供給していますが、もともと水質が非常に悪く、構造上の欠陥もあって毎年アオコが大量発生し、カビ臭がひどくて単独では水の供給ができない欠陥ダム。国交省も、これまでに水質改善策を試みましたが成果があがらないため、それを一気に変えようとしているのでしょう。「干し上げ」が、本当に効果あるものなのかどうか、結果が注目されます。

4.今後の動きについて

 干し上げに関して、住民協議会は3月上旬、19項目に及ぶ公開質問書を提出。これに回答した利根上は、以後なぜか態度を軟化させ、住民協議会との対話や水質調査等の実施に関して、前向きに対応する姿勢を示しています。
 利根上は、02年春から各分野の学識経験者や市民団体代表、地元自治体による「湿地保全・再生検討委員会」を設置、今後の方向性を模索していますが、今年春の会議では、動植物の生息・生育環境に関して、今後相当期間をかけて広範かつ詳細な調査を実施する方向性を打ち出しています。
 とにかく「治水名目の第二貯水池復活」はどうなのか、住民協議会の最大の懸念はやはりここにあります。今後予定されている利根川水系全体の治水計画の見直しの中で、遊水池の治水容量問題はどうなるのか、大いに注目されるポイントです。
 もちろん自然保護団体自身にとっても、カスリン台風の時に大被害を受け、洪水を恐怖する周辺住民の心情をどう理解し、ラムサール条約登録湿地化をどう地元民に理解してもらうか、さらに地域振興と自然環境保全をどう結びつけるか、等々の大きな課題も残されています。「民と民同士」の十分な対話と相互理解が必要であることはまちがいなく、その中から、最良の答えが出てくることを期待したいと思います。

(JAWAN通信 No.78 2004年7月1日発行から転載)