■ラムサール条約登録をめざして
新舞子干潟
私がラムサール条約の中身を初めて知ったのは、1993年に釧路市で開かれた第5回締約国会議と、その前に同市で開かれたNGO戦略会議に出席したときであった。
そのとき、「播磨灘の新舞子干潟を登録地にすべき」と思った。なぜなら、新舞子干潟(140ha)こそ、そこで示された「ラムサール条約湿地の要件」、とくに「国際的に重要な湿地を指定するための9つの基準」にピッタリ合致するからである。とくに登録基準の1〜3と、7、8は、まさに新舞子干潟を代弁するような条文である。
広い干潟の西端の岩場から中央の砂場と東端の河口部の泥場まで、毎年春秋に生物調査を続けてきた。ベントス(底生生物)の種類は200余種である。そのうちギボシムシなど希少種が60余種、またヘナタリなど絶滅危惧種が28種もいる(2013年現在)。これは、それら希少種や絶滅危惧種が生息できる条件をもった得がたい干潟であることの証しである。
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続いて私は、1999年のコスタリカ サンホセでの第7回締約国会議、2002年スペイン バレンシアでの第8回締約国会議を傍聴した。そして、環境省の対応などを見極めたうえで、たつの市を中心に「新舞子干潟をラムサール条約に登録する市民の会」を立ち上げ、たつの市長に詳しい内容を話し、環境省に登録を申請するよう頼んだ。市長も大乗り気で、それが町おこしになると喜んだ。私たちは2007年5月、さっそく署名活動と新舞子の生物を紹介するパンフレット「新舞子物語」作りにかかり、それらを市長に手渡した。
ところが、最初あれほど乗り気だった市長が、掌(てのひら)をかえすように、「市は同調できぬ」と言いだした。話が前後するが、御(み)津(つ)町がたつの市に合併する前年、町会議員で我が会の役員をしていた茂見君(故人)が当時の町長にこの話をしたところ、町の産業観光課長(当時)が兵庫県庁へ問い合わせたらしく、県環境局の者が、「ラムサール条約登録は渡り鳥を保護する条約だから、登録地の観光業者は店の増設も勝手にできない。また漁業権も制約されるだろう」とデタラメな答えをした。(本当は当事者が勝手にそう聞いたのかも知れないが)
そういういきさつがあって、新舞子観光組合長や地元漁業協同組合長(実はこれらは市長の御津地区後援会の幹部)が反対しはじめたので、「市としても賛同できぬ」となった。
私らもここで引き下がることはできない。宍道湖の竹下さんや釧路の小林さんたちなど先進地の人に来てもらって、学習会やシンポを重ねた。署名も2008年に1万3千筆いただいて市長・県知事に提出した。だが、彼らはこれを無視した。いや、上記組合長らはさまざまなデマを流して署名妨害までやった。人間という動物は、デマでも何でも、最初に耳に入った言葉を信じたがるものらしい。このようなデマでも、聞いた人々から拭(ぬぐ)い去ることはなかなか難しい。ある程度時間が必要である。
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もっとスムーズにラムサール条約に登録できるようにするために、あるいは自然海浜を保全・復元するためにも、干潟・湿地の生物たち(バクテリアからゴカイ類、そして二枚貝や海藻たち)の持つ汚濁浄化の力をもっとわかりやすく計量化して人々に示すことを、生物学会やベントス学会でやってもらえないだろうか。いろんな住民運動でいつもぶち当たるのが、この生物たちの働きを明確につきつけられないもどかしさである。
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