私の夢の舞台「湿地と鳥たちの友だち」
チョ・ミンギョン(趙民慶)湿地と鳥たちの友だち会員
私は、気の向くまま、足に任せて歩くのが好きだ。途中、分かれ道に立った時、こっちへ行こうかな、それともあっちというような悩みも一瞬。私は気の向くままに歩き始める。
釜山の環境団体「湿地と鳥たちの友だち」の扉を叩いたのはこのような自分の性格のおかげと思う。扉の向こうには、広大な湿地と多種多様な鳥たちを暖かく抱いている洛東江河口があった。さらに驚いたのは、母のふところのように暖かくゆったりした洛東江河口を毎日訪れる「湿地と鳥たちの友だち」の会員たちの情熱であった。
当時、私は、湿地や鳥どころか環境にはちっとも興味がなかった。そんな私が軽い気持ちで2005年5月「湿地と鳥たちの友だち」の扉を叩き、洛東江河口に出会ったわけだが、今思えばとても尊い縁である。洛東江河口にめぐり合ったおかげで、つま先から感じられる柔らかくしっとりした干潟に触れる幸せを知ることができた。また、コハクチョウとオオハクチョウの違いを知るためには、図鑑の中の知識ではなく、彼らのところを訪れて彼らと目を合わせて彼らの声に耳を澄ますことであることが分った。
最初は溢れそうな気持ちを言葉にしたら何処かに消えていってしまうのではないかという不安があったが、洛東江河口で感じたことを、今は少しずつ伝えられるような気がする。索漠たる私の心に自然というきれいな種をまいてくれた「湿地と鳥たちの友だち」はこれからもずっと一緒である。
みなさん、きれいな種がどのように育っているか知りたくありませんか? いまから「湿地と鳥たちの友だち」で伸び伸び育っている「たね」の話をお聞かせしましょう。
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写真1 去年の「湿地と鳥類生態案内者養成課程」。チーム別に旗を紹介している |
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写真2 鳥類観察。どんな鳥が見えたのかしら? |
たね1.「湿地と鳥たちの友だち」の扉をたたくきっかけ
近年、干潟や渡り鳥の観察、探鳥会に参加する人口は増えているが、それに応える専門の案内役は足りないのが現実である。「湿地と鳥類生態案内者養成課程」は、2002年度から専門の案内役の養成を目的に釜山教育大学で始まった。研修期間は毎年5、6月から11、12月までおよそ7カ月であり、毎週第3金・日曜日に理論講義と現場実習が行われる。
金曜午後7時からおよそ3時間、湿地と渡り鳥観察会に必要な基礎知識の習得を目標に、探鳥・塩生植物・ベントス・生態体験プログラムなどのテーマで理論講義がある。初日はチーム名や旗を作る。白い旗にチーム名を書き色とりどりの絵を描くうち、いつの間にかひとつになっていくのを感じる。日曜の午前は洛東江河口ウルスットのムル(水)文化館でスライドを見た後、お弁当を食べる。午後には本格的な現場実習が始まる。チヌド・ミョンジ干潟・シノリ干潟・ウルスット南端・チュナム貯水池・ウポ沼など洛東江河口や周辺の干潟に出かけて理論講義の内容を実習する。
去年、私は現場実習のため月に1回洛東江河口を訪れたが、回数を重ねるにつれ季節の変化を身体中に感じることができた。それは洛東江河口からの贈り物ではないだろうか。カレンダーを見て季節の流れを認識していた私が、体で季節の変化を感じ取ることができたのは、雁のおかげである。
はじめて洛東江河口を訪れた時は雁だけしか見えなかった。2度目は田んぼでえさを食べる雁が見えた。3度目は、雁を観察する間中、冷たい風にさらされて頬が凍りつくような思いだった。体で冬を感じさせてくれた雁。秋が終わるころ、冷たい風が吹き始めると、心の底から懐かしい思いが溢れ雁の飛来が待ち遠しくなる。雁との出会いのきっかけとなった「湿地と鳥類生態案内者養成課程」で養成された案内者たちが、洛東江河口を守りその重要性を広く知らせる役割を存分に果たしてほしい。
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写真3 冬を教えてくれた渡り鳥、雁 |
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写真4 2005年12月の定期鳥類調査。洛東江河口のトヨトゥンにて |
たね2.こんなに鳥がたくさん!「洛東江河口定期鳥類調査」
毎月1、2回、6調査チームが洛東江河口一帯を6区域に分け渡来する鳥類の種と個体数を調べる。私は、去年9月から「湿地と鳥たちの友だち」の運営委員のパク・チュンロクさんと一緒に船に乗りトヨトゥン・ペカットゥン・シンザド・チャンザド(訳注:どれも、洛東江河口部にある洲の名前)などに渡来する鳥類を記録している。年に1回調査報告書を出すが、中には調査結果とともに思い出がぎっしり詰まっている。干潮時間が早い時、とくに冬は暖かい布団の中でもっと寝たい誘惑と戦わねばならなかったし、厳しい冬の風に疲れ病気になりそうな時もあった。それでも調査に参加し続けているのは、磁石のように私を引きつける洛東江河口の風景やそこに渡来する多種多様な鳥たちである。
はじめてフィールドスコープを覗いた時、鳥のもの凄い数に驚き目を擦ってもう一度確かめたことがある。肉眼では何も見えないのにフィールドスコープの中には数百羽のシギが波と遊んでいるみたいによちよち歩きながら餌を食べているのだ。彼らはずっと前から洛東江河口を訪れているはずなのに、私は今まで彼らの存在に気が付かなかったことに申し訳ない気持ちでいっぱいであった。こぶしのような小さいシギたちが地球の南半球と北半球を行き来することを知り、弱気な自分を反省したこともある。寂しがらないよう声をかけてくれる友達のような鳥たち、ふわふわした布団みたいな葦原に横たわり味わう昼寝の気持ち良さ、日常のストレスが一気に吹っ飛んでしまいそうな広々とした風景、潮風の吹く船上で食べるお弁当、自然のように心豊かな調査メンバーたち。それらすべてが私を洛東江河口に引き寄せているようだ。去年の冬にミョンジ干潟で数百のハクチョウを数えたが、ハクチョウと目が合ったことは一度もない。ハクチョウと目が合うと一年中幸せに暮すことができるそうだけれど……。今年10月16日、10羽のハクチョウがはじめて洛東江河口のミョングンモリトゥンに来たという。今年の冬はハクチョウと目を合わせるため手まめに洛東江河口を訪れるつもりだ。こんな自分を見てどこかでハクチョウが笑っているような気がする。
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写真5 2006年1月21日の全国冬鳥一斉センサス。ヘラサギの飛行 |
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写真6 2006年7月の定期鳥類調査。足環をつけているミユビシギ |
たね3.私が日本語を習う理由「生態日本語勉強部屋の会」
環境団体の会員という責任感のせいで、環境を考え環境のためにやることが楽しくない時がある。仕事も何事も、義務感や責任感からよりは楽しみながらやるともっと自発的で実践力を持つと思っている。「湿地と鳥たちの友だち」の会員の間で、少人数の集いを作り環境や生態の勉強をしようという動きがあった。それはさらに日本の本を使い生態だけではなく日本語の勉強もやろうという意見が出た。英語でも中国語でもなく日本語を習おうと思った理由は、自然環境が似ており活発に交流できるお隣さんだからではないだろうか。様々な問題を抱えている韓国に比べたら、日本の環境教育は非常に体系的で地域的に特徴があって良いと思う。日本の環境教育や湿地保護運動、湿地センター運営や教育プログラムの開発などを調べ、それをもとに韓国においてためになる情報や資料を求めることの必要性を認識したのだ。そのためには日本語の勉強が何より先であろう。そんな訳で1月から週に1回、「生態日本語勉強部屋の会」がスタートし、先週37回目を迎えた。塾で習う難しい日本語ではなく、日本語を通して湿地や鳥について勉強する楽しさは言葉では表現できないくらいである。参加者の語学力のレベルが違うにも関わらず同じ内容での勉強ができる理由は、全員同じ興味を持っている湿地と鳥に関する内容だからなのだ。中には読むのが得意な人、漢字が得意な人、湿地や鳥を得意とする人などいろんな人がいるため、いくら難しい言葉でも全体的な内容の理解には問題ない。自ら進んで、はっきりとした目的から習う外国語の勉強は実力だけではなく自信を持たせてくれるし、すごく楽しい。
今年7月、日本湿地ネットワークの柏木実さんと伊藤よしのさんが洛東江河口を訪れた時だった。迷わず付き合おうと思ったのは生態日本語勉強部屋の会から得られた自信・勇気のおかげである。まだまだ足りない日本語だけれど、1日中付き添い彼らとお話ができてとても楽しかった。でももっと詳しく洛東江河口のことを説明したかったが、これができなくて残念に思っている。この思いは日本語勉強に拍車をかける源となっている。次のときはぺらぺら日本語で洛東江河口を訪れる日本の人々に洛東江河口の大切さを伝えたいと思う。さらに、2008年韓国で開かれるラムサール条約締約国会議の日本語通訳ボランティアへ向けて頑張りたい。これは自分の夢であるが、生態日本語勉強部屋の会の希望でもある。希望を持って勉強できる場所、こころざしを同じくする人びとがそばにあるということは素晴らしいと思う。
「湿地と鳥たちの友だち」では他にも数多い〈たね〉が育ちつつある。たとえば、洛東江河口保全運動・認識増進運動・調査および研究活動などなど。それら様々な活動にはみんなの夢と希望も溶け込んでいる。自分の夢を叶えてくれる「湿地と鳥たちの友だち」があり続けるかぎり、今日も私は楽しく舞台に立つことができるのだ。
(翻訳:チョン・ウンジュ)
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写真7 週に1回生態日本語勉強部屋の会がある。「湿地と鳥たちの友だち」の事務室にて |
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写真8 今年7月に洛東江河口を訪れたJAWANの2人と「湿地と鳥たちの友だち」事務室にて。左端が筆者 |
(JAWAN通信 No.86 2006年11月25日発行から転載)
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