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中津干潟の現状と将来

中津干潟を守る会 木舩敏郎

1.中津干潟の由来

 大分県中津市は福岡県との県境にあり、周防灘に発達した干潟をもつ。
 山口県南岸、関門海峡、九州東岸に囲まれた瀬戸内海の東部の一部を周防灘と呼んでいる。もともと中津干潟という呼称はなく、それぞれの地先に浜を付けた呼称が使われていた。
 1995年ごろ、環境庁(今の環境省)の委託でシギ・チドリ類調査を実施するにあたり、私が中津海岸(中津市の海岸の意味)として調査地に登録した。その後、中津市の港湾整備計画に伴い、この干潟全体をさす言葉として中津海岸を「中津干潟」と言い換えて干潟の保護を訴えたころから、中津干潟が一般的に使われはじめた。つまり、中津干潟とは中津市沿岸の全体の干潟をあらわす言葉である。
 中津干潟の面積は約1600haあり、周辺の河川から流れてきた土砂が、遠浅の海の波の作用により岸辺に堆積し形成されている。干潟特有の生物であるアオギスやカブトガニの大生息地として、瀬戸内海に残された干潟として大きな価値をもつ。

図1-1 図1-2

2.干拓の歴史と自動車工場

 ほかの瀬戸内海の干潟と同様、古くから干拓され農地とされた。海岸の水田地帯には、古い海岸線と考えられる地層がよく見られる。
 1964年に国営干拓事業として中津市今津102haが干拓されている。その後の国の減反政策により、ほとんどの干拓地は徐々に荒れ、住宅地等に転換されてきた。
 2004年、この今津干拓地でダイハツ自動車の新鋭工場が始動した。これに伴い、生産した自動車を本州に運搬するため、中津港の拡張整備を国と県が実施した。

写真1-1
三百間浜。築地でも最高級とされるノリを生産していた。今はノリソダ(ノリヒビ)も少ない。

3. 中津港と干潟の変遷

 中津港の地盤調査によると、一般に沖側では粘土層が堆積し、陸地側では砂礫層の表層を砂質層が覆っている。つまり自然の海流では、海の深いところに粘土がたまり、陸から流れてきた礫(石)と砂は浅い岸近くに打ち上げられる。このことが干潟の生物と漁業を支えてきた。
 1973年、新中津港の整備で干潟に中津港の防波堤(1340m)が突き出た。大河川から沖に堆積するはずの粘土の流れをこの防波堤が食い止めたため、とくに中津港西側の海岸近くに粘土が堆積しはじめた。砂礫質層に繁殖していたアサリ等の生物にかわり、泥質干潟特有の生物が優位になってきた。地元の人たちは、ヘドロがたまって汚いと嘆いた。

写真1-2
中津川河口。松下竜一の小説に何度も登場する河口と中津城の風景が見られる。

4.重要港湾の整備と干潟

 ダイハツ自動車のために中津港は国の重要港湾となり、国と県は2004年、48.8haの干潟を埋め立てて埠頭(自動車置き場)とし、-11m航路を開設した。沖合に全長400mの防波堤と、港東側に2000mの防波堤を新設した。それまでの-7.5m航路から-11mに深化した。
 このことが、動的平衡状態の中津港西側の泥質干潟の粘土層を、深い航路と停泊地に流失させて特有の生物を失うとして、当時私たちは県と国に対して改善策を求めた。
 なんら対策のないまま、2002年ごろから泥質干潟の砂質化が進行していった。砂質化は干潟全体におよび、2010年ごろには沖合まで干潟の上を人が楽に歩けるように変化した。
 2006、2007年にはアサリの大増殖が起こり、漁協は石原アサリ(砂礫質干潟のアサリ)として売り出し、保護を訴えた。
 ところが2008年以降、アサリはまったく姿を消している。また、2012年にはアオギスが突然魚市場に増加し、その後は減少している。実は、2015年ごろから干潟は再び泥質化を開始していた。現在、中津港西側の干潟では人が安全に歩けないぬかるみが出現している。

写真1-3
今津浜。対岸に中津港の埠頭埋め立て地が広がる。かろうじて埋め立てをまぬがれた干潟に、この日アサリを掘る人がここだけ2人いた。なんといとおしい干潟だろう。

5.航路埋没対策

 中津港による現在までの干潟の変化は、2000年ごろから予想されていた。航路は干潟の泥で埋没し、泥を浚渫すれば再び干潟の泥は流失し、繰り返しているうちに干潟の質が損なわれると、何度も国と県に訴えた。
 国と県が干潟の保護を港の整備より優先することはないが、航路埋没は困った問題のようで、ついに2015年、九州地方整備局は中津港埋没対策影響調査を開始した。航路の周りに潜堤を建設するアセスメントも実施している。

6.経済発展と自然保護

 現在のところ、ダイハツ自動車の従業員は3600人で中津市人口の約4%近くを占め、中津市は約18億円の税収を毎年得ている。海岸沿いの道路周辺に郊外大型店が多く進出し、かつての干拓地は住宅地へと変貌した。
 干潟の劣化と漁業の衰退を代償として。国や県が企てているような、浚渫土砂による人工干潟や覆砂、潜堤の建設等すべてが自然の海岸の動的平衡に干渉する物にほかならない。人は食べなければ生きていけない。
 それに調和する自然保護はあるのか。一昨年訪ねた英国のコルツウェルの小さな村を思い出す。自然を売り物にしたこの村は観光客大歓迎であるが、一軒のレストランとホテルのほかにおみやげ店はいっさいない。
 私たちは2km離れた駐車場から歩いて村を訪ねた。本当に公衆トイレ以外に何もなかったが、途中で美しい路傍の花や鳥の鳴き声を楽しむことができた。英国の自然保護の考えの深さに脱帽だった。もし中津干潟を訪れたならば、日本の自然保護を考える一助とならんことを願うばかりである。

写真1-4
立派な今津干拓記念碑の向こうで、ダイハツ自動車の工場増築が続いている。
(JAWAN通信 No.118 2017年2月28日発行から転載)

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