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三番瀬の保全と第二東京湾岸道路

〜新規臨港道路構想が浮上〜

三番瀬を守る連絡会 中山敏則

 千葉県は2016年10月、三番瀬の人工干潟造成を中止すると発表した。人工干潟は、浦安寄りの猫実川(ねこざねがわ)河口域に第二東京湾岸道路を通すことが目的であった。人工干潟造成の中止によって、第二湾岸道路の建設もとりあえず阻止することができた。一方で県は2017年1月18日、新規臨港道路の構想を発表した。この道路は第二湾岸道路のルートとぴったり重なる。

◆第二湾岸道路をめぐる経過

 第二東京湾岸道路をめぐる経過はこうである。
 県は三番瀬の2期埋め立て計画を1993年3月に発表した。埋め立てが実施されると三番瀬はほとんど消滅する。そこで、三番瀬保全団体は「これ以上埋め立てるな」という運動をはじめた。署名を30万集めるなど、埋め立て反対の世論を盛りあげた。
 2001年春の県知事選では三番瀬埋め立てが最大の争点になった。選挙中に朝日新聞、読売新聞、毎日新聞がおこなった県民世論調査では、いずれも「埋め立て反対」が過半数を占めた。これをみた堂本暁子候補は、選挙戦の途中で三番瀬埋め立て計画の白紙撤回を唯一の公約に掲げた。見事に当選である。
 堂本知事は2001年9月、三番瀬埋め立て計画を白紙撤回した。しかし喜びもつかのまであった。堂本知事は自民党と取り引きした。埋め立て計画は白紙撤回するが、第二湾岸道路を三番瀬の猫実川河口域に通す。そのためにこの海域で人工干潟を造成する、というものである(図1参照)。
 堂本知事は、「三番瀬再生」をうたいながら人工干潟造成をめざした。住民や市民団体、漁協などの合意を得るため、三番瀬円卓会議をたちあげた。丸2年におよぶ議論の結果、円卓会議は人工干潟造成をもりこんだ提言を採択した。三番瀬保全団体の猛反対を押しきっての強行採択である。
 この提言をうけて、県は人工干潟造成の布石となる事業を進めた。地元の市川市は広報紙で人工干潟造成の必要性をあおりたてた。市は「人工干潟も都市部では貴重な自然」とするキャンペーン本も出版した。
 市川市自治会連合協議会の会長や漁協幹部も県の審議会などで「人工干潟を造成すべき」の大合唱をくりかえした。県議会では自民党議員が猫実川河口域を「ヘドロの海」とよび、人工干潟造成と第二湾岸道路建設を主張した。

◆人工干潟造成を中止

 そういうきびしい状況のなかで、三番瀬保全団体はさまざまな運動をくりひろげた。行政交渉もくりかえした。2009年4月からこれまでおこなった行政交渉は56回におよぶ。市民調査も大きな役割をはたした。県議会の野党にも支援をいただいた。そしてついに2016年10月、県は人工干潟造成中止を発表した。
 人工干潟と第二湾岸道路建設は一体である。第二湾岸道路建設も食い止めることになった。この道路は、浦安市、船橋市、習志野市、千葉市の埋め立て地に8車線の用地が確保されている。三番瀬で中ぶらりんになっているため、道路を建設することができない。


図3-1 図3-2

◆新規臨港道路構想

 とはいえ、県はいまも第二湾岸道路構想の具体化を国土交通省に要望している。
 2017年1月18日、千葉県地方港湾審議会がひらかれ、県港湾課が「千葉港長期構想案」を提示した。同案には新規臨港道路がもりこまれている。千葉市、習志野市、船橋市の埋め立て地に確保されている第二湾岸道路用地と外環道(東京外かく環状道路)をつなぐ新しい道路を建設するというものである(図2)。この道路は第二湾岸道路のルートと一致する。人工干潟造成中止によって、三番瀬には第二湾岸道路を通せない。そこで船橋側の埋め立て地だけを通すというものである。
 この臨港道路が具体化すれば、猫実川河口域の人工干潟造成計画が復活するかもしれない。そのため、私たちは第二湾岸道路構想の中止を求めて国土交通省や県との交渉などをつづけている。三番瀬保全の法的措置も求めている。
 そのひとつがラムサール条約登録である。三番瀬を後世に引き継ぐため、私たちは今後もねばりづよく運動をつづけていくことにしている。

写真3-1
第二湾岸道路構想の中止を国土交通省(手前右)に申し入れる三番瀬保全6団体=2016年12月26日
(JAWAN通信 No.118 2017年2月28日発行から転載)

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