高松健比古(渡良瀬遊水池を守る利根川流域住民協議会代表世話人) こうした渡良瀬遊水池の概況や、これまで16年に及ぶ私たち住民協議会の運動史、それに現状の問題点などについては昨年6月に本誌に記しました。それで今回は、ヨシ原を主とする内陸湿地としての面について少し述べてみたいと思います。 ヨシ原と動植物渡良瀬遊水池のヨシ原面積は、国交省調べで約1500ha以上。北海道の釧路湿原に大差をつけられていますが、北海道の他の湿原より広く、国内2位、本州以南で1位とのこと。ヨシ群落が優占する遊水池内では、他にオギ群落、マコモ群落、スゲ群落もあり、特に近年の乾燥化に伴いオギ群落が増加する傾向にあることが指摘されています。 こうした環境で、例えば湿地性の植物では、レッドリスト記載種が約50種確認されています(植物全体では約700種)し、昆虫は約1600種で、湿地に生息するワタラセハンミョウモドキなど特産種がいます。 鳥類は240種以上。干潟に比べるとシギ・チドリ類を主とする水辺の鳥の種数・個体数は多くありませんが、内陸湿地性の種はほぼすべて記録されています。またチュウヒ、ハイイロチュウヒを代表とする越冬ワシタカ類の豊富さは、おそらく国内屈指と思われます。 なお内陸湿地としての渡良瀬の動植物のつながりを考える場合、従来忘れられがちだった周辺の水田地帯や河川とその流域との関係にも、今後は目を向ける必要があるでしょう。
シードバンクとバンディング結果もともとこの一帯は赤麻沼や石川沼といった沼と湿地が広く存在した所です。そこにどういう動植物が生きていたかはほとんど記録がありません。また沼は上流からの土砂流入でほぼすべてが消滅しています。けれどもヨシ原の地下には、現在なお無数の植物の種子が保存されていると考えられます。「シードバンク(SEED BANK)」です。地上ではすでに絶滅した種が復活する可能性もあります。現在飯島博さんが代表の「わたらせ未来基金」が、東京大学鷲谷研究室とともに、遊水池周辺の学校で、校庭に池を作り遊水池の土を入れて、発芽する植物を調べる「学校ビオトープ」を推進しています。渡良瀬遊水池は渡り鳥の中継地・集結地としても注目されています。例えば秋にはおびただしい数のツバメ類が渡来し、日没時のねぐら入りは圧巻ですが、79年から続く鳥類標識調査(バンディング)によって、通常の野外観察では決してわからないデータも集積しています。例えば冬期ヨシ原の優占種オオジュリンは、ロシア・カムチャツカ半島で99年8月に放鳥された個体が、同年11月に渡良瀬で再捕獲されています。北海道や東北からの飛来個体は数多く、特に宮城県蕪栗沼でバンディングされた鳥の再捕獲は30例以上あり、同地との強い関係が示されています。 ヨシ原の維持とヨシの利用広大な遊水池内で毎年生育しては枯れるヨシは、長く地場産業としてのヨシズ作りの原料となってきました。農閑期の冬から春先まで、周辺農家によってヨシが刈られ運び出される。その跡地に舞うノスリやチュウヒの姿は、渡良瀬ならではの光景です。ヨシ原から樹林への植物の遷移を止め、ヨシ群落を維持したり、希少植物を存続させる役割を果たしている春のヨシ焼きは、本来刈り残されたヨシを焼き払うものでしたが、現在では逆に大半のヨシがそのまま残され、ヨシ焼きも大変な作業となっています。大量の輸入ヨシズの存在と生産者の高齢化が、いま渡良瀬のヨシズ作りを危うくしています。 琵琶湖のヨシ原面積は渡良瀬の数分の一程度と聞きますが、積極的にさまざまな利用法を考え、実践に移している滋賀県と比べ、残念ながら渡良瀬の地元ではヨシズ以外の利用はあまり考えられてきませんでした。ようやく最近、いくつかのアイディアが試みられようとしていますが、ヨシの利用はまさに「ワイズ・ユース」。将来の地域振興に重要なテーマだと思います。地元自治体はじめ多方面からの検討や試行が求められます。
遊水池を取り巻く状況と私たちの運動見渡す限りのヨシ原を、湿地の動植物の生命を育む「揺籃の地」と見るか、それともヨシズ生産以外とりえのない「不毛の地」と見るか。見方・とらえ方によって、描かれる将来像は180度異なってしまいます。村を潰し沼を消して強引に遊水池化された、という負の感情は、今も地元の人々の心の深層に潜んで不毛の地意識をかき立てるのでしょうか。また戦後のキャサリン台風による被害から、洪水を過度に恐れる発言も聞かれます。そうした地元民の心理を利用して、治水対策を錦の御旗に、再び大規模公共事業をもくろむ層も存在するようです。 私たちの掲げる目標、『渡良瀬遊水池のラムサール条約登録湿地実現』は決して容易ではありません。それでも、私たちは決して孤立しているわけではありません。宮城・蕪栗沼や茨城・霞ヶ浦の先進的取り組み、福井・中池見の多彩な運動、さらに今年2月に知り合えた新潟の皆さんの活動など、今後内陸湿地同士で連帯し、交流できる可能性が広がっています。JAWANにお世話になりつつ、私たちもなにがしかの力になれれば、といま思っています。 (JAWAN通信 No.82 2005年9月25日発行から転載) |