「うまんちゅぬ宝 泡瀬干潟」からの報告

山城正邦(沖縄野鳥の会事務局長)

泡瀬タイム

 ザザザザザーッ。白銀の砂地に一斉に潜りこんだのは、空色のカニたちである。泡瀬干潟にどかどかと入り込み、気のすむままに歩き続けると、決まって辿り着くのはこの広大な砂洲である。ミナミコメツキガニの隠れたつかの間の大地は、無数の砂団子で彩られる。逃げ遅れたそいつをよくよく眺めると、なんとも奇妙な姿である。何もない白い大地の向こうには、沖縄の青い海。そして、カニたちと同じ色をした青い空に白い雲が浮かんでいる。鳥たちよりも沖にでてしまったので、陸側に振り返ると、シギやチドリたちは、やはり忙しく歩き回っている。贅沢な時間を過ごしながら、風に誘われるまま水の中に入っていくと、目の前に海草のジュウタンが広がる。泡瀬干潟のお気に入りのこの場所では、何人の人々が至福の時を楽しんだのだろう。
 海の中の草原は怪しい生き物たちが目を引く。オレンジ色の体に恐竜を思わせるトゲを並べたコブヒトデ。沖縄の瓦屋根そっくりのカワラガイ、海草の草原に突き刺さるハボウキガイ、頭に雄器官、背中に雌器官をもつ雌雄同体のジャノメアメフラシは触ってしまうと、紫色の液体を溢す。そういえば小豆くらいのイカの赤ちゃんが小さなひれで泳ぎながら、一丁前に墨を吐くのを見たことがある。自然の中での生き物たちとの出会いはほんとうに楽しいものだ。
 陽が落ちて、星空の下の干潟を歩くのもまた楽しい。朔(新月)の夜は特にお勧めだ。干潟に降り、ごつごつした礫の中をガサガサと歩き続けると少しずつ砂が混じりだす。川の水が小さな澪筋となり、干潟に溶け込む辺りにウミニナの妙な群がりが続く。そこを抜けると広い砂地が現れ、ゆるやかな波型の砂紋が続く。その日の波が作った造形美は、来るたびにその表情を変えてみせる。いつのまにか心穏やかにさせられ、静かに進んでいくと、コトッ、コトトトッと砂の中から小さな声がする。映画「もののけ姫」に登場した精霊「こだま」の声に似た穏やかな音色は、今夜の訪問を歓迎するかのように鳴り続ける。こいつの正体を見極めながら泡瀬干潟の自然の奥深さを感じさせられる。
 干潟の奥へ進みながら夜の生き物たちと出会う。肉食のヨフバイは触覚のようなもので砂の表面を探りながら這い回る。所々にできた水だまりでは透明なエビが跳ね、大小の積み上げられた砂の山の傍らに対照的にできる窪みにはアナジャコが顔を出したりする。水面にライトを照らすと小さな魚たちが驚いて飛び跳ねる。ハリセンボンやウミヘビが見られることもある。ライトを消して海草場へ入り込む。青く光る草原は、星空を歩いているかのように足の先を前へ前へと光り続ける。光ってすぐに消える夜光虫、青白い液体をだすウミボタル。両手にすくった水を撒き散らすと青い光は、星空へと続く。幻想的な光景にしばしば時を忘れる事もある。こんな素敵な大人の夜遊びができるのも泡瀬干潟ならではであろう。

満ち潮で小さな岩に集まるキョウジョシギとチュウシャクシギ 明け方の干潟に集まったシギ・チドリ

うまんちゅ(御万人)ぬ宝泡瀬の海

 泡瀬干潟にはクビレミドロやトカゲハゼ、ニライカナイゴウナ、オキナワヤワラガニなど数多くの希少な生き物が記録されている。また、新種を含めた13種の海草が生息する藻場があることでも知られるようになった。貝類の種類では貝殻の記録も含めると約500種に上るという。科学的にみても貴重な海域であることはまちがいない。しかし、泡瀬干潟の埋め立て問題を考えるとき、この海がもたらす人々への恩恵は、もっと重要なことかもしれない。
 毎日貝を採るおじー、おばー。季節の折々には海職人(ウミンチュ)に交じって地域の住民も海に入る。早春から春先の干潟は緑色に染まりアーサ採りで賑わう。旧暦の3月3日の浜下り(ハマウリー)の日には県内各地から集まった人々が海で遊び身を清める。子どもたちの春休みの頃にはモズク採りも始まる。そして、夏にはセーグゥワー(エビ)捕り、10月からはシーガイ(イイダコ)捕りの人たちが自前の投げ縄を振り回す。
 四季折々に採れた産物はそのまま食卓に並ぶか、親戚や友人に配られる事が多いようだ。私が最も好きな食材はアラスジケマンなどの貝のスープである。潮の香りをそのままダシにしたキブヤー汁(貝のスープ)は幼少の頃に時々口にしたあの味そのままだった。そして、干潟で遊んだ遠い記憶がよみがえる。
 泡瀬の隣にある我が家の前にもかつては大きな干潟が広がっていた。家の前から海までは一直線、坂道を下って葦原に覆われたガタゴト道を潜れば潮の香りがした。悪がきどもは貝を掘り出したり、カニを捕まえたりしながら、思いのむくまま遊びまわった。時には生き物たちにとっては残酷なこともした。潮満ち時にはブーナー(フグ)の手づかみが楽しみだった。捕まえたブーナーは干潟に穴を掘って砂で周囲を固めたところに放り込みブーナー島と呼んでいた。干潟が海になるとアーマン(ヤドカリ)をさばいて釣り針に付け海へ投げ込んだ。ブーナー島の小さな池で泳いでいたフグたちは、潮満ちと共に海に帰るが、時々アーマンにくらいつくまぬけなヤツもいた。
 多くの鳥たちに出会ったのもこの干潟だった。中学のにわとりクラブが沖縄野鳥の会の人からもらった古びた望遠鏡は悪がきどもの運命を変えてしまった。慣れ親しんだ干潟を望遠鏡で覗くと愛敬のある鳥たちは、生き生きとしたその姿をみせびらかした。悪がきどもは興奮し、そして自然を感じた。干潟に通いだすと鳥たちの習性も分かってきた。図鑑と見比べて種類も識別できるようになってきた。潮が満ちてくると鳥たちはどんどん集まってくる。干潟がどんどん小さくなり忙しそうに餌をとりながらシギたちが迫ってくる。振り返るとそこにも鳥たちでいっぱいだった。陽がオレンジ色になるまで傾き空を染める頃、悪がきどもは鳥たちのいる出口へと歩き出す。乱舞する褐色のシギやチドリたちは一瞬にして真っ白にひるがえり、それぞれの声で鳴き交わしていた。鼻歌を歌いながら帰る頃にはオレンジ色の空は夜の準備を始めていた。
 泡瀬に通うようになって鳥たちに囲まれたあの頃が重なり合う。あの頃と同じように満ち潮で小さくなった干潟に次々とシギやチドリが集まってくる。礫に擬態したムナグロのそばをウミンチュが帰っていく。鳥たちはいつものことなので飛び立たずに安全な距離まで歩いていく。時には1000羽以上のムナグロが目の前に集まる。手の届きそうなところには、トウネンやシロチドリ、ムナグロの中にメダイチドリやオオメダイチドリが混ざり、水際にはダイシャクシギやダイゼンが陣取る。鳴き交わす鳥たち、たくさんの羽音が頭上をかすめる。「残っていた。こんな海が」。自然を感じながら鳥たちと心地よい時が流れる。
 ここを「ワッターの海(私たちの海)」と誇れる泡瀬の人々が羨ましかった。

アーサ色に染まった泡瀬干潟の春 泡瀬干潟ではしゃぐワラバーター(子供たち)

変わりゆく干潟

 寂しいのは隣町にある悪がきどもの干潟はすでに乾いた土で埋め尽くされ、ユンボやトラックが群れるあの光景に成り代わっていることだ。そして今泡瀬干潟の埋立工事は着々と進んでいる。ホットスポットと呼ばれる貴重種がたくさん見つかった沖合いの深場の周りでは海上工事が行われ護岸が建設されている。陸からは鉄の道が走り、鳥の集まる干潟を分断した。異変に気づいたのはこの春からである。水は濁り砂は思いもよらない所へ動き出した。両手をあげて空を仰いだ海草場は砂に埋もれ黄色くしなび、そして枯れていった。海草を失った味気ない地表に突き刺さるハボウキガイも訪れるごとに消えていく。沖合いの護岸はまだ小さく、これから行われる巨大な埋め立てを思うと悲しくてたまらない。

ウミンチュ(海職人)には飛び立たないムナグロたち


夏羽に衣替えしたムナグロたち
死に急ぐ干潟を救うには
どうすればいいのだ。
涙は流したくない。
もはや争っている場合でもない。
早く気づいて、もう時間がない。
泡瀬の海を愛しここで
生きてきた人たちと
海へ入らねば。
この街の人々の夢を聞かずに
歩む事はできるのだろうか。
山城正邦

(JAWAN通信 No.86 2006年11月25日発行から転載)