生命は細部に宿りたまう
〜 水辺の小さき生物たち〜
日本列島周辺は、太平洋プレート、ユーラシアプレート、北米プレート、フリピン海プレートという4つのプレートがせめぎあう地域である。プレートがプレートの下に潜り込む活動によって、日本列島は中新世以降、隆起を続けてきた。
このように小さな島嶼で、標高2000 メートルを越えるような山脈を従えている例は世界でも稀である。この標高に加えて、季節によって方向を変えるモンスーンの海風が、一年を通じて豊富な雨をこの列島にもたらした。雨は山塊を削り、急峻な侵食地形と、急流のまま海まで流れ下る多くの川を作り上げた。
玉石河原の自然
沢に落ちた角礫は川の流れにもまれながら下り、円礫となって中流域に至る。滝と淵と早瀬が交替しながら連続する渓流環境とは対照的に、中流より下流では、平瀬が連続するようになる。そこは、玉石が敷き詰められた河床を、澄んだ水が流れる清流である。玉石の上を流れる澄んだ水は、太陽の光を河床まで通し、玉石の上では珪藻が繁茂する。そしてその珪藻を食( は) みとるように進化したのがアユである。
日本列島は、梅雨前線のもたらす長雨や、台風がもたらす集中豪雨など、頻繁に大雨に見舞われてきた。川は表情を変え、増水した川は礫をころがし、礫の間の砂を洗い流す。川の生物は流れのゆるやかな川岸の灌木帯などに避難して洪水をやりすごす。
そして水が引くと、そこに現れるのが玉石河原だ。広い川幅を持つ川であっても、水が流れている部分はその一部で、残りの部分は河原となっていることが多い。広い玉石河原を持つ荒れ川は日本列島の川の本来の姿であると言ってよい。
玉石河原は、夏の日中は高温になるし、大水が出れば流水に洗われるので、森の植物が容易には侵入できない厳しい環境であるが、そこには特徴ある河原植生が成立する。
ダムのない、広い玉石河原を持つ川は、通常は地表水の流れこそ少ないものの、豊富な伏流水を有している。河床の深層には、透水性の高い砂礫層があり、その砂粒間隙の中を水が流れているのである。そしてその伏流は、平野の帯水層の地下水ともつながっている。そしてこの河床下の砂礫間隙には、海岸の砂粒間隙ほどではないが、さまざまな生物が生息していることが明らかになってきた。
湿崖の自然
日本列島の背骨を形作っている山脈は、たゆまない隆起の歴史と、一年を通して途絶えることのない豊富な降雨を反映して、高く急峻である。川は源流に近づくほど急流である場合が多い。
水かさを増した川は河岸をけずり、川岸に切り立った断崖を形成する。そのような断崖に谷川が注ぎ込むと滝となり、岩の間隙を流れる水脈がそこに開口すると、水は岩肌をなめるように伝い落ちる。
谷川に面したこのような断崖は、そこにほとんど土壌がないにもかかわらず、特徴的なさまざまな植物の生育場所となっている。これらの植物にとって断崖での生活は、重力や風雨との戦いでもある。植物は落ちまいと、根を岩の割れ目に差し入れて、岩にしがみついている。
滝のほとりや、岩清水が岩肌を伝う湿崖を最も特徴づけるのは、コケ類の繁茂である。ジャゴケ類やミズゼニゴケ類が岩肌を覆い、そのようなコケ類の間にネコノメソウ類やシロカネソウ類、タネツケバナ類、ユリワサビなどが生育する。コケはたっぷりと水を含み、水をしたたらせている。
ジャゴケは、蛇の鱗のような模様を持つ被覆性の苔類で、しばしば湿崖を覆いつくす。秋から冬にかけて、ジャゴケをよく観察すると、数ミリたらずの小さなカマボコ型の幼虫と、その食痕が見つかる。幼虫の動きは非常に緩慢だ。このガこそが、鱗翅目で最も原始的なコバネガ亜目に属するコバネガである。
森に降った雨は、一部は表層水となって谷川に入るが、残りは土壌を涵養して地表下をゆっくりと沢に向かう。この伏流水の一部が断崖に現れたものが岩清水である。岩から湧き出る岩清水は、雨水が直接流入する谷川の水と比べて、水量の変化が少ない。このような安定的な岩清水を生息場所 としている多くの生物がいる。クロサワツビミズムシやシブキツボ類などは日本列島固有のその代表的な例である。
氾濫原の自然
氾濫原がイネの栽培に適した地であることを知った人々は、ヨシ原を切り開いて水田に変え、氾濫を制御するような水利システムを築き上げてきた。こうして、氾濫原はしだいに水田へと姿を変え、自然のままの氾濫原は日本列島から消えていったのである。
水田は、モンスーンのもたらす夏多雨環境と人々のなりわいが作り出した、東・東南・南アジア固有の景観である。人が作り出した環境が一つの生態系として理解できる背景には、水田が氾濫原生態系に由来しているという背景がある。
水田生態系は、農薬がほとんど散布されていなかった1960 年代中ごろまでは、高い生物多様性を保持していた。農薬の多用に加えて、水田の圃場整備などの農業の近代化によって、かつての水田生態系を代表していた生物が次々と消えてゆくことにな る。
中池見湿地の生態系
日本で、かつての水田生態系が奇跡的によく残されている場所の一つが、福井県敦賀市にある中池見( なかいけみ) 湿地である。ここは、盆地状の低湿地を開いて作られた湿田地帯で、大規模な土地改良が行われてこなかったために、かつての生物多様性を擁する水田生態系が残されてきた。
ここでは1960 年代中ごろまで、水田耕作がなされており、その後、しだいに休耕されていき、現在では一部を除いて、休耕田となっている。
この湿地には、かつての低湿地の自然植生のなごりであるオオアカウキクサ、カキツバタ、ヒメガマ、ヒツジグサ、ヒメビシ、ミツガシワ、ホソバヨツバムグラ、サワオグルマ、オオニガナなどが生育している。
一方で、耕起(土を耕すこと)に依存した、水田環境特有の植物であるイチョウウキゴケ、ミズワラビ、デンジソウ、スブタ、ミズアオイ、コナギ、オモダカ、ヘラオモダカ、コウガイゼキショウ、ミズタガラシ、キクモ、ミズトラノオなどが生育する。
春のサワオグルマの黄、初夏のカキツバタの紫、梅雨時のミズタガラシの白、盛夏のミズトラノオの淡紅色、秋のオオニガナの黄、季節を追って湿地を彩る花の多さに驚かされる。
ここにあげられた植物の多くが絶滅危惧種にあげられている事実が、日本の水田生態系の生物多様性の危機を表している。
ラムサール条約の登録候補地
環境省は、5月10日、ラムサール条約の新たな登録候補地を中央環境審議会へ報告した。7月開催の第11回ラムール条約締約国会議(ルーマニア・ブカレスト)で正式に登録が決まります。日本の条約湿地は、現在の37か所に加えて合計46か所になります。新たに候補地となった9か所の湿地です。
1. 与那覇湾(沖縄県)
2. 荒尾干潟(熊本県)
3. 宮島の海岸部の一部(広島県)
4. 円山川の下流域と周辺の水田(兵庫県)
5. 中池見湿地(福井県)
6. 立山弥陀ヶ原と大日平(富山県)
7. 東海丘陵湧水湿地群(愛知県)
8. 渡良瀬遊水地(栃木県、茨城県、群馬県、埼玉県)
9. 大沼(北海道)
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