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■鎌倉広町の森を守った運動を学ぶ

鎌倉広町の緑地を守った人々

全国自然保護連合 事務局 田原廣美

鎌倉広町の森はかく て守られた

 鎌倉広町(ひろまち)の人々は、緑地を守るためにやれることは何でもやった。しかも、ねばり強く。1973年、主婦たちは開発の動きを察知し、それを阻止するために動きはじめた。それから29年後の2002年、広町緑地の全面保全を実現した。私はその情熱に心を動かされた。
 鎌倉の自然を守る連合会の会長さんをはじめとする人たちは、次のような話をしてくださった。
 開発業者(3社)は広町緑地の土地所有権を持っていた。緑地は市街化区域にあった。だから、開発阻止は不可能に近かった。しかし、広町の人々はあきらめなかった。「裁判闘争では開発を阻止できない」という行政当局(鎌倉市)の助言もあり、「広町の緑地を守るには市民運動しかない」と悟った。
 ここからがすごかった。署名活動、市民集会、住民説明会、市長選挙、トラスト運動、関連先(3事業本社、3事業主力銀行本店、国土交通省、環境省、金融庁、鎌倉市、神奈川県)への直接要請など。あらゆるところへ働きかけた。
 とくに署名のとりくみはきわだっていた。6万人、12万人、22万人と激増させた。これを支えたのは鎌倉の自然を守る連合会だった。連合会は、新鎌倉自治会が中心となり、広町緑地周辺の8つの自治会・町内会で1984年に結成した。
 連合会は、事業者、市、県、国にたいして広町緑地の重要性をねばり強く訴えつづけた。そして2002年、ついに鎌倉市、県、国が開発業者から113億円で買収することが決まった。広町緑地は守り抜かれた。
 私たちは、管理事務所での話し合いのあと、いまは大部分が都市林に指定された広町緑地(約60ha)を案内していただいた。田圃あり畑あり小川あり湿地ありウルシ林あり、見事な自然が保全されていた。
 周辺に住む人たちは、この緑地があることでどんなにか心を癒(いや)されることだろう。自宅のすぐ近くにこんな緑地があったらどんなに幸せだろうと思った。いちど開発で喪(うしな)われてしまった自然は、決して元には戻せない。広町の人たちは未来の世代のことまで考えて、必死でこの緑地を守ったのだろう。

(JAWAN通信 No.118 2017年2月28日発行から転載)

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