茂見定信(播磨灘を守る会/たつの市議会議員)
人びとが浜の異変に気付き始めたのは1970年代頃からでしょうか。浜が黒く変色し、砂の量が減少してきました。西浜に減少傾向が強く、逆に東浜の富島川河口には変色した砂がヘドロ化して堆積するという状況です。砂が西から東へと移動したことがわかります。 砂の減少は揖保川上流の引原ダムが供給を止めたことと、潮流の変化により、他所へ移動したり海へ流入したのが原因と思われます。潮流変化は浜に隣接する姫路木材港の突堤と網干沖の埋め立てによるものであり、砂の変色は播磨灘北部の海水汚染と富島川の水質悪化によるものです。西浜の砂浜が痩せ衰えていった’91〜 ’92年に壊滅的な台風被害に打ちのめされました。 以降、防災の観点から養浜の必要性や干潟保全、そして将来構想とラムサール条約登録が議論されてきました。「みつの里構想」や「新舞子海岸整備促進委員会」(国・県・町・地元関係者による)に期待がかけられましたが、漁業権問題で前進せず、また市町合併の状況変化が生じています。何はさておき市が動かないと前進しない。議員在任中に何をどう成すべきかと思う毎日です。
(JAWAN通信 No.83 2005年12月25日発行から転載) |