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八代海の環境変化と漁業

〜熊本県宇城市の漁師・東 克弘さんに聞く〜


 八代海は、九州本島と宇土半島、天草諸島に囲まれた閉鎖的な内海である。不知火(しらぬひ)海とも呼ばれている。
 熊本県宇城市三角(みすみ)町の東克弘さん(59)は、八代海で漁業を営んでいる。所属漁協は三角町漁業協同組合である。

図

◆漁師の減少と高齢化

 克弘さんが利用している漁港は郡浦(こうのうら)漁港である。かつて、郡浦漁港は旧三角町一帯でいちばんのにぎわいをみせていた漁港だった。戦後の高度成長期までは同漁港を利用する漁師が多かった。郡浦漁港を擁する舟津(ふなつ)地区は漁師の街として栄えていた。だがその後は漁師が減り続けた。つぼ網(小型定置網)漁を営んでいる世帯は、1978(昭和53)年は15軒だったが、現在は7軒に減ってしまった。漁師の高齢化も著しい。
 克弘さんが営んでいるのは、つぼ網漁とノリ養殖だ。つぼ網漁は、沿岸を回遊する魚類の進路を遮断し、魚の群れを袋網内に誘導して漁獲する漁業である。克弘さんは毎朝4時くらいからつぼ網漁にでる。とった魚は対岸の八代市の市場に卸す。
 克弘さんは、中学卒業と同時に父親の正八(しょうはち)さんから漁を引き継いだ。正八さんが倒れたためだ。克弘さんは見よう見まねでつぼ網漁を始めた。ノリ養殖は有明海など他所(よそ)のやり方を見に行って学んだ。夜は定時制高校に通った。1970年代前半のことである。

写真1
つぼ網を見せる東克弘さん=郡浦漁港で

◆魚介類も減った

 「つぼ網でとれる魚は、今はスズキが多い。スズキは2月から3月にかけてよくとれる。ほかにコノシロやクロダイなどもとれる」
 「しかし近年、八代海の魚はかなり減った。たとえば昭和53年頃は、ヒカゴ(小さいイカ)が1日に100kgもとれた。エビやバカガイも大量にとれた。タテガイ(タイラギ)やアゲマキもとれた。ところが今は、ヒカゴもエビもさっぱりとれなくなった。バカガイ、タテガイ、アゲマキも全滅状態になった」
 八代海で魚介類が激減した理由はこうだ。
 「赤潮の慢性的発生が大きい。その原因は流入負荷の増大だ。また、八代側の干拓が戦後も続いた。そのため、八代海は湖のようになってしまい、潮の流れが遅くなった。さらに、沿岸道路の直線化に伴い、沿岸に散在していた干潟が減ったことも大きい。干潟の減少によって魚の揺籃(ようらん=ゆりかご)の地が少なくなった。浄化力もかなり落ちた」
 球磨川は八代海に注ぐ唯一の一級河川だ。球磨川の上流部にダムが建設されたことも八代海の環境に影響を与えたという。土砂の供給が減少し、河口部の干潟がやせ細ったのである。
 それでも、大雨が降るとコノシロが急に大きくなるという。
 「山に雨が降ると、土の栄養分(ミネラル)が川を伝って海に運ばれる。コノシロはプランクトンを食べて成長する。大雨のあとにコノシロが急に成長するのをみると、魚や貝が育つ豊かな海は、そこにつながる山の豊かさと関係していることがわかる。ノリも、栄養塩が不足すると色落ち現象が起こる」
 最後に、克弘さんはこう語った。
 「食料資源を確保するためにも、行政は漁業の存続策にもっと力を入れてほしい。また、海の環境改善に努めてほしい」

写真2
右から克弘さん、母親の夏女(なつめ)さん、奥さんの明美さん
(JAWAN通信 No.108 2014年8月31日発行から転載)

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