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日本の湿地を考える

法政大学人間環境学部教授 高田雅之

◇はじめに

 私は北海道に長く住んでいたが、北海道にはあまり干潟がない。また、東京の大学から自然にふれあえる手近なところに学生を連れて行こうとした場合、多くは森や都市公園となる。しかし東京からこんなに近いところに、三番瀬という干潟がある。私は九州に旅行するときは、わざわざ曽根干潟や和白干潟に行ったり、諫早湾を見たりしている。そういう機会でないと干潟はなかなか見ることができないと思っていた。しかし今年(2013年)は、学生を連れて、三番瀬の市民調査に月1回参加させてもらった。そういうふうに干潟にでかけることができる東京湾があって、我々はとても幸せだと思う。

高田雅之さん
高田雅之さん

◇山岳性高層湿原への崇拝・信仰

 最初に、日本人と湿地について話をさせていただく。
 山形県の月山(がっさん)の八合目に弥陀ヶ原(みだがはら)という湿原がある。「弥陀ヶ原」は、かつて阿弥陀様がここにおかれたということから、その名がつけられている。御田(みた)、つまり神様の田んぼというのがその由来といわれている。
 たしかに、弥陀ヶ原は田んぼのようにもみえる。昔の人は、森を抜けて高い所に行ったとき、一面に田んぼが広がる風景を見て不思議に思ったのではないか。神様がつくった以外の何ものでもないと感じたのだと思う。
 信州から東北にかけては、こうした山岳性高層湿原への崇拝・信仰というものが昔から強くあったといわれている。
 八甲田山の「甲」も、昔は「神」と書いていたようだ。神様の田んぼだったと考えられている。奥宮(おくみや)が設けられている高層湿原も多い。昔から農耕儀礼がよく行われてきた。「ミツガシワ(三槲)の生育がよいと、その年は豊作だ」というような言い伝えもあったようだ。私は湿原を研究していて、こういった湿原によくでかけている。
 このように、湿原と人のかかわりは昔から深かった。

◇日本は湿地の国

 古い話になるが、「古事記」には、本州は「豊秋津嶋(とよあきつしま))」と書かれている。「秋津」とはトンボの古語である。
 また「日本書紀」には、日本のことを「豊葦原水穂(瑞穂(みずほ)国」と書かれている。アシが生い茂り、イネ(稲)が豊かに稔る、ということだ。イネの栽培は、湿地を水田に変え、水が溜まりやすいところを利用した。日本はもともと湿地の国、ということができる。
 かつて全国にあったといわれているものに車田植(くるまだうえ)がある。これは、現在では、佐渡と、もう1か所ぐらいしか残っていないといわれている。車田植は、3人の早乙女(さおとめ)が、中心から円を描くように後ずさりしながら苗を植えていき、収穫した米を神様に奉納するというものだ。そういうお祭り(神事)が昔からあった。これも日本が湿地の文化をもっていることのひとつのあらわれである。
 水田と漁労はセットになっている。日本に水田が伝わったとき、漁労もいっしょだったといわれている。有名な登呂遺跡では、水田の道具といっしょに漁労の道具も発掘されている。
 水田と漁労をセットにすることは、アジアに色濃く残っている。有名なのはベトナムの水上人形劇だ。いまは観光資源になっているこの人形劇では、魚伏籠(うおふせかご)という水田で魚をとる道具がでてくる。それも、水田と漁労という日本の湿地文化のひとつの源を示している。
 水産業では、伝統的でユニークな魚の捕り方がたくさんある。私が気に入っているのは「ボラ待ち櫓(やぐら)」で、能登半島の穴水で用いられている。ボラは非常に警戒心の強い魚だ。人間が近づいたら、群れが逃げてしまう。そこで、あらかじめ海底に網を張っておいて、櫓の上でボラを待つ。網の上をボラの群れが通ると一気に網を引くというやり方だ。また、最近知ったのだが、奄美大島にも同じ漁法がまだ残っている。丘の上に人がいて、魚が網の上を通ったら合図を送って網を引く、という具合だ。
 そういう漁労の文化というものが昔から日本に残っている。日本人と湿地をつなぐひとつの形である。ほかに、たとえば有明海や霞ヶ浦、八郎潟にも独特の漁法がある。これらは、エンジンを使わないで漁をしている。
 湿地といえば、ヨシやカヤ(茅)もある。それらを利用する文化が日本には昔からある。たとえば茅葺(かやぶき)は、大勢の人が連携してカヤをふき替える。老朽化したヨシやカヤは、すきこんで肥料にする。屋根は肥料をストックする場所という認識が昔からあったようだ。
 ほかに、湿地の水を利用することもおこなわれていた。湿地は交通にも利用されていた。水上交通である。
 以上のように、日本人と湿地はたいへん深いつながりがある。

◇「湿地」「湿原」「泥炭地」

 「湿地」にかかわる言葉として、「湿原」と「泥炭地」がある。この三つの言葉を整理するとこうなる。「湿地」は水のあるところすべてをいう。一時的か否か、あるいは天然か人工かは問わない。水たまりも人工的なため池も含む。「湿原」は湿った草原のことである。「泥炭地」は未分解の植物が堆積したものである。
 「湿原」と「泥炭地」は「湿地」の中に含まれる。植物屋が使う言葉が「湿原」、土壌屋が使う言葉は「泥炭地」と考えてもいい。「湿原」と「泥炭地」はちょっと違うところもある。「湿原」だが「泥炭地」ではないというところもある。
 
 ◇日本の湿地をめぐる現状
 
 WWF(国際自然保護基金)が「生きている地球指数」というものをつくった。簡単にいうと、生物多様性がどれくらい劣化しているかというものだ。たとえば数が減っているとか、種類が減っているというものだ。おおまかに海、淡水、地上に分けた結果、圧倒的に淡水、つまり湿地の生物の劣化が著しいということがわかった。湿地はそういう状況にある。
 日本でも、湿地をめぐる状況はたいへん厳しくなっている。国土地理院や環境省がまとめたデータによると、日本でも、過去(1900年、1945年)と現在を比較すると、たとえば都市(宅地や道路など)は増えている。これに対し、草地(カヤ場など)や湿原は減っている。湿原の減り具合は大きく、6割も減っている。湿地のひとつである干潟は4割減っている。
 湿地の生物がいかに大事かいうことを、以前、北海道のデータでまとめたことがある。植物の中で、レッドデータブックに掲載されている貴重種の割合は10%ぐらいであるのに対して、湿地性の植物に限ってみると、その倍の20%ぐらいとなる。

◇日本の湿地をめぐるふたつの要請

 いま、日本の湿地をめぐっては、ふたつの要請がある。
 ひとつは、湿地減少の原因である。湿地が減っていることはわかっているが、その原因はよくわかっていない。湿地減少の原因に関する資料や文献はきわめて乏しい。
 もうひとつは、湿地がもつ機能の評価である。森林や河川、湖沼については、定量的評価がよくされているが、湿地の機能を定量的に評価するということはこれまでほとんど研究されていない。これについては、環境省が今年、専門家を集めて経済的な価値を評価する検討会をはじめたという話をきいている。ようやくとりくみが始まったという段階だ。
 このように、湿地の機能評価について要請はある。しかし、湿地、湿原、干潟に関しては、解析のための基礎的なデータがほとんどない。あってもバラバラな状態に散在していて、それらが集約されていない。

手作りの採水器を使って天然カキ礁の上層と下層の塩分濃度を測定する高田雅之さん(右から2人目)=7月13日、東京湾三番瀬の市民調査で

◇データを整備・分析・評価し、湿地保全に生かす

 アメリカでは、1980年代に湿地資源法が制定された。この法律にもとづいて、湿地に関するデータベースがつくられている。10年に一度、議会にも報告されている。
 そういうデータは、ときに政治に昇華していく。たとえば2004年、当時のブッシュ大統領は、蓄積された湿地のデータベースをもとに、5年間で一定規模の湿地を復元するとか、そこに予算を配分するということをやった。
 ひるがえって日本をみると、そういうデータがない。評価もほとんどされていない。
 私は、国土地理院のデータをもとに減少した湿地は何に変わったのかということを少し分析してみた。その結果、半分は農地(水田、畑、牧草地など)であることがわかった。残り半分のうち、2割くらいは荒地(笹地、雑草地、裸地)、16%くらいは森林である。ようするに、減少した湿地の大部分は農地化、荒地化、樹林化しているということになる。こういうことは今までほとんど分析されてこなかった。
 減少湿地が何に変わったかは、地域によって特徴がある。北海道は荒地の割合が高い。東北と関東は水田、関東・四国・九州は水域、近畿と四国は市街地、中部・中国は森林の割合が高い。関東の例をみると、昔は川の氾濫地域に湿地がたくさんあった。ところが、それらの湿地は河川改修や護岸化によってなくなり、河川敷や水域に含まれるようになった。
 標高別にみると、標高500m以上の湿原は過去60年間で70%も減っている。標高500m以上の湿原には有名なものが多い。尾瀬や戦場ヶ原などである。
 過去60年間に湿原の面積がどれくらい減ったかという数字と、湿原の中で最近20年間くらいにどれくらい土地利用の変化があったかという数字を組み合わせてランキングをつくってみた。湿原減少の面積がいちばん大きいのは、地域別で圧倒的に北海道だが、標高500m以上で最近の土地利用も含めてみるとは東北の湿原に変化が多い。土地利用のデータからその理由を探ると樹林化の進行が可能性として出てきた。Google(グーグル)の航空写真を重ねてみると、以前湿原だったところが森林に変わったという場所が確かにありそうだ。
 環境省が作成した植生図を使って、湿原の変化を見るのには課題がある。当初は5万分の1で作り、最新のものは2万5000分の1で作っているので、スケールと区分が違っていて比較がしにくいことである。ただし全国的な植生図はこれが唯一なので、これを使って大まかな比較をしたところ、どういう植生が減って、どういう植生が増えてきた、例えばハンノキが増えてきたなど、それなりに変化の傾向が見られることがわかった。このデータをもっと有効に使う方法はないかということを検討している。
 最後に、いくつかの提案をしたい。ひとつは人と湿地の関係をもう一度見直し、その意味を共有することが大切だと考える。ふたつめは小規模で多様な日本の湿地全体を眺め、インベントリというデータベースを作って戦略的に考えることが必要だと思う。そして最後にデータを分析・評価して、モニタリングや保全対策に生かすことが重要だと思う。
 

 〔注〕本稿は「2013年三番瀬市民調査報告会」(2013年11月30日開催)における講演要旨です。
(JAWAN通信 No.108 2014年8月31日発行から転載)

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