生物多様性条約第10 回締約国会議で
起きたこと、見えたこと
「CBD 市民ネット」・生命流域作業部会)
昨年10 月11 日から29 日まで、名古屋市で開催された生物多様性条約第10 回締約国会議(COP10)は、この会議過去最大の13000 人の参加登録者を集めたが、名古屋・愛知を除けば開催を知らない市民が圧倒的に多かったのではないだろうか。会議が始まっているさなかに、中国電力が生物多様性のホットスポットである上関原発予定地の埋め立て工事を強行しようとしたあたりに、この会議や生物多様性条約そのものの知名度の低さが表れている。
しかし、会議の渦に巻き込まれてみると、体裁だけで実のない日本政府や電通の仕切りに腹が立つと同時に、私たちの目指すべき世の中のあり方についての示唆が含まれている重要な会議でもあった。
生物多様性条約とは
この条約は、1992 年リオデジャネイロで開催された国連地球環境サミットにおいて、気候変動枠組み条約とともに誕生した。批准した国の数は191 に達し、批准していないのはアメリカ合衆国など3 カ国だけ。温暖化防止で京都議定書を離脱したアメリカは、この条約でも世界に背を向けている。アメリカの経済学者J. スティグリッツでさえも、アメリカこそ「ならず者国家」だと言っているが、まさに自国の資本家の利害しか考えない国家である。
この条約は、生物多様性の保全、生態系サーヴィスの持続可能な利用、そして遺伝資源の利用から得られる利益の衡平公正な配分を3 大原則としている。また、遺伝子組み換え生物の国境間移動に関して予防原則のもとに制限を設けるカルタヘナ議定書があり、COP10 に先立って議
COP10 の課題と成果
「生物多様性の損失速度を顕著に減少させる」ことを掲げた2010 年目標が落第点であったことが確認され、新たに2020 年目標が設定された(愛知ターゲットと呼ばれることになった)。しかし、定性的な表現にとどまり、保護区の設定面積目標などが低く抑えられて実効性が懸念される内容となった。
最大の課題であった遺伝資源に関する先進国によるバイオパイラシー(海賊行為)に歯止めをかけるために、すでに条約本文にうたわれている「遺伝資源の利用から得られる利益の衡平公正な配分(ABS と略記される)」を議定書に格上げする案件については、最終日の深夜から未明までかかって、なんとか名古屋議定書が決議された。資源を利用する時に原産国の許可を得なければならないとしたことや、利益配分の対象を研究開発で資源を改良した派生品まで広げたこと、不正な持ち出しに対するチェック機関を利用国側にも設けるとしたことなどは評価できる。
しかし、途上国が求めた議定書発効以前の(植民地時代からの)利用については盛り込まれなかった。ABS ルールが確立することによって、途上国政府が自国の先住民族や地域コミュニティなどが利用してきた薬草やそれを利用する知恵を勝手にたたき売るような事態が頻発することも懸念される。
MOP5 では、遺伝子組み換え生物による汚染が起きた時の責任の所在と補償について名古屋・クアラルンプル補足議定書が決議されたが、やはり実効性が希薄なものとなった。
日本政府と名古屋市・愛知県
生物多様性国家戦略を3度も改定し、生物多様性基本法、遺伝子組み換え生物に関するカルタヘナ法など国内法の整備も進んだ日本という国は、この条約からすればお手本のような国のようにみえるかもしれない。しかし、開発系省庁の大臣も出席して閣議決定され、美しい文言が連ねられた国家戦略が生物多様性を根底的に破壊するダム開発などの大型公共事業を止めるために役立ったことは一度もない。
条約を批准していないアメリカの意向を代弁するかのように、遺伝子組み換え作物に関する制限の緩和に向けて動くなどの行動が目立ち、COP9 が開催されたボンでは、NGOによって「次期開催地は日本以外ならどこでもいい」「Hostile Host 敵対的なホスト国・日本」のビラがまかれた。
名古屋市と愛知県が開催地となったことの意図もよくわからない。工業出荷額日本一を30 年以上独占し多くの箱モノが建設されたが、自然系博物館がほとんどないという土地柄である。牧野コレクションに次ぐと言われた井波一雄さんの植物標本は引き取り手がなく、千葉県立中央博物館に収蔵されたという情けない地域である。
この2 年間、「生き物にぎわい」をタイトルにした市民向け啓発イベントが毎週のように開催されたが、COP10 の主要議題とは無関係。本番の会議場や外の展示ブースの仕切りも電通とその子会社である。このあたりの構図は愛知万博と全く同じであった。
先進国と途上国の対立が続き、名古屋議定書や2020 年目標の成立が危ぶまれた最終局面になって来名した菅首相が、1600 億円供与を約束する演説をしたが、この金が途上国をなだめる効果を持ったようである。生物多様性保全施策は極めて貧困であるにもかかわらず、日本政府は条約批准国中第1 位の資金供与国なのである。
COP10 最終日に、国際NGO は主要な国に対してニックネームを付けた。日本政府に与えられたのは「絶対的な矛盾StrictContradiction」であった。
CBD 市民ネットワークと生命流域の再生
開催国のNGO 側の受け皿として2009 年1月に、大手環境団体などや個人が参加して結成されたのがCBD 市民ネットワークである。開催地名古屋では多様な個人が集まって生命流域作業部会が発足し、生物多様性条約の根底には南北問題があるという切り口から議論と行動を開始した。
我々が暮らす伊勢三河湾集水域に宿る南北問題とはすなわち不条理な上下流間格差である。安全でおいしい木曽川などの水(=上流域生態系サービス)を利用して繁栄する下流域都市圏。そこではトヨタをはじめとする輸出産業がWTO 自由貿易体制下で大もうけをしているが、その見返りとして安価な農林産物が輸入され、上流域の農林業が疲弊した。若い労働力を奪ったのも下流域都市圏だった。上流域に送られたのは産業廃棄物だけだった。豊饒の内海であった伊勢三河湾を汚染し、藻場や干潟を消失させたのも下流域都市圏の繁栄そのものだった。
「流域は単なる集水域でなく、生命流域(Bioregion)として水と生命の循環を再生しなければならない。根底的な答えは脱成長社会であるが、当面やるべきことは繁栄する都市圏から疲弊する上流域および沿岸域へのお金や人の流れをつくる仕組みづくりである」というコンセプトのもとに、長野県王滝村で「生命流域シンポジウム」を開催し、COP10や日本政府に向けてポジションペーパーを提出し、開催地住民アピールを発表し、長良川河口堰や諫早湾干拓のゲートを上げることを求めた。
脱成長について異論を唱えたのは、「生態系と生物多様性のための経済(TEEB)」や生物多様性オフセットなどのグリーン経済を支持する首都圏のグループであった。議論は最後までかみ合わないまま、首都圏グループは別の開催地宣言を発表した。
(※生命流域主義Bioregionalism をスローガンにすることを提案したのは藤前干潟を守る会の辻淳夫さんだった。愛知万博で来日したネイティヴアメリカンのピーターバーグ氏から聞いたということだった。筆者は、木曽川上流の町・御嵩町に計画された巨大産業廃棄物処分場反対運動に参加する中で流域圏の上下流間矛盾に気がついていたので、すぐに賛成した。その辻さんがご病気で倒れられて、筆者がそれを引き継ぐ羽目になってこの1年が過ぎたのであった。)
CBD アライアンスと上関原発
生物多様性条約に関する国際NGO ネットワークであるCBD アライアンスが来日して、環境省や外務省に気兼ねして自主規制気配が強かった首都圏NGO のトーンが変わった。
COP10 開幕セレモニーでのNGO 共同アピールに上関原発問題が盛り込まれたのである。CBD アライアンスによる「市民社会が考えるCOP10 における10 の課題」でも、グリーン開発メカニズムのようなリスクの高い手法は採るべきではないと一刀両断である。ヨーロッパの環境NGO と日本の環境団体とのスタンスには顕著な差があったのである。
緊迫する上関現地から、COP10 開催中に数度にわたってメンバーが来名し、会議場内での記者会見、展示ブース会場でのワークショップ、サイドイベント会場でのトークショウなどが展開され、そのたびに新聞報道された。このことが効いたのか、埋め立て作業船が座礁したのを契機にして中国電力はとりあえず全作業船を引き揚げた。
今年の2月下旬になって事態は緊張の度を高めている。中国電力は作業船を大量に投入して工事を強行しようとしている。けが人も出てしまった。海上保安庁の巡視船も工事阻止のピケットをはる漁船やカヤックに対する妨害行為を働いている。COP10 開催国NGOの総力を挙げて、「奇跡の海」(日本生態学会上関要望書アフターケア委員会編の同名の書参照……南方新社刊)を守りたい。
先住民族とジェンダー
CBD アライアンスと同じ大きさの部屋を国際会議場内に確保したのが生物多様性に関する国際先住民族フォーラム(IIF B)であった。生物多様性条約は気候変動枠組み条約に比べて実効性に乏しく、脆弱だという印象を持っていたが、先住民族や地域社会そして女性のジェンダーの果たしてきた役割を高く評価するなど、とても包括的な条約であることに気がつき、大いに見直した。実効性の担保が希薄な点は、NGO の行動力で補いながらより良い条約を目指していく必要がある。
次回COP11 はインドで開催される。WTO-TRIPs 協定による生命特許の問題や、ABS 議定書による先住民の知恵や遺伝資源に関するパイラシーの増大問題などについて、これから準備を始める必要がある。生命流域再生の課題も山積している。私たちにとってのCOP10 は様々な宿題を残して第Ⅰ幕を閉じた。
おわりに
本稿はCOP10 終了直後に書き上げて、季刊「ピープルズプラン」第52 号(2010)に掲載されたものに少々加筆をしたものである。あれから半年が経過した。3月下旬にCBD 市民ネットは規約通りに解散総会をむかえる。と同時に、後継組織の検討と立ち上げの準備がなされている。
愛知ターゲットや名古屋議定書さらには自治体宣言などがきちんと実行に移されるかどうかのモニタリング活動や、先住民や地域コミュニティの知恵や存在そのものを支援する活動、NGO 提案がもとになって成立した国連生物多様性の10 年に関連した活動、COP11 までの議長国としての日本政府のNGO サイドのカウンターパートとしての役割など、改めてネットワーク型の市民運動連絡組織の存続が求められているからである。開催地作業部会として活動してきた生命流域作業部会も後継組織についての議論を始めている。生命流域としての伊勢三河湾流域に内在する上下流間の不公平や不条理をただし、生命と水の循環を再生させる課題を、COP10 開催を契機に掘り起こしたが、それをそのまま放置するわけにはいかない。
不確実性の壁に激突した科学技術の限界性を、生物多様性を切口として専門家と市民が対等な立場で話し合う場「ビオカフェ」の存続も課題の一つである。土地区画整理事業によって危機に瀕している「才井戸流(さいどながれ)」(名古屋市守山区にある都市域としては珍しい大規模な湧水)を守る運動がすでに始まっている。
地球温暖化問題と同様に、生物多様性の危機は待ったなしであり、すでに手遅れかもしれない状況である。この地球を壊さずに次に来る人々に手渡すためにやらなければならないことは山積している。COP10 の風が吹き終わったこれからが、私たち市民運動の正念場である。
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