ラムサール条約湿地
「釧路湿原」保全の歴史と連携
福田 芳弘
(釧路国際ウェットランドセンター事務局)
(釧路国際ウェットランドセンター事務局)
1 釧路湿原保全の歴史
釧路湿原は、北海道東部に位置する釧路川とその支流に沿って展開する日本最大の湿原です。1980 年に日本で最初にラムサール条約に登録され、1987 年には日本で28 番目の国立公園「釧路湿原国立公園」に指定されています。現在では多様な主体により保全が進められていますが、湿原の歴史をたどると3つの大きな転機が見られます。
タンチョウは釧路湿原の象徴とも言えるツルですが、明治以降の乱獲や開拓による生息地の狭小化によって一時は絶滅したと思われていました。しかし、1924 年に湿原内で十数羽が確認され、これを契機に地域住民にタンチョウとその生息地を守る意識が芽生えました。そして、1935 年には湿原の一部2700ha がタンチョウの繁殖地として国の天然記念物に指定されることとなります。これが湿原保全の最初の転機です。
昭和の高度経済成長の時代に入ると釧路湿原にも開発に向けた様々な動きが見られるようになり、1972 年には「釧路湿原の開発と自然保護を考える」市民シンポジウムが開催されました。このとき食品コンビナート用地、農業生産拡大をめざす牧草地などの開発構想が出されるなか、唯一の保全構想として釧路自然保護協会から国定公園化が提起されました。さらにシンポジウムの成果をもとに議論が重ねられ、翌年には「釧路湿原の将来−開発と自然保護に関する釧路地方住民の意見」と題する報告の中で、釧路湿原の将来のあり方として、①自然保護の優先、②多面的調査の継続、③非湿原化地域の開発の容認(農業用地として開発に着手している地域は、既に湿原の一部とは言いがたいため利用を認めること。)が基本原則として合意され、釧路市の市街地の拡大を海岸線から概ね6km 内にとどめる方針が示されました。このことが、釧路湿原の歴史上2つめの転機となり、後のラムサール条約登録、国立公園指定につながっていきます。
そして、1993 年に3つめの転機が訪れます。この年、釧路市においてラムサール条約第5回締約国会議(COP 5)が開催され、通訳やエクスカーションでのガイドなどに多くの地域住民がボランティアとして協力しました。前年にブラジルで開催された地球サミットなどで世界が自然環境の保全への一般市民の関心の喚起と行動参加の方策を模索していたときに、釧路地域の住民の湿原への関心と行動が世界の人々の前に示されることとなりました。そして、この会議の成功は、地元住民に釧路湿原の重要性を再認識させるとともに、地域の自然保護と国際交流に対する意識を飛躍的に高めることにもなりました。
2 湿地保全の取組みと国際協力
COP 5の開催により、釧路地域の住民の湿原保全への熱い関心と積極的な行動が、会議参加者等から高く評価されましたが、この会議を契機として高まった湿地保全と国際交流の気運を生かし、湿地保全のための国際協力を進めるための活動拠点として、1995 年に釧路国際ウェットランドセンター(KIWC)が設立されました。釧路地域には、釧路湿原、厚岸湖・別寒辺牛湿原、霧多布湿原、阿寒湖の4つのラムサール湿地があります。KIWC は、これらの湿地を連携し、地域の豊かな自然、充実した施設等を活用して、湿地の保全に向けた取組みと賢明な利用を推進するとともに、地球規模での環境保全に寄与することを目的としています。
また、KIWC は、地元自治体、環境省・北海道の地元機関などの行政機関のほか、地域の大学、釧路商工会議所、釧路自然保護協会、財団法人自然環境研究センター、NPO 法人日本国際湿地保全連合、学識経験者など様々な立場の専門家により構成されています。
これまで、環境分野の国際会議・フォーラムの開催、JICA の生物多様性・湿地保全等に関する研修の受入れ、オーストラリア姉妹湿地との交流などの国際協力事業のほか、技術委員会による調査研究、ラムサール条約や湿地保全に関する情報提供などを実施しており、地域・国を越えた協力ネットワークを展開し、主に湿地保全の技術面に関する情報・技術の交換を積極的に行っています。
3 連携を深める環境づくり
釧路湿原では、KIWC のほかにも「関係者の連携」を基本とした多くの組織・団体が活動しています。自然再生推進法に基づいて設置された「釧路湿原自然再生協議会」は、釧路湿原における自然再生事業や学校教育を含む環境教育を推進するとともに、カヌー利用のルールづくりや地域で行われる自然環境保全に関する様々な活動の支援などを行っています。
この協議会の構成員を見ると、地域住民、NPO、NGO、学識経験者、関係行政機関など立場の異なる多彩な顔ぶれとなっています。特に事務局は、環境省、国土交通省、林野庁、北海道による構成で、省庁間や国と地方の境界を越えた協力体制が確立されており、行政のシステムとしても特徴のあるものとなっています。
地域が将来世代に残さなければならないものは、豊かな自然の環境はもちろんですが、「地域や立場、年齢にとらわれることなく、あらゆる関係者が真摯に向き合い、率直に意見を述べ合うことができる社会の環境」なのかもしれません。少しずつではありますが、それが釧路地域に根付き始めています。
(JAWAN通信 No.96 2010年3月15日発行から転載)
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