菅波 完(諫早干潟緊急救済東京事務所/有明海漁民・市民ネットワーク) 2006年7月7日、農水省九州農政局が設置した国営事業再評価第三者委員会は、諫早湾干拓事業の継続を認める意見をまとめた。会場となった熊本交通センターホテルには、漁民ネットの漁業者と市民、計15名も傍聴に駆けつけ、開会前には加藤治委員長をはじめとする委員に、横断幕を掲げてアピールをしたが、委員は私たちの声に見向きもしなかった。
諫早湾干拓事業の問題は、もちろん、事業を推進している農水省と、地元の長崎県および関係市の中枢にある。とはいえ、今回の再評価第三者委員会の様子を見ると、この委員会自体の問題性を追及せざるを得ない。端的に言うなら、今回の第三者委員会の最大の特徴は、「自分で考えない。判断しない」ということである。 私たちが示した費用対効果0.19と、農水省が示した費用対効果0.81の違いについて、第3回の委員会で、星子邦子委員が九州農政局に「その違いを教えていただけるとうれしいんですが」と質問している。その後、九州農政局が説明をし、その先に議論が続かない。違いが何であるかを自ら考え、どちらが正しいかを自ら判断するのが第三者委員の役割ではないのか。 最終回となった第4回の委員会でも、大西緝委員が費用対効果の点について、繰り返し発言しているが、その問題意識は、「効果が費用を上回らなければならない」という土地改良法の規定に抵触するかどうか、また明らかに費用対効果が1を下回る場合はどうすべきか、という法解釈や例外適用の妥当性という点に限られていたようだ。つまり、目の前にある諫早湾干拓事業をどうするべきか、という発想は、委員の頭にはなかったようだ。「木を見て森を見ず」とは、まさにこのことではないか。 さらに言えば、小河原委員などは、潮受け堤防によって、淡水性の生態系ができたことを、生物多様性の点から、もっと積極的に評価すべきだ、などと、正気とは思えないような発言をしている。 他にも、造成される農地の野菜などを「諫干ブランド」で積極的にPRすべきだなどという、九州農政局の苦し紛れの営農計画を、そのまま持ち上げるような発言も繰り返され、委員会には、批判精神のかけらも見いだすことができなかった。 振り返れば、5年前にも諫早湾干拓事業は「時のアセス」の対象になった。その際も私たちは、「市民版時のアセス」の報告書を提出し、特に事業によって失われる干潟の水質浄化機能を金額で試算し、事業による社会的な損失の大きさをアピールした。当時の第三者委員会では、私たちの意見が正面からとらえられ、内容のある議論が行われた。最終的に、農水省側の猛烈な抵抗により、事業の中止を答申するまでには至らなかったが、事業見直しという画期的な結果を導いた。 5年前は、5回の委員会に3カ月の時間をかけた。今回はわずか1カ月の間に4回の委員会を開催し、あっという間に結論を出し、逃げ切られてしまったという印象である。委員会開催の告知も直前なら、議事録の公開は、次回委員会の間際である。委員会を別室のモニターで傍聴できるようになったのは前進だが、実質的には、本当の意味での第三者からの意見を排除し、農水省の身内だけで物事をすすめようという策略としか思えない。 最終回の委員会を傍聴した漁民は、「子供の作文か」と吐き捨てていたが、事実、第三者委員会の場で行われていた作業は、その程度の言葉遊びとしか見えなかった。再評価第三者委員会が最終的にまとめた「意見」(上記)をご覧頂けば一目瞭然であるが、農水省の言い分に、期待感を表明しただけである。大本営発表を垂れ流しにした、戦時中の新聞の様なものである。委員会終了後の記者会見では、加藤委員長に対して、「意見の文面も農水省の事務局が用意したのではないか」との辛辣な質問が浴びせられた。加藤委員長は「文言については事務局にも相談したが、文章は私が書いたものだ。」と答え、質問した記者の失笑を買った。 学識経験者などとおだてられても今回の第三者委員会は、行政の小道具として扱われているだけではないか。そのことを委員は自覚しているのか。 今回の再評価第三者委員会の結果は、全く内実の伴わないものであり、私たちは断じて認めることはできない。諫早湾干拓事業が、いずれ破綻することは明かであり、だからこそ私たちは、一日も早く事業を根本的にやり直すことで、社会的な損失を最小限に抑えようとしているのである。諫早湾に干潟を取り戻し、有明海を宝の海として再生させる日まで、有明海で生きていこうと必死の覚悟で頑張っている漁業者とともに、私たちは戦い続ける覚悟である。
(JAWAN通信 No.85 2006年7月20日発行から転載) |