ラムサール条約湿地「藤前干潟」〜保全後の状況とこれから〜
亀井 浩次
(NPO法人藤前干潟を守る会理事)
藤前干潟保全の経緯藤前干潟は、伊勢湾の最奥部に広がる干潟です。伊勢湾奥には木曽・長良・揖斐の三つの大河川が流れ込んでおり、そこに形成された広大な湿地・干潟は古くは「あゆち潟」とよばれていました。江戸時代中期からの新田開発・高度成長期の干拓事業等で陸地化が進められた結果、現在の海岸線ができてきたわけですが、その最後の残存部分が「藤前干潟」ということになります。「藤前干潟」の名が知られるようになったのは、1980 年代半ば、名古屋市が干潟を埋めて廃棄物処分場を建設するという計画を立て、それに対して干潟保全を求める運動が起こったことによります。それはちょうど全国各地で起きていた自然保護運動の一環として社会問題化し、名古屋周辺の長良川河口堰・海上の森(愛知万博)の問題や、また湿地関係では諫早湾や三番瀬などと並んで注目を集めるようになりました。1990 年代を通して論争は続きましたが、国内外の幅広いネットワークの協力があり、いくつかの幸運も重なって、最終的に藤前の埋立計画は中止され、保全されることになりました。 1999 年の計画撤回を経て国指定鳥獣保護区の設定、2002 年には周辺も含めて 323haがラムサール条約に登録され、国・地元自治体・市民団体等でつくる「藤前干潟協議会」であり方を考えるというシステムが作られました。なお、これを契機に名古屋市はごみ減量をはじめとする環境行政重視の方向性を打ち出し、その流れが来年の「生物多様性COP10」につながっています。 ガタレンジャーの活動さて、保全実現とともに、いわゆる「ワイズユース」の一環としての現地見学の要望が多くなってきました。私たち「藤前干潟を守る会」では、それ以前から干潟の価値を伝えるための観察会(干潟探検隊)を休日中心に随時開催していましたが、特に学校の校外学習としての利用など、平日の見学が多くなってそれまでの態勢では対応が難しくなったため、現地カイドの増員が急務となりました。そこで、ボランティアガイドの養成をめざして立ち上げたのが「ガタレンジャー養成講座」の事業です。アメリカの国立公園で来場者の対応やフィールドの管理を行う「パークレンジャー」の制度に倣い、干潟環境に特化した「干潟のレンジャー」として活動できることをめざした独自資格です。ラムサール条約登録の 2002 年に第1回を実施。今年で8回目となりますが、4日間(2日×2回)で計35時間程度の講座を行い、全課程受講で「ガタレンジャー」として認定しています。現時点での修了者は計 63 名。当会の主催企画である「干潟の学校」(観察会その他の活動の総称)のスタッフ業務のほか、学校や各種団体の依頼による「体感学習」の指導や、また環境省の現地施設「稲永ビジターセンター」「藤前活動センター」に職員として常駐して来館者対応をする、というのも重要な活動です。最近では他地域からの参加者もあって、必ずしも修了者がそのまま藤前のフィールドで活動する、というわけではありませんが、「ガタレンジャー」としてそれぞれの地域での活動を担っていくというのも、それはそれで有意義ではないかと思っています。 問題点と今後の展望保全が実現してセンターもでき、多くの利用者を受け入れて社会的に評価され…と、いいことづくめのようにも見えますが、干潟の状況としてはむしろ悪くなっている、というのが正直な現状です。特に 10 年前の「東海豪雨」後の生態系の変化は大きく、ゴカイ類が激減してしまいました。またここ数年、ヤマトシジミが激減してほとんどソトオリガイに置き換わってしまうなど、生物相が不安定になっている、ということを実感しています。それらとの因果関係は明確ではないものの、鳥類、特に藤前を特徴づけていたハマシギの飛来数も減ってきており、全体として楽観できない状況にあります。 ひとつの原因として考えられるのが、藤前干潟周辺の伊勢・三河湾の環境悪化、とりわけ「貧酸素水塊」の多発の問題です。閉鎖性水域の富栄養化の結果、大量発生したプランクトンが水中の酸素を消費し、特に夏期には湾内のほとんどの部分が貧酸素状態になっているということが、近年の調査で明らかになっています。その貧酸素水塊が海流により移動することで、多くの底生生物が死滅すると考えられます。 問題の解消には干潟・藻場・浅海域の確保が重要であり、湾奥の小さな干潟が保全されただけで解決できるようなものでもありません。水域全体、ひいてはそこに流れ込む河川の流域まで含めた「生態地域」全体での再生、という視点が必要ではないか、ということで、当会ではここ数年、地域内のさまざまな団体・個人とネットワークを組んで、「伊勢・三河湾流域ネットワーク」としての活動を展開しています。 「干潟」はそれだけで存在しているのではなく、そこに流入する河川を通じて源流の森や流域の町とつながり、そこから海へ、さらには渡り鳥を介して世界の湿地ともつながっています。このような「つながり」の象徴として、それぞれの有機的なつながりを回復していく「要」の役割を果たすことが、今後の「藤前」に求められているものでしょう。 (JAWAN通信 No.94 2009年9月25日発行から転載)
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