新舞子浜の保全とラムサール条約

茂見定信(播磨灘を守る会/たつの市議会議員)

 私は谷津干潟、藤前干潟、諫早干潟、ウトナイ湖、宮島沼など日本各地を訪問し、新舞子浜を保全し、「ラムサール条約」登録への道を探る旅をしています。住民運動を支えておられる方がたにお会いし、大変お世話になりながら多くを学びました。いつかは「新舞子浜と揖保川河口一帯」をぜひラムサール条約登録地にとの思いを募らせています。


新舞子浜は兵庫県西部の播磨灘沿岸にあります

 新舞子浜は奇跡的に残った瀬戸内海唯一の自然海岸です。明石市の「舞子」に勝るとも劣らない景観のため「新舞子」と名付けられました。広さは約140ha。遠浅で、干潮時には美しい波紋の干潟が200mの幅で現れます。底生生物が豊富で、危急種のミサゴの飛来も見られる貴重な空間でもあります。春から夏は、播磨一円はもとより、京阪神からも潮干狩りや海水浴客を集めます。秋から冬は、渡り鳥の楽園と化し、干潟を撮影する写真愛好家が詰めかけます。
 人びとが浜の異変に気付き始めたのは1970年代頃からでしょうか。浜が黒く変色し、砂の量が減少してきました。西浜に減少傾向が強く、逆に東浜の富島川河口には変色した砂がヘドロ化して堆積するという状況です。砂が西から東へと移動したことがわかります。  
 砂の減少は揖保川上流の引原ダムが供給を止めたことと、潮流の変化により、他所へ移動したり海へ流入したのが原因と思われます。潮流変化は浜に隣接する姫路木材港の突堤と網干沖の埋め立てによるものであり、砂の変色は播磨灘北部の海水汚染と富島川の水質悪化によるものです。西浜の砂浜が痩せ衰えていった’91〜
’92年に壊滅的な台風被害に打ちのめされました。
 以降、防災の観点から養浜の必要性や干潟保全、そして将来構想とラムサール条約登録が議論されてきました。「みつの里構想」や「新舞子海岸整備促進委員会」(国・県・町・地元関係者による)に期待がかけられましたが、漁業権問題で前進せず、また市町合併の状況変化が生じています。何はさておき市が動かないと前進しない。議員在任中に何をどう成すべきかと思う毎日です。


新舞子浜

「浜の保全とラ条約登録への道」経緯
西暦 平成    
1992 4 9 台風被害で、新舞子西浜の海の家が壊滅状態になる。9月議会で養浜事業を求める。
1995 7 1 播磨灘を守る会でラ条約登録を協議。
3・6・9月議会でラ条約登録の一般質問。
1996 8 6 『町主催「ラ条約シンポ」の考えを聞く』一般質問を行うも「考えなし」の答弁。
1997 9 1 新舞子関係者が実行委をつくり「町民フォーラム」を開催。参加者100余名。
3 「みつの里構想」が策定され、ラ条約登録が新舞子浜保全(再生)構想で認知。ただし、「養浜事業、実施後に検討する」とされる。
12 第2回町民フォーラムに向けて「20人会議」設置。
1998 10 1 茂見が、環境庁小林課長に説明のため上京。翌9日谷津干潟へ行き、大浜さんの案内を受ける。「ラ条約登録地紀行」開始。
1999 11 11 町主導の「新舞子海岸整備促進委員会」発足。「播磨灘を守る会」青木代表、副議長として茂見も参画する。現在までに7回開かれる。
2005 17 3 「新舞子の将来構想を新市『たつの市』へどう継ぐか」を一般質問し、町長のラ条約登録についての意欲ある答弁を引き出す。

(JAWAN通信 No.83 2005年12月25日発行から転載)