木原滋哉(日本湿地ネットワーク会員) このたび日韓国際環境賞を受賞した日韓共同干潟調査団に参加したのは一度だけであったが、干潟保護運動の領域でも各地域の環境運動連合が大きな役割を果たしていることに驚いた。ちょっと古いデータだが、それでも、有給スタッフ70名、会員数7万名、年間財政規模25億ウォンという規模である。数回にわたる韓国訪問の機会を利用して、どのようにして環境運動連合のような強力な環境団体が形成されたのか、環境運動連合の存在は、韓国における干潟保護運動にどのような影響を与えているのか、調べてみた(日本の干潟保護運動との比較など詳細な調査報告は、近く発行される『日韓共同干潟調査報告書』に掲載予定)。
1.民主化闘争から環境運動へ韓国における環境運動は、民主主義を欠く権威主義体制の下で始まった。権威主義体制の下では、公害が発生しても、被害者である住民による公害反対の声は無視され、かき消された。当時、民主化闘争の担い手にとって、権威主義体制を打倒するという民主化の課題は公害問題の解決につながるものであった。87年の「民主化宣言」以降、民主化が進行したが、環境問題がなかなか解決しない中で、反体制運動という色彩の強い運動は環境運動へと衣替えしていった。韓国環境運動連合も、民主化=反公害運動という色彩の強かった80年代の「公害追放運動連合」を出発点として、93年に結成された組織である。以上のような由来は、韓国環境運動連合の特徴を説明してくれる。まず、団体名に「環境」という文字が入っているが、韓国環境運動連合は、環境問題だけではなく、民主主義の問題に由来する平和問題、労働問題、女性問題、核問題など広範な争点を取り扱っている。また、環境問題といっても、反公害闘争を担っていたことから、学術的に価値のある自然環境の保全というよりも、公害によって脅かされた生活環境を重視する傾向が強い。 では、このような特徴を持つ韓国環境運動連合が大きく成長した理由は、どこにあるのだろうか。その理由は、民主化闘争に由来する以外にもいくつか考えられる。日本に住む私たちから見ると、金大中大統領や盧武鉉大統領が実現した背景に民主主義の深化があると考えがちである。しかし、韓国政治には、地域対立が根強く、例えば金大中大統領が実現したというのは、それまで開発の恩恵を得られなかった地域の代表が大統領になったという側面を持つ。したがって、政権交代は、従来開発が進められなかった地域で開発が進められることを意味した。要するに、地域対立を背景とする韓国政治では、政権が交代しても、開発主義という側面はなんら変わらないのであり、環境問題は政党政治には反映されず、それゆえに市民社会における環境運動に期待が集まったのである。 2.干潟保護運動への影響強力な環境運動が存在していることから考えると、韓国では干潟保護運動にとって有利な状況であると予想される。始華(シファ)湖干拓計画が周辺に大きな影響を与えたことがわかり、干潟保全の問題が韓国でも大きく取り上げられるようになった。このように何かが問題となったときに、強力な環境運動があれば、すぐさま多くの人材や資金を投入して取り組むことができるし、干潟保全を全国の争点としてアピールすることも容易である。セマングムへの集中した取り組みなどはその一例だろうと思う。私たちから見てうらやましいのは、この点である。他方、韓国環境運動連合は「百貨店」と言われることがある。いろいろな問題に取り組んでいるが、人材や資金は限られているので、ひとつひとつの取り組み、例えば干潟や鳥の問題への取り組みが不十分になっていることが問題点として指摘されているのである。「百貨店」という用語は、学術研究書でも見かけるが、その用語を始めて聞いたのは、釜山の野鳥保護グループのメンバーからであった。韓国第2の都市・釜山にも、強力な韓国環境連合の組織が存在しているが、野鳥保護という「専門店」から見ると、「百貨店」である環境運動連合が鳥や干潟の保全問題に十分取り組んでいないという不満があるのだと、このときにはじめて知った。 このように韓国環境運動連合の干潟問題への取り組みには、メリットとデメリットがあるように思える。このデメリットを回避し、メリットを生かすために結成されたのが、「全国湿地保全連帯会議」である。この「湿地連帯」は、96年ブリスベン(オーストラリア)で開催されたラムサール条約締約国会議への参加をきっかけとして、「湿地保全」に取り組んでいる「韓国環境運動連合」メンバーなどを中心として結成された。いわば湿地保全の「専門店」を目指すネットワークとして、湿地・干潟保全の環境運動の強化を目指している。 しかし、強力な「韓国環境運動連合」から完全に分離したのでは、かえって組織力を失うことになるので、「湿地連帯」は、「韓国環境運動連合」との関係を維持しながら、湿地保全という単一争点に取り組むというスタイルをとっている。
3.日本への教訓日本の干潟保護運動の歴史を振り返ると、71年に結成された「全国自然保護連合」という自然保護運動の「百貨店」から自立して干潟保護運動の「専門店」を作り上げてきた歴史でもある。75年汐川で干潟保護運動独自の「国際シンポジウム」を開催し、最終的には釧路でラムサール条約締約国会議が開催されるのをきっかけにして、「日本湿地ネットワーク」が結成された。日本の場合、「百貨店」の「全国自然保護連合」はかっての勢いを維持していないのかも知れないが、誕生の際、母胎となった「日本自然保護協会」は、今日では調査・政策提言型NGOという特徴を持っている。日本には、「韓国環境運動連合」のような環境運動団体は存在しないので、同じ組織を求めるのはないものねだりであろう。「日本湿地ネットワーク」は、事務局機能が弱いなどの弱点が指摘されているが、事務局機能の強化とともに調査研究・政策提言能力を強化する努力が必要ではないか。他分野の環境団体などと協力・提携することが重要になる。日韓共同干潟調査でも、日本サイドの調査手法は、韓国サイドから注目されてきた。形は違うが、干潟保護という単一の活動を絞った干潟保護運動の強化、総合的な環境運動との提携・協力は、日韓ともに必要とされている。 (JAWAN通信 No.83 2005年12月25日発行から転載) |