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ラムサール条約湿地「中池見湿地」

〜 念願の登録実現と今後の問題点〜

笹木智惠子 (NPO 法人ウエットランド中池見理事長)

ラムサール登録へのみち

 中池見がラムサール条約への登録を目指したのは1991 年だった。
 この前年秋に敦賀の民間廃棄物最終処分場増設問題から環境団体「ナチュラリスト敦賀
 緑と水の会」が発足。現NPO で活動している地元敦賀のメインメンバーの多くは、この会発足時のメンバーでもある。会の活動として、ゴミ問題以外に市内で抱えている諸課題も視野に活動を展開することとし、その一つに中池見を候補地とした敦賀市の工業団地計画があった。  
 当時「樫曲地区工業団地」としか地名表記がなく、具体的な場所が分からない状況だった。まず、それはどこだということから始まり、現地に足を運び、情報収集を行った結果、「中池見」という地名であることがわかった。また新田開発など歴史的な背景も知ることとなり、豊かな自然環境と共に希少な場所であることが明らかになってきた。
 市街地に近く自然豊かな中池見を広く知らせるために自然観察会を開くことになった。
この時、検討されたのが地名表記だった。単に「中池見」と地名そのままを出してもわからないだろう、何かわかりやすい表記がないかと種々提案された。「樫曲湿地・中池見」「中池見田んぼ」など、まだ一部耕作が行われている場所を表すに最適な言葉を模索した。その中で湿地保護の国際条約、ラムサール条約に着目。湿地の定義の中に田んぼも含まれていることから、ラムサール条約の定義から「中池見湿地」と表記を統一し、さらには、ラムサール条約への登録を目指そうとなり、自然観察会と共に調査研究が始まった。
地元の人から「田んぼをしているのに湿地とは何事だ」とクレームをつけられたことも多々あったが、国際条約に基づいての表記だと啓発に努めてきた。20 年にわたり使い続けてきたこところ、広く認知されるに至り、このたびの登録にあたっても「Nakaikemishicchi」で登録された。

COP11 会場、ブカレスト国会宮殿

ルーマニアでのラムサール条約COP11

 本年7 月3 日に日本からの新規登録地9カ所が条約事務局に報告され、長年目指してきたラムサール条約への登録が実現した。それ以前、5 月10 日に開かれた環境省の中央環境審議会野生生物部会に新規登録予定地が報告され、中池見湿地もその中に入っていたことから、私たちはルーマニアへの渡航の準備を始めた。
 ラムサール条約第11 回締約国会議(COP11) は、7月6日からルーマニアの首都、ブカレストで開かれた。そのサイドイベントとして日本政府が行う登録湿地認定書授与式に参加のためオランダ、アムステルダム経由で出掛けた。登録証は地元自治体に授与されるので、敦賀市から河瀬一治市長ほか2名の市職員が出席した。
 私たちも市民として7人、日本湿地ネットワークから伊藤事務局長が同行した。また、地元メディアとして福井新聞社の記者1名が同行取材。総勢12 名でブカレスト入りし、中池見湿地のラムサール条約へ登録の喜びをアピールした。
 ブカレストへ日本からの直行便がないため、乗り継ぎ地のアムステルダムで1泊。午後の到着だったので、市が手配してくれたバスで市内見学ができた。日本人の現地ガイドが通常の観光地めぐりとひと味違ったコースを設定してくれていたので、短い時間だったが、海面より低い土地での市街地作りの様子や工夫、市民生活などを身近に見られた有意義な街まわりだった。

敦賀からの参加者(会場正面玄関)

COP11 と登録証授与式

 登録証授与式はサイドイベントとして行われる。日本は7日に環境省自然環境局野生生物課が主催、ベトナム、タイ、ミャンマーの関係部局、バードライフ・インターナショナル・アジアディビジョンの後援で開かれた。
 会議場「ブカレスト国会宮殿」内のROOM4 で「新規ラムサール条約湿地認定証授与式及び湿地生態系と共に暮らす日本、そして東南アジアの国々からのメッセージ」として、本会議の合間の昼食時に開かれた。野生生物課長の開会挨拶にはじまり、ラムサール条約事務局のアナダ・ティエガ事務局長からの挨拶ののち、同事務局長から登録証が順次、関係自治体の長へ手渡された。
 そして新規登録地からのメッセージなどがあり、約1時間半で終了した。すべて英語でのセレモニーだったので、私たちには詳細まではわからなかったが、熱気に包まれ、喜びに溢れた会場の雰囲気を体感、ようやく登録の実感を得たひとときだった。
 私たちは、6日夕方の開会式から出席、同夜に開かれた歓迎レセプションにも参加し、合間をぬって、ブカレスト市内見学にも出掛けた。チャウシェスク政権時代に多くの歴史的建造物が取り壊され、新しい町づくりがなされたと聞いているが、かつて「バルカンの小パリ」と称されていた頃の雰囲気は、街の至る所に見ることができた。もっとゆっくりと時間をとって散策したい街でもあった。

登録実現はしたものの

オランダ1泊、ルーマニア2泊のみのとんぼ返りの授与式参加だったが、思い出深いものとなった。しかし帰国後、その余韻も覚めやらぬうちに北陸新幹線問題が浮上してきた。 
 中池見湿地のラムサール条約登録への手続きが行われていた最中、6 月29 日に国交省は北陸新幹線計画の金沢−敦賀間の着工を認可していたのだ。
 それも中池見湿地の重要な集水域としてラムサール条約へ登録のエリアの東側、深山を縦断するルートを公表したのだ。それも環境アセスの時の計画ルートから約100 メートルも湿地側へ変更していた。また、鉄道建設・運輸施設整備支援機構のコメントは「環境影響の少ないトンネルで湿地本体は通過しないが、貴重な自然が残る場所であり調査を行う」としたうえで、「認可されたルートが最善と考えており、調査の結果にかかわらず、変更は行わない」という強硬なものだった。

認可された新幹線ルート(福井新聞より)

 この情報が表に出たのが7月14 日、8月19 日には起工式という猛スピードぶりで、福井−敦賀間はまだまだ先の話と考えていただけに仰天した。当然、福井県も敦賀市も事前に情報は得ていたはずなのに、知らんぷりしてのラムサール登録。縦割り行政だからでは済まされない今回の不手際と言える。
 9日に帰国し、一息ついているところへルーマニアからメールが入ってきた。登録を済ませたばかりの中池見湿地に新幹線建設の報が向こうにも届いていたのだ。すぐに詳細を知らせて欲しい。ラムサール登録エリアのどこを通るのか地図の中にルート書き込んだものを至急との連絡だった。 
 モントルーレコード(決議V.4 生態学的特徴がすでに変化しており、変化しつつあり又は変化するおそれがあるラムサール登録湿地の記録)への報告事案と捉えられての情報請求と感じ、とり急ぎ第一報として報道記事とルート地図をPDF にして送付した。
 深山は湿地をとりまく3 つの山のうち、一番大きく、供給水量の多い山だけにその影響は計り知れない。工事に伴う水脈切断や水質汚染など水環境の微妙な変化が世界的に希少な泥炭層破壊につながるのではないかと危惧している。
 目に見えない所での変化が一番恐ろしいことで、ラムサール登録地、中池見湿地の死活につながる深刻な問題である。
 またトンネル北側入口となる後谷と呼んでいる細長い棚田状の谷も消滅の恐れがあり、湿地本体と異なる生態系と景観を持つこの谷がなくなれば、中池見の価値は半減することとなる。
 政財界、地元自治体が強引に進めようとしている計画(湿地東側)だけに国道バイバス改修工事計画(湿地西側)と同様、NGO として情報収集に努め、注視していかねばなら認可された新幹線ルート(福井新聞より) ない深刻な問題である。

トンネル北側予定地(中池見後谷)
(JAWAN通信 No.103号 2012年10月21日発行から転載)

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