湿地と森林
2011 年の「世界湿地の日」テーマを考える
1. 国連は、2011 年を国際森林年として宣言しており、これに合わせてラムサール条約事務局は毎年開催されている「世界湿地の日」2011 キャンペーンのテーマを「湿地と森林」とした。ラムサール条約は1971 年2月2 日に採択され、今年40 周年を迎えている。したがって40 周年記念行事と合わせて世界的にも様々な催しが実施されている。ちなみに2012 年5-6 月にはラムサール条約COP11(第11 回締約国会議)がルーマニアで開催される予定だ。
2. 湿地と森林を生態系として考えていくにはまず二通りの場合がある。ひとつは湿地に森林が成立している場合だ。(ラムサール条約事務局提供のイラスト参照[ 日本語版筆者作成])
もうひとつは同じ集水域の中で湿地と森林が密接に関わっている場合である。後者では、例えば釧路湿原周辺の丘陵地で湿原保護のために植林を実施している事例がある。また沿岸域でも、魚付き林といって河口域とその周辺の漁場を豊かに保つために河川の上流・中流部周辺に植林をしてきた例がある。
1971 年に誕生し、40 年目をむかえたラムサール条約は特定の生態系タイプを対象としたいまだに唯一の国際環境条約だ。1992 年にリオデジャネイロで開催された地球サミットの準備会合では、「生物多様性条約」と「気候変動枠組み条約」が誕生したが、実は「森林条約」を制定しようという動きもあった。しかしながら森林資源の利用に規制が加わることに懸念をもつ熱帯林保有国などの反対により、「森林原則声明」の採択にとどまった。
ラムサール条約の条文にもあるように、特定の生態系タイプを対象にすれば、「締約国はその領域内における△△△において.... しなければならない」と国土内の土地利用に関して、他の加盟国との意見調整が必要になってくる。
主権国家の国土計画について他の国々からとやかく言われることを嫌う政治家は少なくないので、湿地以外の生態系タイプに対してどんどん国際条約を作っていければいいのだろうが、ことは簡単ではない。逆に言えば、奇跡的に誕生することが出来たラムサール条約を最大限活用して、湿地保全に関わる他の生態系の保全にも役立てることが賢明だ。
湿地と森林はある意味でベストマッチであり、それぞれが生物多様性の保全、気候変動対策としてもきわめて重要な要素となっている。
例えば、海域ではサンゴ礁における生物多様性の高さ、陸域においては熱帯林の生物多様性の高さは広く知られており、保全の緊急性も高い。熱帯林はもちろん、森林はそれ自体炭素を大量に蓄えていることになる。全体として森林は、地上の炭素のうち6 割を貯蔵していることになり、森林伐採と森林劣化とで温室効果ガス排出の17 〜 20%に相当すると推定されている。
一方で湿地も、特に泥炭の形で炭素を蓄えているところは炭素貯蔵地としてきわめて重要だ。したがって、泥炭がある地域に成立している森林はダブルで重要となり、逆に言えば、これらを破壊することによって大気中に放出される炭素の影響は地球全体への脅威となりうる。
内陸湿地では、熱帯地方によくみられる泥炭湿地林の炭素貯蔵能力がずば抜けて高い。森林が発達していなくても熱帯の泥炭、温帯や亜寒帯の湿原をはじめとする湿地は炭素貯蔵能力がかなり高いと考えられる。
沿岸湿地ではマングローブ林の炭素貯蔵能力が高いと考えられるが、これは内陸の河畔林や湖岸に発達した森林と同程度と考えられている。沿岸湿地では、マングローブ林に次いで、サンゴ礁、カキ礁、干潟、海浜の炭素貯蔵能力が高いが、特徴的なのはマングローブ林に比べると、サンゴ礁やカキ礁では改変などを受けて劣化した場合の能力が著しく低下してしまう点である。
人工湿地では貯水池やダム湖に比べると水田の炭素貯蔵能力が高いと考えられており、場合によってはマングローブ林に匹敵する能力を持つ。湿地がどのくらいのスピードで地上から消えているかは長い間協議の的であった。インドシナ半島最大の淡水湖トンレサップ湖(カンボジア)などでは、乾季と雨季の湖面面積が3 〜 4 倍ほども違ってしまう。他にも季節的にしか出現しない湿地もあるため、推計が困難となってしまう。
一方、森林の方は国連食糧農業機構FAO)などが中心となって、かなり前から世界規模での統計データを研鑽してきた。21 世紀に入り、2000 年から2010 年までの間、世界中で毎年北海道と九州を足した面積よりも多い森林面積が失われてきたという。これは十分に憂鬱になる推計だが、1990 年代には年間これに四国の面積2 つ分多い森林が失われていたそうだ。世界中で森林を守る動き、植林への協力が進んできている多少なりともの成果だ。
世界的に見れば、大部分の国々で自国の森林面積のうち1 割以上を、国立公園をはじめとする何らかの法的規制を伴った保護区に指定している。全世界では森林は陸地面積の31%を占め、総森林面積のうち12%が保護区となっている。
3. ニューヨーク市当局は、森林地帯を含む集水域の保全を目的として、土地を購入し管理措置を図るために10 億ドルの投資を決定した。これによって水処理施設建設にかかる40 〜 60 億ドル(プラス毎年の維持経費)の支出を避けることができると判断したのだ。
スイスのバーゼル市は規模ではずっと小さい町だが、同じような試みをしている。バーゼルはスイス北部のチューリヒに近く、毎年開催される高級腕時計の国際見本市で有名な都市だ。バーゼル当局はライン川からの水を、森林の中を流れるよう水路を設定し、これによって処理することにした。
森林では水が土壌に吸収され浄化されることになる。バーゼル市の上水道のために他の水処理施設は必要とはならなかった。スイスの国全体では、地下水は大部分が森林の多い集水域から供給されている。きれいな地下水を利用できることによって、スイスの国民は年間6400 万ドルを節約できていることになるという。
ここで日本の方々にはあまり馴染みがない熱帯地方の泥炭湿地林について具体例を説明しよう。
マレーシア政府が指定した最初のラムサール条約湿地にベラ湖がある。首都クアラルンプールから東に約100 キロ、マレー半島東部にある淡水湖がベラ湖だ。ベラ湖に続く河川沿いに発達しているのが泥炭湿地林だ。
ベラ湖では先住民の人々の生活空間を取り囲むようにラムサール条約湿地が指定されており、住民参加による湿地管理が進められている。また、湿地資源のワイズユースの一環として地域住民によるエコツーリズムが進められている。
問題があるのは、条約湿地に指定されている部分の周辺に広がる丘陵地だ。かつてはゴム園として利用されていた地域をはじめ、大規模なアブラヤシのプランテーション化が進んでしまっている。マレーシアとインドネシアだけで、世界全体のヤシ油の8 割以上を生産している。ヤシ油は日本でも大量に輸入されており、食用油として利用・加工されたり、一部は洗剤や化粧品の原材料として利用される。
植物由来だから環境にやさしい、わけではないという環境NGO の指摘を受けて、日本の企業の中にはヤシ油利用を廃止したり、また2008 年度からは持続可能なヤシ油の認証制度が開始され、認証されたヤシ油のみを利用しようという動きも出ている。認証には、ヤシ油の生産地において、絶滅危惧種に及ぼす影響をきちんと調査しているかなどの検証が行われる。
これまでラムサール条約締約国会議はイタリア(第1 回、1980 年)、オランダ(第2 回、1984 年)、スイス(第4 回、1990 年)、スペイン(第7 回、2002 年)と西ヨーロッパ中心に開催されてきた。次回、東ヨーロッパで初めての締約国会議がルーマニアで開催される予定だ。東ヨーロッパは西と違って、あまり人の手が入っていない本来の森林がまだ比較的よく残されている。ルーマニアも同様だ。
湿地ではヨーロッパ最大のデルタ(三角州)地帯ドナウ・デルタが有名だ(英語ではDanube Delta なので要注意!)。その面積はラムサール条約湿地指定部分で6500 平方キロと、日本では栃木県や群馬県よりも広い面積となっている。ラムサール指定は1991 年5 月21 日でルーマニア最初の条約湿地であり、本年指定20 周年を迎える。
美しき青きドナウはドイツ・アルプスに源流を持ち、8 ヶ国を流れて黒海に流れ込んでいる。樹齢数百年の大木と湿地が織りなす風景から、世界自然遺産そして同じくユネスコに管理される生物圏保護区にも指定されている。
交通手段には小舟が利用されることが多いが、操縦するのは多くの場合地元漁師の方々で、この地域では多くの漁業者が観光業に関わっている。古くから自然資源は利用されてきており、保護区とはいえ、約15 万人がデルタに居住している。
ドナウ・デルタの一部を有する隣国ウクライナ政府は、黒海とウクライナ側のデルタを結ぶ航行可能な運河を造るため、2004 年にビストロエ水路工事を開始している。
前年10 月にラムサール条約事務局とユネスコ生物圏保護区の担当者(「MAB 人間と生物圏」事業)とが協力して、ウクライナ政府側と協議したにもかかわらずの着工となった(「ラムサール条約諮問調査団報告書第53号」)。
欧州連合はじめ国際環境NGO などが、運河がデルタの湿地帯を損なうとして、工事の中止をウクライナ政府に要請したにも関わらず、工事は継続されている。ラムサール条約では、COP9(2005 年)の決議Ⅸ .15 に続き、COP10(2008 年)においても決議Ⅹ .13 の中でウクライナ政府に状況報告を勧告している。
>> トップページ >> REPORT目次ページ