トップ ページに 戻る

琵琶湖ヨシとヨシ葺き屋根の伝統を受け継ぐ

真田陽子 (葭留勤務、一級建築士)

ヨシ葺き屋根を受け継ぐ

 1月から3月。指先が凍るような寒い時期に、私たちはヨシの刈取りをします。
 琵琶湖に残る内湖のうち、最も大きな「西の湖」には、広いヨシ原が広がっています。
 一年分の材料を確保するため、トラクターを使って刈取りをし、刈取りをしたものの中からヨシだけを抜き取り、束にして倉庫に運びます。背中と腰と足にカイロを入れていても、一日終えると体は冷え切ってしまい、お天気も安定しない時期なので、雪が降ってきたりすると厳しい作業です。
 でも周りを見渡して見ると、美しいヨシ原が広がり、みんな寒い中でも文句も言わず細い体でスラリと立っていて、風が吹くまま、右に左に素直に揺れて、まるで踊っているかのようです。このヨシのおかげで屋根の仕事ができるのだと思うと、また力が湧いてくるのです。
 ヨシ葺きの屋根の修理には、多くのヨシが必要であり、ヨシの特性を生かし、美しさを生かせる一番いい方法だと思います。使う当てがないのに、刈取り、火入れをしてヨシ原を管理していくことは、刈取りにかかる手間を考えると不可能です。
 ヨシを必要とし、そのために刈取りをする。そのことにより美しいヨシ原を守ることができる。長い長い間続いてきた人とヨシ原の関わりをこれからも続けていかなくてはいけません。だからこそ、一軒でも多くヨシ葺きの屋根を残してほしい、次の世代に繋いでほしいと思うのです。そして、ヨシ葺き屋根がそこにある意味を、皆さんに知ってほしいのです。

ヨシ刈取り作業(琵琶湖西の湖)

ヨシ葺き屋根は自然の叡智

 ヨシ葺きの屋根は1本1 本のヨシが寄り集まり厚みとなってできていて、家を風や雨から守っていくうちに、1本1 本が少しずつ短くなり、屋根の厚みが減っていき、やがて修理の時期を迎えます。
 修理する前の屋根に上がり、ヨシの先っぽを手で触ると、風化していてポロポロと折れてしまいます。葺かれてから長い年月が経っている屋根や、日当たりや風通しの悪い屋根では、ヨシは土のようになり、上に苔が生えていることもあります。 
 これを初めて見た時に、私は自然の仕組みの素晴らしさに強い感動を覚えました。ヨシは時間とともに屋根材としての役割を終えて、地に還ろうとしているのだと。人間の作る多くのモノは使われなくなった後ゴミとなってしまいます。
 便利なモノがたくさんあり、それらに囲まれて自分が生活していることは確かなのだけれど、そのモノが作られるまでにどれだけのエネルギーを必要とし、自然に負荷をかけているのだろう。また使われなくなった後、そのモノはどうなるのだろう。私たちの生活は余りに多くの地に還ることのできないモノを作りすぎているのではないかと。
 ヨシは春に芽を出し、夏に向かってぐんぐん成長し、西の湖のヨシの場合3〜4mにもなります。寒くなると枯れて葉を落し、刈取られ、材料として出番を待っています。 
 屋根の修理に必要な材料は、必要になる時には自然から与えられているのです。しかも太陽からのエネルギーだけで、その上、湿地に根を張って私たちの汚した水や土をきれいにし、二酸化炭素を酸素に変えながら成長しているのです。
 竪穴式住居の時代から日本には茅葺の屋根がありました。身の回りにある木材を使い、身の回りにある茅で雨露をしのぐ。ごくごく自然なことであり、でもそのことでお互いに守り合って人と自然は生きてきたのです。

完成間近のヨシ葺き屋根(滋賀県)

ヨシ原とヨシ葺き屋根を守るために

 瓦屋根や金属板などが普及するつい一昔前までは、民家の屋根はほとんどが茅葺で、葺く材料や気候風土に合わせて、長い年月をかけて地方ごとに特色のある屋根が形作られてきました。
 滋賀県には身近にとれるヨシで葺いた民家がたくさんありましたが、残念なことに、年々その数は減少しています。屋根はその家のものでありながら、町や村の景色であり、田畑や山並みとともに風景となります。 
 ヨシ葺きの民家が一つなくなると、周りの方から寂しくなったというお声を聞きます。
 ただその屋根がなくなってしまうことは、単に寂しいということでは済まされず、ヨシ原が失われることに繋がってしまいます。
 ヨシ原は、毎年刈取りをし、火入れをしなければどんどん荒れてしまいます。琵琶湖や西の湖のヨシ原は、ヨシ条例やラムサール条約湿地登録の後押しもあり、ヨシが水質浄化に役立っていること、ヨシ原が多くの生物にとってなくてはならない棲家であることは、皆さんに知っていただけるようになりました。
 ヨシ刈ボランティアやヨシ紙などの新たな活用を通して、多くの方々がヨシに目を向けて下さっています。ただ、刈取りが進まず荒れてしまうヨシ原があるのも事実です。今あるヨシ原の刈取りを続けていくこと、屋根材として生かしていくことが私たちの役割なのです。
 ヨシ葺きの屋根は、置かれる環境にもよりますが、葺いた後15 年から30 年経つと「差しヨシ」という3 尺位に切ったヨシを厚みの減った分だけ差して全体を整える修理が必要になります。
 多くの場合、その後10 年から20 年おきに差しヨシを繰り返し、差しヨシができなくなるほど全体のヨシが短くなると「葺き替え」といって、古い材料を一度めくり、新たな材料で葺き直す修理をします。ほとんど全てが手作業で、修理には時間がかかります。
 でも、次の修理に向けてと準備をし、強い風や大雪の日には傷んでいないかと屋根を見上げ、屋根の下で生活をしていて下さるお客さんの多くは、先祖から受け継いだものだとその屋根を大切に思い、誇りに思って下さる。ある方が教えて下さいました。「家を大切にすると、家が私たちを守ってくれるのです」と。家と人との関わり方が変わってきている中で、こういう思いを持った人たちのおかげで、西の湖のヨシ原が守られているのだと、改めて感じた瞬間でした。
 毎日、屋根の仕事を終えて西の湖のほとりにある倉庫に戻ると、西の湖とヨシ原が「おかえり」と迎えていてくれるように感じ、私は「ただいま。今日もみんなのおかげで仕事ができたよ」と応えます。

風が吹くまま、右に左に揺れるヨシたち

 ヨシ葺きの屋根を大切にして下さっているお客さんとともに、ヨシ葺き屋根を、このヨシ原を守っていきたい、次の世代に伝えていきたいと願い、長年西の湖のヨシ原を守り、ヨシ屋根葺きを守ってこられた親方である竹田勝博さんのもと、仲間とともに、一人前の屋根葺き職人になれるよう、日々精進していきたいと思います。 

(JAWAN通信 No.104号 2013年2月15日発行から転載)

>> トップページ >> REPORT目次ページ