小林聡史(釧路公立大学教授/JAWANアドバイザー)
その前にウガンダも何回か訪れていた。ケニアの首都ナイロビから車でサファリをしながら、カンパラまでやって来たことがある。冷たいビールが飲みたくて、おそらくまだ新しかったシェラトンホテルを訪れたのだが、あまりにも白人ばかりでもっとローカルな雰囲気を味わうべきだろうと下町を徘徊した。なんとかレストランで食事を終えて外に出てみると、入るときには暗さに目が慣れていなくて気づかなかったのだが、外壁にはマシンガンによるものと思われる銃痕の跡が列なっていた。 翌日、国立公園局や環境省を訪れた。ケニアでこういう研究をしているので、比較のためにウガンダの資料が欲しい旨説明すると、担当の若い女性が「ちょっと待っててくれ」といって30分ほどで資料のコピーを持ってきてくれたので、びっくりした。何をびっくりしたかというのは、今となっては想像しにくいかも知れない。当時ケニアで欲しい資料を手に入れるためには、役所の中をあちこちたらい回しにされたり、場合によっては非公式な手数料を個人的に求められたり、かなりうんざりすることがしばしばだった。また、ケニアの南のタンザニアでは、公用語がスワヒリ語と言うことで、英語化された資料が少なかったり、やっと見つけてもらってもコピー機がないか、あっても壊れていて、結局手書きでメモるしかない……そんな資料集めを繰り返していたからだった。 後で知ったのだが、その女性はウガンダ政府職員の中でも特に先見の明があり、IUCNやWWFといった国際NGOの間でも有名な方だった。惜しいことに、その後マラリアで急死している。 ウガンダにあるマケレレ大学はアフリカの中でも優秀な人材を輩出してきたことで有名で、そのため東アフリカの中でもウガンダ政府には優秀な職員がいたものと考えられる。だから、ウガンダがラムサール条約加盟国の中で、カナダに次いで2番目、加盟している途上国の中では真っ先に「国家湿地政策」を採択したのもそれほど驚くにはあたらない。ラムサール条約事務局が発行した『湿地の経済評価』でもウガンダの例がいくつか出てくる。ウガンダ政府の上下水担当部門は、首都カンパラ近くのパピルスが優先する沼地や湿地(まさに会議が行われた辺りだろうか)の水浄化機能を評価して、それらの湿地保全を支持している。また、ウガンダ南西部では湿地の損失によって周辺地域の微気候に与える影響が懸念され、1986年に湿地の干拓工事が中止されている。
また、今回の締約国会議のハイライトは、いろいろとすったもんだがあったものの、国家元首である大統領自ら会議場でスピーチを行ったことだろう。国家元首の参加はラムサール条約締約国会議では初めてのことだ。水力発電用ダム建設に反対する国際環境NGOに対して痛烈な批判を展開したりと、お決まりの美辞麗句を並べ立てる退屈なスピーチにならなかった点がすごいかも。 条約事務局でビデオを見る機会があったのだが、大統領自ら登場して、国民に湿地保全の重要性を呼びかけるTV放送が行われたとのことだ。国家元首と言うことでは、意外に思われるかも知れないが、米国のノー・ネット・ロス政策(これ以上我が国は湿地を失わないことを誓った政策)は父親のブッシュ政権時代にできたもので、実際にTVを通じて湿地の重要性を大統領が訴えた。その息子、現ブッシュ大統領も大統領選ではフロリダ州(弟がフロリダ州知事)へ出かけた際には、湿地保全の重要性に言及している。 これらに比べると日本では湿地保全は言うに及ばず、自然を守ろうという国民に向けての発言は総理大臣になかなか期待できない。相変わらず政治の話題にならない、つまり票に結び付かないという位置づけのままなんだろうか。 1980年代にウガンダを訪れたことがあると書いたが、車でウガンダの西部にあるクイーン・エリザベス国立公園(ウガンダ最初の登録湿地ジョージ湖もある)へ行った後、ルワンダを訪れた。夕食をとりに入ったレストランのすぐ脇に車を停めていたのだが、食事を終えて戻ってみるとガラスが割られ、車の中のものが盗られていた。幸い貴重品は持ってレストランに入ったのだが、人通りの多いところで盗られるというのは人々が見て見ぬふりをしている、あるいはそういった窃盗が日常茶飯事になっていると考えられた。先日、アカデミー賞数部門の候補になった『ホテル・ルワンダ』という映画を見た。私の訪れた後、数年後の凄まじい内戦の様子が描かれている。そう言えば、フォレスト・ウィテッカーがイディ・アミン大統領を演じる映画も撮影中のはずだ。 西アフリカのリベリア、ルワンダ、そしてウガンダでも内戦、他の国々でも内戦や治安の悪化による問題は多くある。また、そういった問題以外にも、AIDSをはじめ社会不安に結び付く重大な問題がある。もちろん貧困層の生活改善は以前にも増して大きな課題であり、そのために経済発展も求められている。ではそうしたアフリカの多くの社会では、環境保全や湿地保全はまさに二の次の課題なのだろうか。 これまで会議の印象記を逸脱して、ウガンダCOP9に参加した多くの日本人が気づいていなかっただろう問題を書いてきたのは、この問いを考え直して欲しいからだ。
COP9が開催された直後の2005年11月下旬、神奈川県でも「ウガンダでの元子ども兵士の社会復帰を目指して」という集会が開催されている。ウガンダ北部の実情と、同じ11月に首都カンパラ郊外で開催されたラムサール会議は、まったく矛盾した2つの側面に過ぎないのだろうか。 先日、宮城県蕪栗沼でのラムサールフェスティバルに参加した。多くの子ども達が参加していたせいか、ラムサールは水鳥、渡り鳥を守るため……という説明の仕方がされていたのだが、まあ仕方ないかと考える人も多いだろう。あるいはラムサールは最初は水鳥(保護が目的)だったけれど、だんだんと湿地を生態系として見て全体を守ろうという機運になってきたという説明になる。今回のウガンダでのテーマはもっと深い。湿地保全が人々の暮らしを守る、命を守っているという強いメッセージを発信しようとしたことだ。 一年前、ブッシュ政権の下では自然は守れないと見切りを付けて(?)政府の仕事をやめた、湿地再生の専門家ベイ博士とともに諫早/有明海を訪れていた。自殺した漁師の方の葬式直後だったこともあったが、現場の漁師の方々の話を聞いて、ある人々(強者)が自然を破壊することによって他の人々(弱者)の生活の糧を奪う、そんなことがまだ続いているのか、植民地時代に行われていたことを日本は国内でやっているのかと嘆いていた言葉が忘れられない。つまり、決して途上国だけの話ではない。しかし、人間がやろうとしている自然破壊を止めることができるのも人間だけだ。 お隣韓国では諫早の10倍もの干潟を埋め立てようとしている。そして先日、中国では上海沖合、ラムサール登録湿地のある島での大規模開発事業が公表された。新たに世界最大のエコシティを作るという名目で。 ●アフリカの現状に興味を持ってくれた方々への参考図書
(JAWAN通信 No.84 2006年3月25日発行から転載) |