小林聡史(釧路公立大学教授/JAWANアドバイザー) これはラムサール条約自体が掲げた、国際的に重要な湿地(登録湿地)の数をCOP9までに全世界で倍増させ、2000カ所以上にしようという目標に呼応した取り組みとして理解されている。日本のように締約国会議の最中に公式発表をして、登録の最終手続きとする国は多くはないので、目標の2000カ所は難しいかも知れない(原稿執筆時点では全世界で1459カ所)。それを考えると国内候補地のうち8カ所登録できれば日本では、目標設定時(1999年)11カ所の倍の22カ所となるので、頑張ったと評価することが出来るだろう。 しかしながら、『JAWAN通信』の読者になじみが深い、泡瀬干潟、諫早湾、和白干潟、中池見(8頁参照)、三番瀬といった名称が候補地に影も形もないのは、やっぱりと思いつつも、日本の自然保護行政の現状を思い知らされる。ここで自然保護行政というのは、寝る暇もないほど頑張っている環境省自然環境局職員のことのみを指すのではなく、「環境」という言葉を行政文書にはやたら使うようになったのに、相も変わらず利益誘導型の開発事業で自然を破壊している官庁、地方自治体の総体だ。ラムサール条約湿地検討会の委員を務めた私自身の力の足りなさにも責任はあるし、世論形成に十分な力を発揮できなかったNGOにも問題はある。 話は若干それるが、環境といえば一般の人びとがこのところ真っ先に思いつくのは温暖化だろう。しかし、温暖化防止のための日本の予算の4分の3以上は道路整備にあてられているという指摘もある(瀬戸, 2001)。これは道路を造って渋滞を解消すればその分燃費が良くなり、走行距離当たりの二酸化炭素排出量が減るという計算からだそうだ。 また、2002年の林野庁等の試算では、京都議定書目標達成のために10年間で森林整備に1兆円以上必要となっているが、そのうち5500億円が森林管理のための林道や作業道の建設費用となっている。この国は本当に持続可能なんだろうか。 この調子では、そのうち干潟埋め立ても地球環境のためとか言い出す報告書が出されても不思議はないし、どおりで「自然再生」と銘打って自然にやたらと意味のない手を入れたがるわけだ。 話をラムサール条約に戻そう。現在ある国内の登録湿地13カ所は列島東に偏っている。琵琶湖と沖縄の漫湖の間は今のところ空白である。宍道湖・中海等中国地方や九州の湿地が登録されることは素直に喜びたい。またこれまでに指定された13カ所の半分以上が湖沼に代表される水系で、地理的には半分近くの6カ所が北海道にある。今回の候補地のうち6カ所が北海道にあるので、北海道単独でも倍増の可能性がある。もっとも倍増というなら、蕪栗沼が登録されれば宮城県も倍増(1カ所から2カ所に)、沖縄は2カ所候補になっているので3倍となるわけだが。 『日本の重要湿地500』(環境省, 2002)で50カ所以上の湿地が挙げられていた都道府県は北海道と沖縄のみなので、北海道は日本の中でも湿地王国となりつつある。 地元自治体の合意が取り付けられ、ウガンダで登録される可能性が極めて高い湿地として、サロベツ原野、雨竜沼湿原、濤沸(とーふつ)湖の3カ所がある。 (1)サロベツ原野と雨竜沼湿原北海道北部に日本最北端の国立公園「利尻礼文サロベツ国立公園」がある。「原野」という呼び方は釧路湿原や霧多布湿原でも行われていて、優良別荘地だとか投機対象とか称して、離れた都市住民に開発見込みのなさそうな土地や交通アクセスの全くない土地(湿原)が切り売りされ、今でも所有者不明の状態になっている区画がある。サロベツの場合、サロベツ湿原といくつかの湖沼群の総称として「原野」が用いられている。釧路湿原同様、すでに自然再生事業の対象となっており「上サロベツ自然協議会」が立ち上げられている。これまで協議会の会合は2回開催されており、第2回目は今年6月に実施され、「上サロベツ自然再生全体構想(素案)」が出されている。雨竜沼湿原が登録されれば、日本ではこれまで登録されていなかった山岳湿原の初めての指定となる。これも北海道北部の位置づけとなるのだろうが、頑張れば札幌からの日帰りも可能な範囲だ。標高850mの地域に東西4km、南北2kmの湿原が広がる。湿原内には数十、小さなものも入れれば数百もの池塘(ちとう)と呼ばれる沼が点在している。1990年に国定公園となり、今年初めにはウリュウコウホネという雨竜の名前を冠した植物(オゼコウホネの一品種)が報告されている。今年8月21日の大雨でアクセス道路が一週間以上通行止めとなっているし、ヒグマも出没するので出来るだけグループ単位で行動するようにと注意書きが出されていたりするが、毎年訪問する熱心なファンも多い。 (2)北海道東部の湿地群さて登録可能性のかなり高いもう1カ所の湿地、濤沸湖と、自治体との調整に時間がかかっている他の3カ所は、いずれも北海道東部に位置している。北海道東部はすでに釧路湿原、霧多布湿原、そして厚岸湖・別寒辺牛湿原の3カ所が登録湿地に指定されており、世界的にも希なラムサール地帯となっている。今年7月に世界自然遺産に登録された知床を含めて、北海道東部には国際的にも重要な自然地域の集中地帯が形成されることになる。決して「自然」のテーマパークにしてはならないだろう。 濤沸湖はオホーツク海に面した周囲約28km、970haほどの湖で1955年に網走国定公園の一部に組み込まれている。アイヌ語では「鳥がいつもいる湖」と呼ばれていたほどで、冬場も約4000羽のオオハクチョウが訪れ、年間では6万羽以上の野鳥が飛来する。タンチョウが訪れることもあるが、コアマモの生息地でアサリもいる。漁業が営まれており、土砂の流入で年々水深が浅くなってきているため、漁業継続のために浚渫も行われている。またアウトドア活動も盛んで、夏場のカヌー、冬凍結するとスキーや湖上ではパラセーリングも行われている。 自治体での調整待ちの所は、風蓮湖、野付半島・野付湾・尾岱沼(おだいとう)、阿寒湖の3カ所だ。日本がラムサール条約に加盟しようとした際、第一号登録湿地として実は風蓮湖が最初に名前を挙げられていたというのは、地元では比較的知られている事実だ。その後、四半世紀が経ち、ようやく地元の態勢も整いつつある。56km2の風蓮湖では300種以上の野鳥が記録されている。 野付半島は知床半島と根室半島の中間に位置し、オホーツク海に突き出た釣針のような形をしている。延長28kmと日本最大の砂嘴(さし)であり、幻想的なトドワラで有名。トドワラとは海水と潮風によって白く立ち枯れしたトドマツが立ち並ぶ地域で、一見すると荒涼とした景観が広がる。しかし夏には半島全体がたくさんの花で彩られ、多くの観光客が訪れる。狭いところでは道路の両側がまさにすぐ海となる。この半島の内湾が野付湾で、アサリ・ホッキ貝が生息し海草が繁茂する。夏にはエビ漁、冬にはコマイ漁と漁業も盛んだ。半島の付け根に尾岱沼がある。野付半島は鳥獣保護区にはなっていないが、地理的には風蓮湖と近いため(行政区としては風蓮湖は根室市と別海町、野付半島は別海町と標津町にまたがっている)、すでに鳥獣保護区となっている風蓮湖とともに登録湿地指定への話し合いがもたれている。 ちなみに以上の登録が実現すれば、北海道にある(渡り鳥の)「集団渡来地」としての国設鳥獣保護区7カ所(クッチャロ湖、サロベツ、濤沸湖、風蓮湖、厚岸・別寒辺牛・霧多布、宮島沼、ウトナイ湖)すべてがラムサール登録湿地となる。
(3)阿寒湖と釧路湿原阿寒湖は阿寒国立公園の中に位置しているが、今年10月阿寒町と釧路市合併に伴い、新釧路市は行政区域の中に阿寒国立公園と釧路湿原国立公園の2つを備える世界的にも珍しい自治体となる。阿寒国立公園といえば、日本に国立公園法(現在は自然公園法)が誕生した昭和初期に設立された国立公園群の一つである*1。すなわち、釧路には日本で最も古い国立公園と最も新しい国立公園があることになる。また、戦後日本最初の自然保護運動*2である「尾瀬保存期成同盟」が現在の「日本自然保護協会」の名の下に全国的な自然保護運動をするきっかけとなったのは、阿寒国立公園内の雌阿寒岳の硫黄採掘問題に対応するためであった(1951年)。こうして尾瀬に始まった戦後の自然保護運動が阿寒を通じて、もうひとつの日本を代表する湿原である釧路湿原と結びついてくるわけだ。 また、生態学的にも重要な意味を持ってくる。現在実施されている釧路湿原再生事業では、1993年のラムサール条約釧路会議(COP5)のテーマ「湿地のワイズユース」の中で言われていた集水域単位で考える必要性が、(ようやく日本でも)強調されるようになってきた。釧路湿原の生命線とも言える釧路川の源流部は屈斜路湖であり、阿寒国立公園の中に位置している。また、前号で「トラストサルン釧路」の杉沢氏が指摘しているように、阿寒湖から流れる阿寒川は、かつて釧路川の支流であり、現在阿寒川流域に広がる釧路湿原部分は再生事業の対象から外され切り刻まれつつある。 以上の他にも、検討会では最終的に名前は残らなかったが北海道東部地区で登録湿地になる候補(20になる前の54カ所中)として、この地域の湖沼群、網走湖、サロマ湖、能取(のとろ)湖、さらに知床半島サケ・カラフトマス遡上河川が挙げられている。 今年2月にインドで行われた第3回アジア湿地シンポジウムの舞台となったチルカ湖では、再生事業が成功し、前回のラムサール条約締約国会議で湿地保全賞を獲得した。そのモデルとなったのが、サロマ湖だ*3。 これらの登録が実現すれば、道東地域は世界に比類のない豊かな自然域を誇れるようになるのは間違いないが、それと同時にこれらの保全、ワイズユースを促進するためにはこれまで以上の知恵と努力が必要になってくるだろう。 登録湿地の拡充は大きな前進である。人間の生活と密接に絡み合っている湿地の保全は、結局は地域に住んでいる人びとの意識と決断にかかっている。それはラムサール条約関係者も、加盟国政府(中央政府)の人びともよくわかっている。だから、登録湿地指定を契機に自治体が本格的な取り組みをはじめ、例えば予算や職員をつければ、長い目で見れば大きな影響を与える。新たに任命された職員があわてて勉強を始めることもあるだろうし、専門知識を有する人材を外から雇い入れることもあるだろう。後者の場合は地域の人間関係や軋轢にもがきながらも、何とか自分の意見をわかってもらえるように努力することになるだろう。そういった努力が、登録湿地以外の湿地を抱える地域にも波及していく。 しかし、一方で極めて大きな禍根を残すであろう大規模な湿地破壊を止める仕組みが我が国にはなく、その結果JAWANのネットワークは広がり続ける一方だろうが、問題は積み残し先送りのままだ。国内では選挙の際も湿地をはじめ環境は争点になりにくい。米国では(あの)ブッシュ大統領も大統領選挙の前、フロリダで湿地保全の重要性に触れているし、締約国会議がウガンダで開催されるのもいち早く『国家湿地政策』を採択し、大統領が国民に湿地保全の重要性を呼びかけてきたからだ。 ウガンダ会議の次のCOP10誘致に韓国が積極的だ。なんとか韓国でやってもらったら、日本のこともまた報告させてもらおう…という受動的対応にとどまらず、アジアの湿地の現状を世界に発信する手助けをすることにより、アジア、そして世界の目を日本国内の湿地に向けてもらうことが出来るはずだ。 *1 国立公園法成立が1931年(昭和6年)、1934年3月に瀬戸内海、雲仙、霧島、同年12月に阿寒、大雪山、日光、中部山岳、阿蘇の各国立公園が指定された。 *2 日本最初の自然保護運動とは言え、尾瀬保存期成同盟のメンバーは行政主催の委員会に名を連ねる大学教授や作家など社会的影響力の比較的強い人びとが中心であった。一般市民(主婦や学生、サラリーマン)が手刷りのパンフ(当時はガリ版?)を持って街角で呼びかける式、JAWANのような市民活動としての自然保護運動はその後の大雪縦貫道路反対運動が最初とも言われる。 *3 アジア湿地シンポジウムを第1回(1992年大津・釧路)、第2回(2001年マレーシア)、第3回と企画してきたのは日本のNGO、ラムサールセンターだ。事務局長中村玲子氏はその功績が認められて、今回の締約国会議で湿地保全賞(環境教育)を受賞する。日本人としては初めてだ。 【文献】 ・瀬戸昌之(2001)「道路整備は地球温暖化を防止するか?」『人間と環境』27(3) (JAWAN通信 No.82 2005年9月25日発行から転載) |