私たちのエネルギー・環境に関する選択
9月14 日、政府はエネルギー・環境会議において「2030 年代に原発稼働ゼロ」をめざすエネルギー政策「革新的エネルギー環境戦略」をまとめました。
悲惨な3・11 福島原発事故から1年半、それでも懲りない原子力ムラや経済界の圧力を受けながら、さながらダッチロール状態から抜けられない民主党政権がようやくたどりついた、前途にほのかに光がさす戦略だと思います。
もちろん、これは法律でもなく、国会の決議を経たものでもありません。次の選挙で第一党から陥落確実の民主党政権がうった、単なる選挙のウケ狙いのリップサービスにすぎない可能性があります。自民党が勝てば、単なる紙切れとして捨て去られる可能性も大きいでしょう。また、民主党がなんとか持ちこたえたとしても、この党は過去にさんざんマニフェスト違反を繰り返してきたわけですから、またしても裏切られる可能性もあります。
そもそも2030 年ではなく、「2030 年代」などと最初から腰が引けており、原発ゼロに向けた過程では原発を重要電源と位置づけて再稼働するとしていたり、再生可能エネルギーをどうやって増やしていくのかの具体的なロードマップがないなど、なんとも情けない限りです。(この原稿を書いているうちに、この予感は的中! 18 日の閣議で、この戦略は閣議決定にはなりませんでした。新聞やTV は、「骨抜きの恐れ」と報じています。)
市民の声がこの戦略を書かせた
それでもこの戦略は、この国の歴史において初めて、国家の目指すべき方向を決めるときに民衆・市民の声が指針となった画期的なものです。1960 年の日米安保条約改定をめぐって20 万人のデモが国会を囲んだ時でさえも、政府は国民の声を聴きませんでした。
この時の総理大臣・岸信介は、「サイレントマジョリティ、すなわち国会包囲に参加しなかったより多数の国民がいる」などとうそぶきました。
しかし、今回は違いました。それはなんといっても、福島原発からまきちらされた放射能の除去が誰にもできないこと、福島200万県民が日夜それから発せられる放射線を浴び続けていること、壊れた原子炉の収束方法をだれも知らないこと、4 号機の使用済み核燃料プールが壊れたらさらに悲惨な事態が予想されること、そうしたもろもろの事態が人々の心に不安と怒りと慙愧の念と変革を願うエネルギーを供給し続けているためです。
熱しやすくてさめやすい、お人よしではないがだまされやすくて懲りない国民性を乗り越えて、粘り強く、また多様で自主的なアクションが続けられてきたからです。
市民がイニシアティヴを持つ選挙
私たちは、どの政党を選ぶのかで選挙を考えてはいけないのではないでしょうか。かといって、にわかに脱原発党を結成するわけにもいきません。
そこで考えられるのは、すでに各地で提案されている「落選指名運動」や「脱原発勝手連運動」です。何党でもかまわない、原発維持派をリスト化して落選運動を行い、同時に、脱原発派を勝手に推薦・応援する運動です。
勝手連ではなく、欧米で行われているように、脱原発候補との協定書を交わして応援するのが本筋かもしれません。
本当に国会で過半数を脱原発派が占めるような状況を作るために、金曜日の夕方行動や17 万人デモのエネルギーを、選挙にぶつけていくことを大真面目で考えてみたいと思います。
私たちのエネルギー・環境に関する選択
前書きが長くなってしまいました。ここからが本文です。私たちの社会は、福島原発事故がもたらしたとてつもない負債を背負ってしまいました。
しかも、その負債をもろに背負っているのは福島県をはじめとする激甚汚染地の人々です。また、収束作業に従事する作業員の方々や、激甚汚染地に暮らさざるを得ない多くの人々の被曝はどこまで続くのかわかりません。
やがて疫学的に実証できない形の負債のツケがこれらの人々の上に降りかかるものと思われます。したがって、このことを無視して、この国のエネルギー・環境の戦略を立てるわけにはいきません。
このことを前提として、エネルギー・環境シナリオに関するパブコメに筆者が書いた文章に大幅加筆して論を進めたいと思います。
1)この期に及んで原発維持を唱える人は、
まず福島原発の収束作業をするべし
ジャネット・ランキンという人をご存知でしょうか?真珠湾攻撃の後、対日戦争論が湧き立つアメリカ議会下院で、たったひとりで戦争反対の演説をした人です。
すさまじいバッシングの嵐にも負けずに、彼女は一貫して戦争反対を貫きました。その彼女の語録の中に、「どうしても戦争をするのだったら、前途ある若者を戦場に送るのでなく、老人から先に戦場に行くべきです。」というのがあります。
今度の戦略に対していち早く反対声明をあげた経済界や自民党をはじめとする原発維持派の人々、さらには読売新聞などのマスコミは、まずは福島原発の事故収拾作業を行なってからものをいうべきでしょう。
原発という技術は、人の命のろうそくを短くしながら進められる、まさに人倫にもとる技術であることを思い知ってから議論を始めるべきなのです。
2)そもそも3 つの選択肢の設定に問題がある
2030 年に0%では話になりません。即時全原発の停止、廃炉をするべきです。そのことによって停電などが起きないことは、梅雨明けの猛暑が始まっても電気が十分に足りており、大飯原発再稼働を強行しなくとも大丈夫だったことがデータから証明されています。
よって、3 つの選択肢でなく、即時全機廃炉の選択肢を加えて4 つの選択肢にするべきだったのです。
さらに、15%および25%シナリオは、2030 年時点で15%〜 25%を維持するために原発の新増設さえ画策されているようにも想定しうるがゆえに、ゆるやかな脱原発をめざすものとは考えられません。
3)不確実性の高い巨大科学技術については
予防原則を適用するべきである
今回の福島原発事故は最悪の事故ではなかったことを確認する必要があります。最悪のシナリオとして首都圏3000 万人の避難が政府内で考えられていたという確たる情報もあります(例えば、田坂広志「官邸から見た原発事故の真実(光文社)」)。事故の展開としてはむしろ幸運だったとさえ考えられます。
すなわち、原発が破滅的な事故を起こせば、被害の規模は想定できないほど大きく、かつ、収拾方法が準備されていません。こうした巨大技術については、リスクマネジメントではなく、予防原則を適用して技術を封印するべきなのです。
リスクマネジメント手法に依拠して原発を稼働してきたことの誤りについては、破滅的な事故は10 億炉年に1 回しか起きないとしたラスムッセン報告の失敗から明らかです。
よって、全ての原発を即時停止し、廃炉に向けて作業を開始するべきです。(※予防原則「巨大な被害が生じると予想される場合、科学的な証明が不十分であることを予防措置をとらないことの理由にしてはならない」は、すでにリオ宣言第15 原則をはじめとして、多くの国際条約の根幹に採用されています。
例えば、浜岡原発訴訟1 審判決で不採用になった原発震災説が十分な証明を伴わない仮説であったとしても、予防原則の立場からすれば原発の運転はやめるべきだったのです。)
原発維持派の人々は、依然としてリスクマネジメント論に終始しています。原発を継続するリスクと、原発を止めて未知の再生可能エネルギーにかける社会のリスクとを比較衡量しようとしているのです。
しかし、原発事故の被害が想定できないほど巨大であるがゆえに、比較衡量などできないことを思い知るべきなのです。
福島事故の後いち早く原発撤退に踏み切ったドイツ政府の決断を示唆した「ドイツ倫理委員会」は、「倫理は経済や技術に優先する」ときっぱり述べています。
この決断によって、世界有数の原発産業であったシーメンス社は、軸足を原発から風力発電とガス発電にシフトしたのです。
4)3つの選択肢の全てに反対する経済界は、
巨大科学技術の破滅性に無知
日本列島は世界的に見て最悪の地震多発地帯です。マグニチュード7 以上の地震の10%が集中していると言われています。そこに54 基もの原発を稼働してきたことは無謀の極みです。
世界中を探しても、このような無謀な賭けをしてまで原発を動かしてきた地域はありません。東海地震をはじめとする次の巨大地震が起きたときに、福島事故を超える甚大な被害が起きれば、この列島はほとんど壊滅する可能性があります。
このことを考えるなら、少々の経済の停滞などは些細なことです。根本的な社会構造、経済構造の変革をためらってはなりません。
福島事故を天啓として、新しい国の形をめざして一眼となって進むべきなのです。まして、再生可能エネルギーを基軸とした社会像が提案されており、その欠点を批判するのでなく実現に向けた知恵を結集するべき時なのです。
5)政府はこのパブコメの前にやるべきことを怠っている
3 つの選択肢の前提として、「脱原発依存」と「クリーンエネルギーへの重点シフト」が掲げられています。これは菅前首相も現首相も口にした約束だったのだから当然の前提です。しかしながら、このことを一刻も早く実現するために政府はこれまで何をやってきたのでしょうか。福島事故から1 年半が経過したというのに、具体的な前進はほとんどありません。
発送電分離やスマートグリッド開発、周波数変換所の大幅増設などがほとんど進んでいないばかりか、いまだに巨額の原子力関連予算が使われています。
1 ワットも発電していない高速増殖炉「もんじゅ」に毎日5000 余万円が費やされています。しかも、「もんじゅ」は戦略の中でも廃炉にはならず、研究の継続が認められてしまいました。
戦略の公表後に、枝野経産相は、あろうことか建設途中の原発の工事再開を示唆さえしました。これらの税金を全額再生可能エネルギー開発に振り替えれば、あっという間に再生可能エネルギーへのシフトに弾みがつくはずです。
また、再生可能エネルギーの固定枠全量買い取り制度は始まりましたが、電力会社側が十分に対応できていない現実があります。それも、電力会社間の融通ネットワーク、送電線網の拡充と周波数変換所増設があれば状況が緩和されるはずです。パブコメの結果とは無関係に、一刻も早く上記の施策に全力を傾注するべきだったのです。
6)省エネ目標が低すぎる
「ファクター10」(ドイツ・ヴッパータール研究所)という本が1991 年に出版されています。省エネルギーこそ最大のエネルギー資源であるとしてドラスティックな省エネ技術開発の可能性をうたいあげています。
世界の物質・資源の流れを50%に削減するために、先進国は現況の10 分の1 まで物質やエネルギーの消費を落とすべきだとの主張です。それなのに省エネ目標10%はあまりにも情けない。それでも技術立国日本だというのでしょうか。
例えば、国際環境NGO・グリンピースが提案しているシナリオでは、省エネは2030年で約20%とされています。
日本企業の省エネは究極に達していて、まさに乾いた雑巾のようだなどと産業界は言いますが、これに対しても、実はジャブジャブの濡れ雑巾だという飯田哲也氏の反論があります。
7)経済成長率2%を想定するべきではない
全世界のエコロジカルフットプリント(生態系負荷)は、現段階ですでに1 を超えています。
全世界がアメリカ並みなら5.4、日本並みなら2.5 という数字が示されています。もうこれ以上経済成長することは地球にとっての自殺行為なのです。
全ての先進国は、成長しないが安定した豊かな社会をめざすべきなのです。まして、福島事故を起こして全世界に放射能をばらまいたこの国は、率先して新しい社会へと船出しなければならないはずです。
その前提のない、プラスの成長率を前提にしたシナリオはいずれも間違っていると言わなければなりません。
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