愛知県野鳥保護連絡協議会
〜県内の野鳥16団体が参加〜
愛知県野鳥保護連絡協議会には県内の野鳥団体が16団体参加している。協議会結成の必要性を考えたのは、1992年1月1日、幡豆郡一色町(現西尾市)の海岸でハンターによってオオワシの若鳥が射殺された事件が発端である。
当時愛知県鳥獣保護員(県内51名中保護団体は2名のみで他の大半は猟友会)であった尾張野鳥の会会長の浅沼秀夫氏が発起し、同じく県鳥獣保護員で西三河野鳥の会会長であった私(橋)が協力して愛知県内に存在する保護団体の集結を図ることに決めた。当時の愛知県には自然保護や野鳥保護関係の団体が10以上あり、会員数では猟友会員の数とほぼ同等であるにもかかわらず、愛知県の鳥獣行政に猟友会の意見は取り入れられても保護関係団体の意見は全く反映されていないことを身に染みて感じていたからである。
当時の県内では、調査を手段とする最先端の環境保護思想で全国の野鳥保護運動をリードしていた辻淳夫さんの団体をはじめ、自然保護思想の普及啓蒙で先進的な活動をしている団体や難解な野鳥の識別で全国をリードしている団体などにおいて国内一流の人材が活躍していた。しかし横の繋がりに乏しいことが原因で県の行政にはその力を反映できていなかった。
保護を目的として活動している団体はそれぞれ組織するにいたった経緯や目的、周囲の環境など千差万別であり、こうした組織のリーダーの多くは頑固である。強い信念がなければこうした組織をその理想どおりに運営することは難しく、そのリーダーが頑固であるのは当然のことといえる。
当時の愛知県猟友会をみて思ったことは、猟友会といえども決して一つの団体ではなく主に市や郡などの単位で組織された団体の集合体であることである。それぞれの団体には個性があり、利害関係の対立も少なくない。それでもまとまって行政に影響をおよぼしているのは、より多くの獲物を捕獲することや狩猟文化を社会に認めてもらうことで各団体の方向性が一致していたからである。
県内の保護団体全てにお願いしてとりあえず愛知県の保護団体をひとつに繋ぐことができたが、その時の決めごとの内容は概ね以下のとおりである。
①他の団体の活動についてお互いに批判しないこと。
②各団体の地元で発生した問題について、連絡協議会に協力を求めることができること。
③発生した問題の解決方法については、必ず地元の団体の意見が最優先されること。
④賛同できない活動については参加を強要されないこと。
⑤あくまでも県内の各団体が緩やかなまとまりをもって結束し、行政や社会に対応するための集団であること。
1992年の結成以降、「汐川干潟」「藤前干潟」「愛知万博」をはじめ全県規模の問題を含む多くの問題に対応してきたが、それなりの効果を得ることができたと思っている。
「藤前干潟」以降、愛知県に「環境」を無視できない姿勢が生まれたことは確かであり、社会の常識も大きく変化したことで企業も「環境」を無視しては繁栄できない時代になっている。愛知県野鳥保護連絡協議会としては今後も発足当時と同じ姿勢で県内の環境問題に対応し、少しでも県内の自然環境保全と再生に努めたいと考えている。
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