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水辺、湿地を次世代に残したい

田中千代 (自然通信社編集人)

 2011年3月11日の東日本大震災とそれによって引き起こされた福島第一原発事故は衝撃的な出来事として、私たちの生き方や価値観までも大きく揺さぶることとなりました。また、地球上の人口が70億人を超えたという発表に、あらためて地球のオーバーユースを減速させていくよう真剣に考えなくてはと思う状況です。

ミニコミ誌『自然通信』のはじまり

 1990年11月に夫婦二人で創刊したミニコミ誌『自然通信』(千葉県市川市、発行人田中利勝)は以来20年を経過し、250号を超えました。身近な自然に関心を持ってもらいたい、自然を守る活動グループをつなげたい、情報を共有したいなどの田中の提案から始めて、成果を求めるよりも続けることが大事とあまり気負うことなくやってきたことが長続きの秘訣だったかもしれません。
 1994年2月には江戸川流域の活動団体や個人に呼びかけて「江戸川の自然環境を考える会」を立ち上げ、それぞれが抱える問題を共有しよう、情報交換をしようと夏のシンポジウムと冬の勉強会開催に加え、現場を見ることが大事と毎月の定例観察会を主催して、通算212回、延べ参加者はおよそ6500人となりました。

江戸川・坂川を残したい

 この会の活動として、矢切坂川の築堤計画に対する提案を江戸川河川事務所に行い、結果、旧坂川河口部がワンドとして保全されることになりました。ここは、江戸時代に水害に悩まされていた上流の村が洪水を江戸川へ流したいと幕府に願い出て、下流の村との流血騒動などを乗り越えて掘り進み、天保7年に完成した歴史的にも重要な遺構であり、また、江戸川に生息する生物にとって産卵や避難場所としても大切な環境。ぜひ残したいと願った思いが、堤防をクランク状に曲げて保全する結果となりました。
 早めに築堤計画についての情報を得ることができ、提案図面を添えて保全の重要性を訴えたことも功を奏したといえそうです。

旧坂川の河口部
(江戸川の小ワンドとして保全された歴史的遺構)

利根運河と江川ビオトープ

 利根川と江戸川を結び、物資輸送のために明治23年開通した利根運河は、ほどなく鉄道輸送にとって代わられ、昭和16年に閉鎖と短命に終わりましたが、その後、自然豊かな環境として関心を集めることもなく残されていました。
この貴重な自然環境をぜひ次世代へ残したいと、「江戸川の自然環境を考える会」で編纂した冊子を刊行したところ、同好の有志が集まり、1999年、あっという間に「利根運河の生態系を守る会」が結成されました。当時、利根運河に隣接する野田市江川・三ヶ尾地区に宅地開発計画が進んでいましたが、オオタカ、サシバが生息し、多様な生物が見られるこの地区を里山ミュージアムとして残したいと生物調査報告や保全提案図を添えて野田市に提案。開発業者の倒産という事実にも助けられたものの、野田市の英断によって、この地区を江川ビオトープとして、周辺の樹林地を含め90haにわたる保全が決定。すでに休耕田となっていたところは再度田んぼに戻し、水田型市民農園や有機農法での稲作が進められ、思い描いていた里山ビオトープが現在進行形となっています。
さらに、野田市を中心として東関東広域に生物回廊づくりがはじまり、その先駆けとしてここ江川ビオトープでコウノトリの飼育が始まろうとしています。生物多様性のシンボルとして、そう遠くない将来、コウノトリが舞う姿が見られそうです。

利根運河は自然の宝庫、自然と景観を長く残したい

利根運河を100年後に残す

 利根川、江戸川をつなぐ全長8kmほどの利根運河は多くの生きものが生息、活用する生物回廊として、また、優れた景観がひとにとっても散策や自然観察の場となっていますが、隣接3市の理解を得て、将来へ残すことが決定。「利根運河の生態系を守る会」は50年後、100年後に利根運河を残したいと願って会をスタートしましたが、その目標実現が幸いにも近づいています。今後も流山市にウエットランド「ヨシゴイの里」を、さらに柏市に残る大青田湿地の保全をぜひ実現させて、広域の湿地保全を完成させたいと思っています。

田植えを終えたばかりの江川地区の水田型ビオトープ

多様な湿地環境の保全を

 河川、池、水田、谷津環境など大小、規模は様々でも残された湿地環境を保全し、さらにかつての湿地を再生していくことの重要性が見直されつつあります。特に、地質、地勢など本来のその土地の姿を無理に改変することは、危険であると東日本大震災によって学んだばかりです。池や水田を埋め立て、宅地化した結果、液状化が起こるなど被災報告を見るにつけ、それぞれの土地の特質を大事にすることがなによりも重要と気づかされました。
従来、湿地はとかく役に立たない土地、もっと有効活用をと開発されてきたけれど、湿地をよりどころとする生物は数多く、それらが下支えする生態系を残していくこと、ひとと自然が上手にすみ分けていくことなどを基本に据えて、これからのまちづくりを考えてほしいと願っています。
自然再生によって多くの生物が目覚ましく復活し、またあらたに飛来、定着して豊かな生態系が生まれることはすでにいくつもの事例で実証されています。保全を願っても現実にはなかなか思うに任せない中、ささやかながら湿地保全が成った場所を大切にして、これからもぼちぼちと活動を続けたいと思っております。

(JAWAN通信 No.101号 2012年1月31日発行から転載)

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