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ラムサール条約湿地

「片野鴨池」のワイズユース

石鍋 慎也     
(加賀市鴨池観察館レンジャー・
〈財〉日本野鳥の会サンクチュアリ室)
 

<小さくて大きい片野鴨池>

 片野鴨池(かたのかもいけ)は石川県の南西部にある加賀市に位置する、丘に囲まれたわずか 10haの日本屈指の小さな溜め池です。鴨池は小さくとも、生物にとっては貴重な生息環境となっており、この鴨池を利用する生物は様ざまです。 中でも、代表的なのが毎冬に越冬地として利用しているカモ類であり、マガモやコガモはもちろん、天然記念物であるマガン、絶滅危惧種であるトモエガモもこの鴨池を利用しています。カモをエサとする国内希少野生動物のオオタカやオジロワシなどの広大な生息環境を必要とする猛禽類も、この小さな鴨池を利用しており、面積から受ける印象よりも、自然界における役割は大きいのです。

写真坂網漁師
夕暮れにカモを待ち構える坂網猟師

<片野鴨池と坂網猟>

 この小さな溜め池には、生物の営みとともに、人間と自然の共存の歴史が刻み込まれています。片野鴨池は、16世紀中頃に日本海の潮風で谷が砂で埋まってできたと伝えられており、1678年には大聖寺藩主の命を受けた魚屋長兵衛によって、鴨池西端にトンネルが掘られ、水が抜かれて水田が作られました。
 1688年になると、水田に集まるカモ類を対象とした坂網猟(さかあみりょう)が始まったと言われています。この坂網猟は大聖寺藩によって行なわれ、銃ではなく、特殊なY字の網を空中のカモに投げつけるという独特の狩猟方法でした。
 坂網猟師は鴨池のカモを捕まえるだけではなく、カモを脅かすものからカモを守る働きも行なっていました。坂網猟師のカモを守る働きで有名なものでは、戦後、石川県を管轄下においていたウォーカー中将が、鴨池で銃猟を行なおうとした際、当時の捕鴨組合が銃猟の停止を求めて GHQへ直訴したという記録があります。組合長は直談判し、アメリカ軍野生生物課のオースティン博士の協力のもとに銃猟停止に結びつけました。命を賭して行なったこの行動から、代代、鴨池を守りながら利用してきた坂網猟師としての誇りを持っていたことが強く感じられます。
 自然に任せて、人間がなるべく関わらないように守る方法と正反対に、鴨池は人間が自然を守りながら利用してきたことで 1993年にラムサール条約登録湿地となりました。ラムサール条約にある賢明な利用 (ワイズユース )という言葉ができる以前から、鴨池では地元の人びとによってそれが行なわれてきたのです。人間が鴨池という自然に関わり始めてから 300年間、カモと田んぼ、坂網という三つの持ちつ持たれつの関係が守られてきたことによって、今でも鴨池が存在し続けていると言えます。

写真 片野鴨池
ラムサール条約湿地「片野鴨池」

 <鴨池観察館と日本野鳥の会>

 私たち日本野鳥の会は、1984年の鴨池観察館設立時より鴨池の保全に携わってきました。鴨池を利用している生物や、鴨池の歴史である稲作農業や坂網猟の重要性を来館者の方へ伝える普及啓発活動を基本としつつ、鴨池内の水田や森林の管理といった環境整備や、ガンカモ類を中心とした環境調査を行ない、鴨池の保全に向けて活動をしています。そして、鴨池の保全には、私たちの力だけでは足りず、鴨池に古くから直接関わってきた地元農家や坂網猟師といった地元住民の力がどうしても必要です。
 実際に鴨池の水で稲作をしている地元農家や、鴨池のカモを狩猟している坂網猟師は、鴨池に対し、直接的な影響力を持っていることから、鴨池の保全をしていく上でも、私たち以上に重要な存在なのです。そのため、些細なことであっても、鴨池の保全を進める際には、地元農家や坂網猟師と意見や情報の交換を行なったり、協力して一緒に汗を流しながら重労働をこなすなど、「一緒に鴨池を守る」という意識を常にお互いが持てるように現在も取り組んでいます。

<これからの片野鴨池>

写真 畦づくり
いっしょに汗を流す、
畦作り作業中のレンジャー
 現在、様ざまな人びととの協力により、鴨池の環境は保たれているものの、カモの越冬個体数が減少傾向にあります。
 要因の一つとしては、現代の銃猟の規制による影響が考えられます。銃を撃てる場所が多かった時代でも、坂網猟師によって銃猟から守られていた鴨池は、カモたちにとって貴重なねぐらであるとともに緊急時の避難場所であったため、20年前の 1989年にはおよそ 1万 3000羽のカモ類を記録しています。
 現在、石川県にやってくるカモ類の個体数は、20年前からほぼ平衡状態にあるものの近年、銃猟が規制された鴨池の近くにある柴山潟では、20年前の 1989年にはカモ類208羽の記録でしたが、2004年の銃猟規制とともにカモ類の羽数は増加し、2009年には 1989年の 20倍となる約 4000羽を記録しました。一方、鴨池では、20年前のおよそ 1万 3000羽から柴山潟と反比例して、2009年度にはおよそ 3千羽という大幅な減少結果となりました。

 鴨池でのカモ類の越冬個体数を維持することは、坂網猟師という鴨池の守り手の存続にも繋がることから、鴨池周辺の水田では、1996年よりカモ類の個体数維持を目的とした「ふゆみずたんぼ」という取り組みがされています。この「ふゆみずたんぼ」は、カモ類のために冬にも水を張った水田を用意するというもので、坂網猟師であり地元農家でもある山本幸次郎さんから始まり、現在では、他の地元農家の方やボランティア、日本野鳥の会が協力して取り組んでいます。
 また、カモたちが水田で採餌を行なうことにより、雑草の種子の除去や、排泄物が肥料になることで、除草剤や肥料に近い効果が得られることも研究から分かってきています。このことを活用し、冬期湛水をしてカモを誘致した水田で、肥料と除草剤を減らして育てたお米を加賀の鴨米「ともえ」という名称でブランド化して販売することにより、一番手間をかけてくださる農家の方に、通常よりも高い利益が生まれるように仕組み作りをしています。
 カモにも農家にもおいしいお米を作る、というワイズユースを意識した取り組みは、鴨池以外の自然環境の保全でもとても重要であると思います。これからも地元関係者と協力し、鴨池という人間と自然の共存場所を守っていけるよう、より一層の努力をしていきたいと思います。

(JAWAN通信 No.95 2009年12月10日発行から転載)

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