時津良治(諫早干潟緊急救済本部) * * * 講演会に先立ちまして、まずは佐賀・東与賀町の泥質の広い干潟を視察していただきました。干潟にはシギ・チドリ・ツクシガモをはじめたくさんの野鳥を見ることが出来ました。ここの海岸はシチメンソウ群落の場所で、博士は植物のご専門らしく熱心に観察されていました。秋に種子を落とした株の下には新芽が芽生え始めていました。それにしても失われた諫早湾のシチメンソウの群落はすばらしく美しいものでした。このあと、六角川の河口、鹿島の干潟と廻り、諫早湾潮受け堤防、調整池とご覧いただきました。漁業被害が深刻な中、前回の訪問時となんら変化がないことを失望されたようです。防災のためには、守りたいところの傍に堤防を築き、内側の排水はポンプで担うべきで、生産性の高い広大な場所を失ったことは非常に費用が掛かり損失の方が大きいのではないかと疑問を投げかけておりました。 * * * 講演会ではサンフランシスコ湾での1960年代、70年代の開発のための埋め立てや干拓の歴史を経て、市民運動による湿地の価値の啓発活動から、やがて政治を動かし、開発の規制の法律や生物多様性の保全、湿地再生へと進んでいった過程を写真を交えながらお話いただきました。湿地の再生は、本来の潮流の回復と新たな堆積物によって可能となることを、多くの事例で示していただきました。堤防を爆破して潮流と堆積物を回復した結果、40年間も湾と仕切られていた所が1年以内に新たな湿地の植生が現れ、貝類が戻ってきた事例も紹介されました。 また復元にあたっては地域を地理的に一貫した目で見ることが大切で、その地域全体の生態系、そして全体の生息地を考える必要があるようです。狭い地域だけを見て復元しようとか、問題を一つひとつバラバラに対処するのではなく、全体的に捉えて、全体の生態系を考えていくことが重要のようです。 さらに湿地の復元に必要なことで提起されたことは、多くの独立した科学者が参加し、何の偏見もない見地からきちんとした科学的な情報を政府なり市民に与えること。そして市民が継続して参加し、市民が監視役となって復元プロジェクトがきちんと進められること。そのための予算をきちんと取ってやっていくことをご教示いただきました。 科学者の独立性を保つための方策として、政府が自分たちに都合のよい学者さん達ばかりを集めて、調査結果を出させるということとはまったく異なり、一つだけのグループではなく、ひとつの研究グループがだした研究結果を審査するもう一つのグループがあるようです。 (JAWAN通信 No.80 2005年3月20日発行から転載) |