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福山市鞆の浦埋立て

架橋計画を止めよう!

松本 宣崇    
(環瀬戸内海会議事務局長)

 2009年 10月 2日付け全国紙各紙一面トップには、「鞆の浦埋立て差し止め 景観は国民の財産」の大見出しが踊った。07年4月、鞆の浦住民が提訴した「鞆の浦埋立て架橋計画差止め請求訴訟」に対し「請求を認める」とした、10月 1日の広島地裁判決である。
 

歴史的文化的景観を残す鞆の浦(とものうら)

 瀬戸内海のほぼ中央に位置する港町、広島県福山市鞆の浦は天然の良港にも恵まれ、長く繁栄を築いてきた。東西からの潮流がぶつかる所、万葉の昔から中世・近世、船の「潮待ち・風待ち」港として利用されてきた。
 町には、多くの歴史遺産が現存する。ひとつは中世の港、ふたつには中・近世の「町家」。海の干満に合わせて積み下ろしが出来るよう階段状に石を積み上げた雁木(がんぎ)、燈台の役目をぎ果たす常夜灯、船舶の見張りを行なう船番所、船の修理場である焚場(たでば)跡、そして石造りの防波堤である波止。風化しにくい材料で造った構造物が、円弧型の鞆港に巧みに配置されている。中世の港の要素を全て残す港は鞆の浦以外にはない。
 また、鞆の浦には狭い路地に国重要文化財「太田家住宅」はじめ中世から近世の「町家」が多く残されている。イコモス(国際記念物遺跡会議)から 4度にわたり「保存を求める」総会決議と勧告を受け、国交省も文化庁も「慎重にならざるを得ない」のは当然であった。

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国重要文化財「太田家住宅」前。「太田家住宅を守る会」会長・鞆の浦訴訟原告団長 大井さんから説明を受ける環瀬戸内海会議第 20回総会参加者ら
(2009年6月13日)
 

埋立て架橋計画は 26年前の計画

 そもそも計画は 1983年、鞆の港を 3分の 1埋め立て、真ん中に橋を通すというものだった。これは、「経済成長が一万台の通過交通をもたらす」という、四半世紀前の目測や価値観によって計画され、当初「バイパス道路」にすぎなかった。ところが時が経つにつれ、「生活道路」や「町並み保存のための代替道路」とその意味を変化させてきた。
 そして、反対の声が上がるたび、「地域活性化」や「生活環境の改善」などといった効能が付け加えられ、果ては「緊急車両の通過」や「土砂災害時の避難地確保」、「高潮による浸水被害の解消」といった、危機感で住民を煽る謳い文句が加えられていった。
 計画は 2004年、住民の反対でいったん白紙とされたが、現市長の登場で、にわかに再浮上してきた。
 

埋立て免許仮差止め申立に対する決定

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朝日新聞(2009年10月 2日より
 2007年 9月、住民は本訴の進行とともに、本訴の判決が出るまで免許を下さないよう求める“仮差止め申立”も起こした。08年 2月の決定は「却下」だったが、その内容は非常にすばらしいものだった。
 決定では、“景観利益”と“埋立予定地への排水権”のどちらもほぼ訴えどおり認め、原告に適格があるとした。また、埋立架橋事業が景観を破壊することも明確に認めており、却下理由を「仮に埋立て免許が下されても、即“(免許の)取消訴訟”に切り替え十分争える」とした。埋立て免許が下される前に、このような却下理由を盛り込んだのは、過去の司法判断からすれば異例中の異例で、画期的であった。

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鞆の浦港・雁木(がんぎ)(2009年 6月 14日撮影)

 

鞆の浦埋立て免許差止め訴訟判決の意義

 広島地裁は 10月 1日、鞆の浦の歴史的景観を享受する利益が法的に保護するに値すると明快に断じた。
 判決理由骨子は、①居住者は鞆の浦の景観による恵沢を享受していると推認され、法律上の利益を有する。②鞆の浦の景観は私法上保護されるべき利益であるだけでなく、瀬戸内海の美的景観を構成するものとして、また、文化的歴史的価値を有する景観として、国民の財産ともいうべき公益である。しかも事業が完成した後には復元不可能である。③埋立てなど事業が鞆の景観に及ぼす影響は軽視できず、瀬戸内海環境保全特別措置法(瀬戸内法)が公益として保護しようとしている景観を侵害する。④事業の必要性・公共性の根拠とする効果は、調査・検討不十分で合理性を欠くとまで言い切っている。
 瀬戸内法では第 3条で、「……瀬戸内海が、わが国のみならず世界においても比類のない美しさを誇る景勝地として、また、国民にとって貴重な漁業資源の宝庫として、その恵沢を国民が等しく享受し、後代の国民に継承すべきものである……」と高らかに謳われている。過去、瀬戸内沿岸の藻場や干潟の埋立て事業に法的効力を持たず、ザル法と言われた瀬戸内法を理由に盛り込んだことは特筆してよいのではないか。
 景観を巡る行政訴訟では、行政の裁量権が広く認められ、これまで原告側敗訴が相次いだ。和歌山市の景勝地「和歌の浦」の架橋工事をめぐる訴訟や、愛媛県織田が浜の埋立てをめぐる訴訟など景観利益の法的保護は認められなかった。
 和歌の浦訴訟では 1989年の提訴時、「歴史的景観権」という概念を初めて盛り込んだとされる。敗訴はしたが、2005年、景観を「国民共通の財産」と位置づけ、地方自治体の景観条例に法的根拠を与え「良好な景観の形成」を目指す「景観法」施行に繋がったことは、住民の運動の賜物であり大いに評価すべきだろう。
 また、判決は、景観への損害と公共事業によって得られる利益を行政側が比較し、事業の可否を合理的に判断すべきとし、行政に対し今後公共事業にあたり、景観への配慮を強く意識することを迫っている。 とはいえ、行政判断の合理性を検証する仕組みは乏しい。計画策定段階から情報が専門家や住民に検証可能な形で公開され、開かれた議論の場が保障されねばならない。

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鞆の浦港・常夜灯(2009年 6月 14日撮影)

 

宮崎駿監督のコメント

 鞆の浦に滞在してアニメ「崖の上のポニョ」の構想を練り、鞆の浦の景観保全運動を支援してきた宮崎駿監督は語った。「(判決は)鞆の浦の問題だけでなく今後の日本をどういう風にしていくかというときに大きな第一歩。公共工事で何か劇的に変わるという幻想や錯覚を振り撒くのはやめたほうがいい。不便を忍んで生きる。そういう哲学を持たなきゃ。不便だから愛着がわくというのが人間の心。便利で静かで穏やかで落ち着いているとこなんてない、便利はうるさい、不便も良さにつながる」(朝日新聞 2009年 10月 2日付)
  

鞆まちづくり工房・松居秀子さんは語る

 裁判によって事態の客観性が高まり、メディアに取り上げられ、鞆の価値と危機はより広く知られるようになってきている。周知が進んだとはいえ、2008年 8月の福山市長選結果を見ても、住民意識には多くの課題が残っている。低い投票率の中、現職市長が再選し、結果を“民意”として利用している。「分かっているけど行動しない」無関心な市民が、問題ある行政を支え、まちづくりを方向付けているのだ。地方分権の制度が続く限り、「地元市民の意識をどうするか」は、避けて通れない課題であると。
  

広島県、不当にも控訴

 しかし、10月 15日の控訴期限ギリギリ、広島県は「判決を不服」と控訴した。不服の中身は、公共事業の裁量権が狭められることに尽きる。政権交代に際し、金子一義前国交相は「鞆の浦を埋め立てないよう」と、前原誠司国交相に申し送ったというのだが……。 とはいえ、この金子前国交相も、景観がひとつの問題となっている国立公園の名勝・小豆島寒霞渓(かんかけい)山ろくの巨大ダム=内海ダム建設には、極めて積極的だった。 この落差は何なのだろう。

(JAWAN通信 No.95 2009年12月10日発行から転載)

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