韓国の市民環境運動の現状と課題
特にセマングム市民生態調査団について

元鍾彬(ウォン・ジョンビン)/佐藤慎一 日韓共同干潟調査団

 韓国では、市民が自ら環境調査を行う「市民生態調査団」が各地にできつつあります。ここでは、韓国で市民環境運動が盛んになった経緯と現状、そして彼らが抱える問題点などを報告します。

1. 日韓共同干潟調査団からセマングム市民生態調査団へ

 韓国の市民生態調査団は、日韓共同干潟調査団の活動から大きな影響を受けています。日韓共同干潟調査団は1999年に、JAWAN創立時の代表(当時は共同代表)である山下弘文さん(故人)を中心に結成され、トヨタ財団市民社会プロジェクト助成を受け2000年5月から本格的な調査活動を開始しました。調査の目的は、日本と韓国のお互いの国の干潟を知り、現地での調査データに基づいた科学的な政策提言を行うことによって、日韓の干潟の保全を目指すことです。
 干潟調査は、水鳥・底生生物・干潟文化の3班に分かれて活動し、特にセマングム干拓予定海域において重点的に調査活動を展開しています。今まで日本と韓国で20回以上の干潟調査を行い、3冊の報告書を出版し、14回のシンポジウムを主催しています。これらの活動により、2005年11月には毎日新聞・朝鮮日報から日韓国際環境賞を受賞しました。
 そして、日韓共同干潟調査団の独自の調査スタイルが、セマングム市民生態調査団にも受け継がれ、さらに現在では仁川・木浦・泗川などで続々と市民生態調査団が結成され、韓国全土へ広がりつつあります。
日韓共同干潟調査団2000年5月調査風景(左から7番目が山下弘文さん)

2. セマングム市民生態調査団の設立と活動

 韓国中西部セマングム地域では、1991年11月に大規模干拓事業が着工しました。防潮堤の全長は世界最長33kmで、干拓面積は諫早湾干拓の11倍以上の40,100haに及びます。着工当初から環境団体を中心として、周辺海域への影響を懸念する声が大きかったのですが、それにも関わらず、セマングム干拓事業は強行に押し進められました。
 2003年3月には、韓国最大の平和的な環境運動とも言われる「三歩一拝運動」が始まりました。この運動によって「セマングム干拓開発事業は、すぐ中断すべきである」という機運が高まりました。その一方で、「セマングム干拓事業による環境変化はないと主張する政府や企業のデータだけでは、問題解決には役に立たない」として、「市民自ら自然環境の変化や地域状況を記録するべきである」という声も環境団体から出ました。これらの声が集まり、日韓共同干潟調査団に参加していた韓国側メンバーが、「これからは我々の力で調査を進めよう」と呼びかけました。
 セマングム市民生態調査団は、毎月の第1土曜日に韓国各地からソチョン環境運動連合事務室に集まり、午後7時からワークショップや勉強会などを行います。そして、翌日曜日の朝9時から各分科班別に調査を開始、午後5時に再び集合して、その日に調査した内容を報告して解散となります。このような調査活動が、2003年12月からこれまで一度も休むことなく続けられ、4年6カ月を迎えました。この間に市民生態調査団の活動に参加した市民は、のべ1200人を超えます。毎月、必ず遠い所から参加する人も25人程います。それらの調査内容は、1年後に「セマングム市民生態調査団活動白書」として発刊され、今年も4冊目の白書が発刊される予定です。
 当初は、日韓共同干潟調査団と同じく、3つの分科班で調査をしていましたが、2006年4月に防潮堤が完成し干潟の陸地化が進むに連れて、植物分科班が加わりました。その中で、最も人気あるのは水鳥分科班です。韓国の黄海沿岸地域は、良質な干潟に生きるカニや貝類など豊かな食卓を求めて飛んでくる渡り鳥の栄養補給所です。ここでは何千万羽もの多様な渡り鳥が訪れ、生き生きした生命感を感じられます。しかし、水鳥分科班の調査では、年々渡り鳥の数が減少していることが明らかにされています。
 植物分科班も、干潟の継続的なモニタリングを行うことによって、干潟の陸地化が進む状況を記録しています。ある一箇所のエリアを指定して、干潟の塩生植物が消え、陸地の植物がどの順番で増えているのか、その過程を細かに記録しています。底生生物分科班は、セマングム干潟で日韓共同干潟調査団と共に貝類の未記載種を発見したほか、絶滅危惧種であるオカミミガイの生息地を多数発見するなど、セマングム干潟が生態的な多様性を持つ場所であることを証明する貴重な資料を作ってきました。
セマングム市民生態調査団報告会風景
 そして干潟文化班は、住民生活や地域共同体、伝統文化などが、セマングム干拓開発によって、どのように変化したのかを記録しています。文化班は住民とのインタビューにより調査活動を行います。この活動を通して調査員は、地域共同体の大切さや伝統文化に対する誇りについて学び、その一方で住民たちが忘れ去っていた記憶を蘇らせ、地域を守るのは自分自身であることを相互に学習します。

3. 最後に

 市民生態調査団は、調査活動期間「10年」の目標を立て、この間にセマングムの環境がどう変わるのかを、専門家の視線ではなく一般市民の視線で記録することから出発しました。調査結果は、セマングムの環境問題を発信する重要な資料として、様々なセミナーやワークショップに使われています。しかし、調査活動の最大の成果は、調査メンバーが実際に見て感じたものだけではなく、見えないものでさえも感じ取るようになったことです。いつ自分たちの住んでいる地域に開発問題や気候変動による自然環境の変化が起きるか分からない。だからこそ、今の地域自然を記録することによって、その変化が明らかになるという思いが根底にあります。そして今、セマングム市民生態調査団にならい、自分たちの住む地域環境を記録する新たな市民生態調査団が、他の地域にも続々とできています。
 発足当時の調査団メンバーは環境運動家や大学院生などが大半でしたが、最近では親子で参加する一般の市民が増えています。しかし残念なのは、セマングム干拓開発に多くの影響を受けている地域住民の参加が少ないことです。当事者である住民の自発的な参加や、住民が自ら地域の変化を記録していけるように、市民生態調査団として支援の方法を模索する必要があります。地域を調査対象としてではなく、住民と共に学びあう活動の場としての方向転換が、今後の課題と言えます。
 市民の輪をもっと広げて、たくさんの人々がセマングム干潟の環境変化に関心を持ち続けることで、人為的な環境破壊に止めをさす大きな力として作用できることが期待されます。この力が集まれば、セマングム干潟に共生するすべての生命は、明日へと生き延びる希望が生まれることでしょう。

(JAWAN通信 No.91 2008年7月1日発行から転載)


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