泡瀬干潟の再生と人間性の回復へ
小橋川共男
(泡瀬干潟を守る連絡会共同代表)
2009年 10月 15日、泡瀬干潟裁判の控訴審判決の日をいよいよ迎えた。どのような判決となるのか。私たちの勝利か、敗訴か、胸の内は肯定と否定が繰り返される。 一審判決以来、全国的にも注目され、さらに政権交代直後で判決が及ぼす影響は、今後の自然環境に関わる運動に大きく作用していくだろうと考えられる。 時間は同じはずだが、待つのは長い。判決要旨の配布も、厳粛に聞いてくださいとの裁判長の言葉も意外だった。主文、と読み上げられた最初が私たち非控訴人の亡くなられた方や辞退者の名前であった事には一瞬とまどったが、原告として一緒に闘ってきた沢山の人々がこの席以外にいることを改めて確認させられた大事な点であった。 判決用語は相変わらず私には理解不能であったが、耳だけは声を聞きもらすまいと集中し、前後の流れの中で勝ったと思った瞬間、グッとこみあげるものにうなずくと共に傍聴席で眼を会わせた人に握りこぶしに力を込めて微笑んだことを思い出す。 無駄に税金を使い、その上、貴重な自然を破壊する二重の愚が断罪されるのは当然の事だが、司法の場でそれが証明されるのはほとんど信じていなかっただけに司法の良心を疑っていたことをあやまらねばならない。 上告を断念し、判決が確定したにもかかわらず、性懲りも無く土地利用計画見直しで埋め立てをごり押ししようとする行政の真意は全く理解できない。「国際交流リゾート拠点」、「スポーツコンベンション拠点」とも、すでに破綻したバブル計画のミニ版でしかない。彼らの感性の中に自然環境はどのような位置にあるのか。地球全体の問題、誰もが等しく享受できる自然は格差とは無縁の存在であることを承知しているのだろうか。私の知る限りでも、これまでコリンザ、音市場ミュージックタウンが沖縄市の発展にかかせないと謳われてきたが沈没。沖縄市が実施した最新の意識調査でも泡瀬干潟の埋め立ては9番目にもかかわらず市民総意のウソの看板をかかげて埋め立てようとする行政には人間性や自然に対する感謝の念は無く、利権しか見えてこないのが残念だ。 ともあれ私たちの勝利は動かない。「正直ほっとしました。そして本当に嬉しい。」インタビュ−に答えた私の第一声は掛け値なしの本音だ。事前集会ではどのような判決がでようとも泡瀬干潟を子々孫々へ繋ぐことが私たちの使命と言ったこともウソではない。闘いはまだまだ続くが、あと一歩へ皆さんの一層のご支援をお願いしたい。 (JAWAN通信 No.95 2009年12月10日発行から転載)
>> トップページ >> REPORT目次ページ |