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水産生物の乱獲と海洋保護区

向井 宏 (海の生き物を守る会代表)

 日本人は魚食民族だと思われている。しかし本当は、日本人は米と野菜を主とした食文化を持った民族であり、もともと魚をそれほど食べていなかった。ふだんは米や雑穀を食べ、タンパク源として口にするのはイワシの丸干し、アジの干物、ダシに煮干しや鰹節を使う程度であり、むしろ畑の肥料など非食需要が大きかった。東北や北海道では大量のニシンを捕獲したが、その大部分は肥料として使われた。魚食文化とはとても言えない(山内, 1997)。
 それが今のように魚を大量に食べるようになったのは、太平洋戦争に負けアメリカ軍に占領された後、欧米、とくにアメリカの食文化がどっと入ってきたことから始まった。アメリカが日本に持ち込んだ肉食文化は、それまでの日本人の米と野菜の食文化に、大量のタンパク質食材を食べることを教えた。日本人の多くは日常的に高価な肉を食べることはできず、代わりに魚を食べた。そのために魚の消費量は急激に増加し、需要に応じて魚の水揚げも急激に上昇した。
 その後は日本の経済状況が好転するに伴い、日本人の魚の消費量は日の出の勢いで上昇し、日本国内の生産では間に合わず、公海や外国の領海でも漁獲をし、さらに不足分は輸入に頼るようになった。そのうち、日本人の食が肉食に偏るようになり、肉の消費量が魚の消費量を上回るようになり、日本人の体格も大きくなった。
 水産物の需要がきわめて大きくなったにもかかわらず、いや、それ故に、日本の周辺から魚類の資源は減少している。需要の増大の初期には、資源はほぼ無尽蔵と考えられていたが、その過ちはまもなく気づかれるようになるが、消費者はほとんど気づいていない。今でも魚は無尽蔵だと思っている消費者は少なくない。
 漁業における技術革新も進んだ。カンで漁場を選び、風まかせだった漁業は、今では1匹の魚さえも識別できる魚群探知機を備え、位置も人工衛星を利用したGPS で、海の上でさえcm 単位で特定できるようになった。網の漁獲効率も極端に上昇し、魚を1匹残らず獲ることさえも不可能ではなくなった。かつては、漁業で魚が絶滅することなど考えられなかった。なぜなら、少なくなった魚を獲ることは、技術的にも難しく、経済的にもペイしないから、絶滅するまで獲ることはあり得なかったからである。
 しかし、今では絶滅するまで魚を獲る技術ができた。もっともわかりやすい例が捕鯨である。昔は、捕鯨は漁師が突き銛1本で近海のクジラを捕った。
 そのような伝統的な捕鯨によっては、クジラが絶滅することはほとんど考えられなかった。それが大砲を改造した銛砲を使うようになり、捕獲効率は急上昇した。見つけたクジラを逃すことは少なくなった。また、クジラを見つける手法も格段に上昇した。今では人工衛星を用いてクジラの群泳を見つけることも可能になった。そのような技術革新で、世界中の海に捕鯨船が出かけ、南極海までクジラを捕りに行くようになった。クジラが急激に減ったのは当然のことであるし、シロナガスクジラなど絶滅寸前のクジラの種は多い。クロマグロがクジラと同じ運命をたどっている。
 クジラやマグロだけではない。多くの魚で資源の減少が続いている。プランクトン食の浮き魚類については、漁獲の影響がどのくらいあるのか、まだ科学的には論争が続いているが、マグロやカツオなどの魚食性大型魚類、沿岸の磯魚類などは明らかに減少が続いている。近年になって二枚貝資源が急速に減少していることも注目される(図1)。

図1 有明海のアサリ(下)と二枚貝全体(上)の漁獲量の変遷。
1980 年代から大幅に減少した。

 あらゆるグループの水揚げ量は、技術が進んだにもかかわらず、減少の一途をたどっている。とくに、1980 年代からその傾向は顕著になってきた。それまでの減少は、自然の変動の一環と見えなくもなかったが、1980年代以降の変化は、明らかにそのレベルを逸脱していると思われる。それが乱獲によるものか、それともほぼ時を同じくして顕著になってきた、地球温暖化に伴う水温の上昇や異常気象が海中の生態系にも大きな影響を与えていることなのか、まだ科学は明らかにできていない。
 しかし、乱獲がその原因の大きな1つであることは、もはや隠し立てできないほどになってきている。
 世界の漁業による水産物水揚げ量は、最近急速に水産物の消費が伸びてきた中国を除くと、1980 年代から明らかに漁獲量は頭打ちから減少に向かっている。これは漁獲努力や漁獲技術の発達にもかかわらず減少しているもので、漁獲努力あたりに直すと明らかに急激な減少となる。このことは資源量の減少を表していると考えて良いだろう。

図2 2007 年の日本の漁獲量割合。
その他は二枚貝類など。養殖によるものが4 分の1 を占める

 図2 を見るように、近年の日本の水産業は養殖業に依存するところが大きい。養殖業は比較的安定した水揚げを確保できるので、水産資源の減少を補ってきた。しかし、養殖は沿岸の環境に大きな負荷を与えてもきた。魚類養殖を行う内湾では有機汚染が進み、海底はヘドロで覆われるようになった。赤潮は頻発し、養殖業そのものにさえ大きな被害を及ぼすようになった。
 エビの養殖は、東南アジアなどでマングローブを伐採し、沿岸の環境を破壊した。かつては日本人が食べるエビがマングローブ林を破壊すると言われた。現在では、中国とアメリカが日本のエビの消費量を上回るようになったが、それでも日本のエビ消費が減ったわけではない。
 最近になって漁業資源の減少がこのまま続くと、2030 年頃には日本人の食卓から水産物が無くなってしまうと警告されるようになった。もっとも、それは魚などの水産資源だけではない。海の生き物の多くが、沿岸や海洋の開発によって減少、絶滅の危機にさらされている。昨年、カリブ海で起こった油井の破壊事故は、これまでの例にないほどの被害を海の生き物に与えた。それにもかかわらず、さらにメキシコ湾に新しい油田の開発を行おうとしている。また同じような事故が起こらないという保証はどこにもないし、事故が起こってしまえば、絶滅する海の生き物は2度と帰ってこない。
 日本人は海から実に多種多様な生き物を利用してきた。日本人が利用する水産物は、市場に出ているものだけでも130 種ほどもあると言われる。おそらく世界1と言っていいだろう。これは日本列島が北海道の冷温帯から沖縄の亜熱帯までの、藻場・干潟・砂浜・岩礁・サンゴ礁・砂堆・泥底・河口域・汽水湖・塩性湿地・マングローブ林など、きわめて多様な生態系を含む沿岸生態系を持っていることによるのである。
 ところが、近年、日本人が利用する水産生物の種類が大幅に減少している。昔の魚屋さんと違って、今のスーパーに並ぶ水産物は、季節を問わずハマチ、マダイ、マグロ、ホタテ貝、アサリが、季節にはカツオ、サンマ、アジなど、ほんの十指で数えられるくらいの種類で占められるようになった。これは沿岸性の魚介類の資源が大きく減ったことと、養殖物が増えたこと、さらに流通が一部の魚に集中して商品化し、コスト削減を行っていることなどによる。とくに、沿岸の開発・改変によって沿岸の生き物の量と多様性が減少したことがきわめて大きい。
 海洋保護区を実効あるものにして、開発の手から守ることが、これから必要になる。さらに私たち個人にできること、また、やらねばならないことは、日本が魚食文化だという言葉に惑わされて、変わってしまった食文化を元に戻すことである。
 タンパク質を過剰摂取する食文化から、米と野菜中心の食生活に戻ること。これが私たちにできる第一歩であろう。そうでなければ、私たちの子孫はおかずにイワシの丸干しさえも皿にない時代を迎えることになるかもしれないのだ。
 今年の10 月に生物多様性条約の第10 回締約国会議が名古屋で開かれた。遺伝資源の配分の問題ばかりが報道されたが、その場では海の生き物をどう保護していくかについて重要な議論がされた。現在、世界で0.8% しかない海洋保護区をもっと有効に増やしていかねばならないという議論が出たのだが、議長国である日本は領海と排他的経済水域(EEZ)のわずか0.01% しか海洋保護区を作っていない(前川・山本, 2009)。
 日本は漁業組合による自主管理という伝統を尊重すべきだという理由で、海洋保護区の単純な拡大を望んでいなかった。そのために2010 年までに保護区を大幅に増やすように勧告されていたにもかかわらず、ほとんどそれができなかった。しかも、その保護区は実効性が疑われるものが多い。2010 年目標を達成できなかったため、今年のCOP10 では、ふたたび10% の海洋保護区を2020 年目標にした。今度は日本がその約束にどう向き合うか、世界も注目している。
 日本の主張する漁業者の自主管理は、たしかに1つのやり方であるし、きわめて有効に作用することもある。ある魚種については、それなりに役立つやり方でもある。とくに、漁業を制限するには漁業者の合意を得る必要があるため、このやり方はもっともやりやすい方法でもある。
 日本の沿岸の漁業権漁業は江戸時代からの歴史を持ち、明治政府もそのやり方を踏襲せざるを得なかった。それは先に述べたように、伝統的な漁業における有効な手法でもあった。しかし、技術革新によって漁業は一変した。その中で同じやり方がいつまでも通用するかどうか、あらためて吟味する必要がある。
 漁業権による管理の問題点はいくつかある。その1つは、基本的に経済原理に基づいて行われる管理であるということである。儲からないと思えば、漁業規制は行わない。海の生き物を守るということが目的ではない。そのために、環境に影響がでるかどうかは彼らの考慮外である。
 また、漁業者の管理は特定の魚種に限られる。生態系全体の管理には結びつかない。ましてや生物の多様性保全には有効ではない。それは、漁業者が行う沿岸での養殖業への態度をみれば一目瞭然である。漁業者自身が行う行為の生態系への影響については、養殖業そのものに被害が及ばない限りは、見て見ぬふりをつらぬく。
 一方、漁業者の持つ漁業権漁業が沿岸の開発などに際して歯止めになる例も多い。開発が漁業者の反対で中止になったことも多い。現在、山口県上関町の海を埋め立てて原子力発電所を建設する計画が進められているが、計画ができてから29 年、近海で漁業を続けてきた対岸の祝島の漁業者の反対で、これまで建設がのびのびになってきた。これなどは漁業権漁業が、開発や環境破壊の有効な歯止めとなってきたことを示している。
 ただ同時にその現実は、漁業権以外では開発という名の環境破壊を有効に阻止できる手だてがなかったことも示している。国立公園などの「保護区」といえども、自然破壊に対して何ら有効な手段になり得なかった。
 上関原発の例で言えば、祝島以外の上関町の漁協は、漁業権を放棄してしまった。いわば海を売った。本来、総有性の入会権としての漁業権は売買することはできないが、このように所有権を持たない漁業者が、実質的に海を売ってしまうこともできる。
 日本各地の沿岸で、このように漁業者が海を売り、海の環境が破壊され、水産物という海の生態系が人間に与えてきたサービスを失うということが続いてきた。海は漁業者だけのものではないはずなのに、漁業権という両刃の剣が日本の海を守りもし、売り渡しもしてきた。そろそろ水産資源のためではなく、海の生態系を守るという視点から海洋保護区を作っていかねばならない。

〈引用文献〉
前川聡・山本朋範(2009)日本における海洋保護区の設定状況 WWF ジャパン pp.18
関口秀夫・石井亮(2003)有明海の環境異変−有明海のアサリ漁獲量激減の原因について−  海の研究,12:21-36
山内景樹(1997)「サカナと日本人」 ちくま書房 pp.222

 
(JAWAN通信 No.98 2010年12月10日発行から転載)

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