雁の中継地「長都沼」の行方

佐藤ひろみ(長都沼の雁カモを守る会)

 通称で「長都沼」(おさつぬま)と呼んでいるが、実は沼ではない。「長都沼」は北海道の千歳市と長沼町の境にある、千歳川に注ぐ幅広排水路(第14号幹線排水)のことを通称してそう呼んでいる。
 かつて、石狩川に注ぐ千歳川の中流域には昭和30年代頃までオサツトウ(長都沼)とマオイトウ(馬追沼)という大きな沼が2つあった。幕末期、松浦武四郎が蝦夷地調査の際にこの地を訪れ著わした「石狩日誌」にかつての状況を示す記載がある。アイヌの人たちの案内で、舟で石狩川から千歳川へ遡り、イサリフトを経てヲサツ沼へ。その部分を引用すると「(前略)此の沼は凡そ中程にて幅二里、長二里も有り。また此の沼の奥に大沼あり。是は三里に十里も有ると申しける。実に此の辺は目も届かざる野原故に其の位の沼も湖水も有る様に覚えける也。(中略)また沼の中には鶴と雁と鴨を見たり。夷人共の申しけるに七月の中旬より八月下旬までは此辺り実につる多しと。」とある。またアイヌの伝説には「昔々、千歳川にアキアジ(鮭のこと=筆者註)が遡り始めたころの話、シマフクロウがその話を聞いていた…」とあり、自然豊かな所であったことが想像される。
 明治20年代に入植が始まり、しばしば洪水被害に見舞われた。昭和16年、学生義勇軍により排水路を掘削。昭和36年ころからは食糧増産の世相を反映して、石狩平野の最後の湖沼として取り残されていたオサツトウを蛇行して流れる千歳川を直線化して排水。オサツトウ、マオイトウ、及びその周辺の低湿地を乾燥化して耕地化しようとする北海道開発局の動きがあった。しかし内水氾濫はしばしば起こり、その洪水対策のため石狩川を経て日本海に注ぐ千歳川の水を、排水路を造って大平洋側へ流そうとしたのが千歳川放水路計画だった。「長都沼」はその放水路の試掘として造った幅広排水路(第14号幹線排水)で、およそ全長2km、幅130m。造成後数年経ちヨシやヒシなどかつての植生が再生するにつれ、雁や白鳥らが多数飛来するようになったものだ。

長都沼のハクガン3羽

 「長都沼の雁カモを守る会」では2000年秋より長都沼へ飛来する雁や白鳥などのモニターを行っている。春期のマガンの最大値は2001年におよそ13,000羽、2002年に17,000羽、2003年に25,000羽、2004年に35,000羽、2005年に35,000羽と斬増している。秋期は宮島沼から本州へ直接渡るらしく、飛来数は多くない。
 希少雁であるハクガンやシジュウカラガン(ヒメシジュウカラガン、標識シジュウカラガンも)、コクガンなどもときどき飛来する。秋期に飛来するオオヒシクイは、2000年にはカモ猟のためほとんど見かけなかったが、その後石狩支庁、空知支庁、千歳市、長沼町、猟友会のご理解を得てカモ猟の自粛があり、それ以降斬増し、2001年に1,200羽、2002年に1,970羽、2003年に2,200羽、2004年に2,550羽、2005年に2,600羽をカウントした。
 全国に飛来するオオヒシクイは日本雁を保護する会によると9,000〜10,000羽ともいわれており、オオヒシクイの中継地としての意義は大きい。秋期に長都沼と約20km南にあるウトナイ湖とでオオヒシクイの飛来数を比較したところ、継続して長都沼の方が多く、長都沼の環境をより嗜好していることがわかっている。2005年春にはマガン35,000羽、オオヒシクイの他に白鳥類を最大7,200羽カウントした。ウトナイ湖と並んで「長都沼」は雁や白鳥類の渡りの中継地として利用されている。この長都沼を経てマガンは宮島沼へ、オオヒシクイはサロベツへとそれぞれの渡りのコースを進んでゆく。いわば渡りの交差点とも言えそうだ。
 流れのある「長都沼」では春早くから開水面が広がり、本州から北海道へ渡ってくる第一の飛来地としての価値も高い。春期に長都沼や鵡川、厚真などで雁の飛来状況を例年センサスしているが、2002年2月末まだ凍結しているウトナイ湖には降りずに長都沼へオオヒシクイ1,500羽、鵡川・厚真には100〜300羽飛来という状況だったからだ。

長都沼水位低下前(2005年3月) 長都沼水位低下後(2006年4月)

 さて、2005年秋より「長都沼」に変調が起きている。千歳川放水路計画が中止となり、その洪水対策の代替案として千歳川の堤防強化案(遊水池併設)が決定された。千歳川の浚渫・掘削工事が下流側から進み川幅が広くなって水位が低下したことに伴い、千歳川に注ぐ第14号幹線排水路(長都沼)でも約40cmほどの水位低下が起こった。写真のように長都沼の水は中央部をわずかに流れるだけで沼底が露出してしまう程に変化した。
 北から渡ってきたオオヒシクイは沼上空を鳴き交わしながら何度も何度も旋回しつづけなかなか降りない。やっと少数が意を決して降り立っても、人の影が岸に近付くと警戒して飛び去ってしまった。渡り最盛期の11月上旬にオオヒシクイ2,600羽がねぐら利用していたが、これは夏にはまだ湛水していたので好物のヒシの実がたくさんあったからであろう。センサスでは例年とは異なりウトナイ湖のほうが飛来数は多く、代替としてウトナイ湖をねぐら利用していたようだ。
 2006年春マガンが30,000羽ほど飛来し狭い水路にひしめき合っていた。この水位低下した状態が持続すると沼底は干上がりヒシは実らず、草本が繁茂した後やがてヤナギなど林が発達して、雁の中継地として利用できなくなると推測される。
 平成17年1月に北海道開発局が発表した「石狩川水系千歳川河川整備計画(原案)」には「千歳川の水面は、沿川の水面とともに渡り鳥の中継地としての役割を担っているところもあるため、地域住民や関係機関と協働し、鳥類等の生息・生育環境の保全に努める」とある。千歳川へ合流する樋門操作等で長都沼の水位を数cm上昇させ、沼底を露出させないよう配慮するだけで草本は繁茂することなく中継地としての環境は保持できるのではないかと提案したい。
 現在、「長都沼の雁カモを守る会」では北海道開発局や地元自治体へ雁・白鳥類の中継地の環境保護に理解を求めている。
 しかし沼すぐそばの麦畑では食害被害もあり、自然保護関係者、農家の方々、地元自治体、開発局との話し合いはなかなか進まない。この地の国営総合かんがい排水事業(ネシコシ地区)は土地改良法に基づいて北海道開発局が施行したと記載がある。同法の第1条の2に「土地改良事業の施行に当つては、その事業は、環境との調和に配慮しつつ、国土資源の総合的な開発及び保全に資するとともに国民経済の発展に適合するものでなければならない」とあり、環境への配慮を大いに期待したいと考えている。

(JAWAN通信 No.85 2006年7月20日発行から転載)