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鬼怒川堤防決壊が示すもの

〜治水対策の転換が急務〜

中山敏則

◆起こるべくして起こった堤防決壊

 9月10日、関東・東北豪雨で鬼怒川の堤防が決壊し、茨城県常総市は甚大な被害を受けた。
 これは起こるべくして起こった災害であった。なぜなら、日本の河川堤防はいつ決壊してもおかしくない状況になっているからである。
 5年前の2010年9月1日、NHKテレビがスペシャル番組「首都水没」を放送した。衝撃的な内容であった。利根川や荒川の堤防は半分以上の区間で決壊の恐れのあることを報じたからである。国交省の調査によれば、堤防強度の安全基準を満たしていない区間は、利根川が62%、荒川が57%であるという。国(中央防災会議)は、荒川や利根川の堤防が決壊して大規模水害が東京を襲った場合、最悪の場合は死者6300人、孤立者110万人になると想定している。
 堤防決壊の危険箇所は全国の河川のいたるところにある。今回の鬼怒川の決壊箇所もそのひとつであった。
 決壊危険箇所が多いのは、国交省が巨大ダム建設を優先し、堤防強化を後回しにしているからである。河川工学者の今本博健さん(京都大学名誉教授)は、『ダムが国を滅ぼす』(扶桑社、2010年)の中でこう記している。
 《今最も必要なのは破堤を防ぐことなのです。現在の堤防は土砂を盛り上げただけのものがほとんどですので、洪水が越水した場合だけでなく、流れにより堤防が洗掘されたり、水が堤防の中に染み込んだりして、容易に破堤します。
 堤防は補強すれば破堤しにくくなります。しかし、堤防の補強は長年放置されてきました。補強したのに破堤すれば責任を問われると思ったのでしょうか。ダムに回す予算が少なくなると思ったのでしょうか。それとも計画高水位を超えて流せば流下能力が大きくなるからダムが要らなくなると言われるのを恐れたのでしょうか。とにかく、これまでの日本の治水行政は、堤防を補強することには消極的でした。》
 現在の堤防は土砂を盛り上げただけのものがほとんどなので、洪水が越水しただけで容易に破堤する──。今回の鬼怒川堤防決壊はその典型である。

◆総合治水への転換が急務

 元国交省近畿地方整備局淀川河川事務所長の宮本博司さんは9月15日のテレビ報道番組に登場し、鬼怒川の堤防決壊についてこんなことを述べた。
 いまの治水対策は、洪水のエネルギーを川に集めて一気に流し、堤防で守るというスタイルをとっている。だが、肝心の堤防は土でできているために脆(もろ)い。これでは堤防決壊を防ぐことができない。洪水のエネルギーを川に集中させず、田んぼや湿地帯に分散させることが必要だ。10年や20年に一度の氾濫があっても、それによって農地はよみがえる──と。
 これは、問題の核心をズバリついている。いま、治水対策で緊急に求められているのは総合治水である。総合治水というのは、“ながす”対策(河川対策)と、雨水を一時的に貯めたり地下に浸透させる対策(流域対策)、浸水してもその被害を軽減する対策(減災対策)を総合的に組み合わせることである。
 たとえば千葉県は、市川市の市街地を流れる真間川(ままがわ)の流域で総合治水対策を進めている。これは市民運動によって実現したものである。
 真間川の河川改修工事で約400本の桜並木を伐採するという計画がもちあがったさい、市民は対案を示して桜並木の保存を訴えた。対案というのは、「河川を改修しても水害を防ぐことはできない。必要なのは、遊水地や雨水貯留施設の整備などを含めた総合治水対策を進めること」というものであった。
 長年にわたるねばり強い運動の結果、県は、真間川流域の治水対策を、河川改修一辺倒から総合治水に方針転換した。約400本の桜並木は半分が残され、残り半分は河川改修後に復元された。遊水地や分水路、雨水貯留施設の整備などが進んだ。
 その結果、真間川流域の浸水被害は激減した。真間川流域は1981(昭和56)年、台風24号による豪雨で大きな浸水被害を受けた。その後三十数年間で世帯数は1.7倍に増えた。だが、1981年水害と同程度の豪雨に見舞われても、浸水戸数は30分の1に減少している。総合治水対策の成果である。
 真間川流域では、「自然環境の保全・復元」や「動植物に触れ合える環境学習の場」を兼ねた調節池(遊水地)づくりも進んでいる。

写真9-1
真間川流域の総合治水対策の一環で整備された大柏川第一調節池(千葉県市川市)。ふだんは「動植物に触れあえる環境学習の場」として利用されている。野鳥観察会も開かれている。

◆利根川の3つの調節池

 利根川の下流部に設けられた3つの調節池も、大きな治水効果を発揮している。 田中調節池(千葉県柏市、我孫子市)と稲戸井調節池(茨城県守谷市、取手市)、菅生調節池(守谷市)である。
 これらの調節池の治水容量は、現況で計1億840万m3である。これは八ッ場ダムの治水容量(計画)6500万m3をはるかに上回る。3つの調節池は、ふだんは農地などとして利用されていて、大洪水のときだけ灌水(かんすい)するようになっている。稲戸井調節池には湿原や河川林もあり、動植物の貴重な生息地となっている。野鳥観察も行われている。

図9-1
利根川の下流部に設けられた3つの調節池

◆「水を治めるものは天下を治める」

 「水を治めるものは天下を治める」という言葉がある。戦国時代の名将とされる武田信玄や徳川家康などは治水対策もすぐれていた。
 たとえば家康である。家康は、利根川の洪水が江戸におよぶのを防ぐため、利根川の治水対策に力を入れた。その柱となったのは中条(ちゅうじょう)遊水地である。
 中条遊水地は現在の埼玉県にあった。遊水地の面積(洪水氾濫面積)は約50km2、治水容量(貯水量)は1億m3といわれている。遊水地の下流部には中条堤が築かれた。中条堤の長さは約4kmといわれている。堤の高さは5mくらいだ。
 中条遊水地と中条堤は、江戸時代において利根川の治水対策の要(かなめ)となっていた。利根川の洪水を中条遊水地に湛水(たんすい)させ、下流側を洪水の被害から守っていた。江戸260年の繁栄は中条堤と中条遊水地によって支えられていたといっても過言ではない。
 武田信玄も、大氾濫を繰り返していた釜無川を合理的な方法で治め、洪水被害を抑えた。信玄堤を築くことによって洪水の流れをコントロールしたのである。
 このように、かつての日本では、治水事業は為政者の大きな仕事であった。ところが、いまの日本の為政者は治水事業を利権の対象にしている。“金食い虫”の巨大ダムを推進である。だが、ダムは治水にあまり役立たない。それは、今回の鬼怒川堤防決壊水害や2011年の紀伊半島大水害でも証明されている。
 中条遊水地は明治の末期、利根川の連続堤防整備にともなって廃止された。しかし、中条堤はいまも部分的に残されている。

写真9-2
中条堤。江戸時代は右側が遊水地となっていた=2012年11月撮影

◆国交省官僚も遊水地の効果を知っていた

 じつは国交省官僚も、ダムより遊水地のほうが治水効果が大きいということを認識している。
 国交省河川局に多数の教え子をもつ今本博健さん(前出)は、次のように記している。
 《大学の同輩である前田武志君(現民主党参議院議員)が建設省に入省して、栃木県の渡良瀬遊水地に赴任したのですが、その前田君も『遊水地をつくったら八ッ場ダムはいらんやないかという話が、その当時から仲間内では出ていた』と言っていました。このように『八ッ場ダムは必要ない』と国交省自身が30年以上前からうすうす気づいていたにもかかわらず、建設を強行したんです。今にして思えば、彼ら技術者が建設中止を言うべきだったんです。真実を知っていながら方向転換をしなかった。罪深いですね。》(前出『ダムが国を滅ぼす』)
 ようするに、ダム建設をやめて遊水地整備などに力を入れたらゼネコンや建設族議員が潤わない。だから、効果が小さいとわかっていてもダム建設を進める。総合治水対策もごく一部の流域でしか採用しない、ということである。愚劣としか言いようがない。
 こんなやり方をつづけたら、記録的な豪雨が発生するたびに、どこかで堤防が決壊し、甚大が被害が生じることになる。「戦国武将の治水対策を見習え」と、私は言いたい。

(JAWAN通信 No.113 2015年11月20日発行から転載)

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